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連載小説「まん・まる」 第四章 話して、和して、輪にして、そして。5〈終〉

 

 文化祭当日、僕らのクラスの縁日の出店は、まずまずのお客様があつまった。人気スポットとなっているみたいだ。皆で、話し合って、工夫を凝らして頑張った成果だ。クラスがまとまり和ができた。生徒の家族や地域の小さい子供にも楽しんでもらえて、人の輪が広がったのですごくうれしい。

 吹奏楽部の演奏会は、中原の指揮のもと、一糸乱れぬアンサンブルで出色の出来だ。文化祭の白眉となった。さすが、ジョージ・セル(※1)フリークの中原よ。苦労を乗り越えて、努力が報われてよかったな。僕は心のなかでエールを送った。
 1曲終わるたびに万雷の拍手。アンコール曲も披露して圧巻の幕切れとなった。めでたしめでたし。僕と谷っぺ、西田の3人が観客席で聴き入った。
 そんななか、西川の視線はさっきからずっと、演奏中の奥村さんに釘付けだ。「こら~、そんなに見つめたら彼女の演奏の邪魔になるぞ」と僕は彼を諌めた。
「いいや、彼女が僕のほうを見てニコって笑った。カッワイー」と西川がのろけて言う。
 わかったわかった。放っておこう。これからも仲良くやれよ。

 隣のクラスの演劇「元気組の出入り」は、演劇部門でおおいに盛り上がった。にしても、和服姿の担任の石田先生は、寡黙で模擬刀をもってただ立っているだけなのに(失礼)抜群の存在感がある。「華がある」というのはこういうことか。
 但し、子分役の生徒たちが、へまでズッコケてばかりいるので劇自体はコメディー仕立てだ。体育館の舞台が観客の笑いにつつまれて、最後はカーテンコールで石田先生に大喝采。
「ねぇ、今の見た?わらける(※2)ね。うふふ」と谷っぺが楽しんでいる。
「ねぇ、ねぇ、聞いた?今のセリフ。笑いのなかの涙。泣けるね!」谷っぺの目が潤んでいた。
 そんな彼女が、このあと恐怖の奈落の底へ落されることも知らず。うっしっし。この劇が終わったら次は、いよいよお化け屋敷だ。

「谷っぺ、次へ行こう」と僕。
「えっ、どこへ」と谷っぺ。
「ええとこ」と僕。
「ふーん、また何かたくらんでるな、こりゃ」と谷っぺ。
 僕のシタゴコロが、バレてお見通しかもしれない。でも、ここまできた以上、あとへは退けない。
「正直に言うよ。お化け屋敷と迷路っ」と僕はうちあける。
「わー、楽しそう」谷っぺがいかにも楽しそうにのたまう。ひょっとして、怖いものフリークか?

 結果から話そう。彼女は、怖がって泣いてくれた(言葉ほどにもなく)。僕は、彼女をかばって肩を抱いてやった(計画通り)。
 迷路もうしろに、人がいなかったこともあり、ムダに時間をかけてずっと二人手をつないでさまよった。出口はわかっていたのに。
 彼女が楽しんでくれていたのが何よりの収穫だった。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。文化祭も終盤だ。つわものどもが夢の跡。
 僕と谷っぺは校庭のベンチに座って夕陽が沈んでいくのを見ていた。やがて空は夕焼け色に染まったと思う間にパープルへと刻々移ろっていく。谷っぺは、僕の肩に頬を寄せて目をつむっている……

 この後の展開は、読者のみなさまのご想像におまかせします。
 ほな、さ・い・な・ら。
 

 ――おわり――

※1.ジョージ・セルは厳しい練習により、クリーヴランド管弦楽団を世界最高のアンサンブルと称えられる合奏力に高めた。その正確な演奏をベースに端正で透明度の高い、均整の取れた音楽を構築し、1950年代以前は主流であったロマン派的、主観的な感情移入を行わず作品のもつ魅力を引き出した。(ウィキペディア)

※2.「わらける」の意味はズバリ笑えるですね。たとえば、こんな感じで使います。「ほんま、お前の顔、見てるだけで、なんか、わらけてくんねんよな。(標準語訳:本当にお前の顔を見てるだけでなぜか、笑えてくるんだよな。)」「わらける」には「本来は笑うべき要素がない、もしくは笑うべき場面でないのに、つい笑ってしまう」というようなニュアンスがあります。……結論から言いますと「わらける」は東海地方から近畿地方にかけての方言です。(やっせイズム)


※ゆーふく さんの画像をお借りしました。

☆連載小説「まん・まる」に最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございました。


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