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雑記

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#市場

文脈最適化原理

効用極大化の限界

現在の経済学が基づいている近代経済学においては、効用の極大化ということが人の基本的な行動原理として定義され、それに基づいて功利主義的に自らの効用極大化行動を正当化し、そしてそれを定量化することによって、貨幣価値で図ることのできる効用によって計量的な経済学を構築することが可能になっている。しかしながら、効用というのはあまりに一般的な意味であり、そしてその効用実現のために貨幣による

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市場と社会

前回の資本主義の限界の話を、市場と社会、という観点から角度を変えて見直してみたい。

市場と社会の特性と距離

市場とはスポット的な需給をマッチングする場であり、社会とは個別の文脈、筋、論理を擦り合わせる場であると言える。社会の範囲が限定的であれば、個別文脈は比較的社会内で共有されているので、その時点におけるスポット的需給の文脈というものが、市場においてもある程度共有されることになる。しかしながら

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リーマン・ショック15年の年に

あと8ヶ月で、アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが破産申請を行なったリーマン・ショックから15年を迎える。資本主義をどのように理解し、この先どのように展望するのか、ということについて重要な示唆を与えることになりそうなので、その総括を試みてみたい。

リーマン・ショックの概要

リーマン・ショックとは、大雑把にまとめれば、サブプライムローンと呼ばれる低所得者向け不動産融資を証券化したデリバテ

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ローカルビジネスの現在地

しばらく現実からかなり遊離した抽象的な話が続いてしまったので、少し現実に近いところにもどして、ローカルビジネスについて考えて見たい。

グローバル化の下のローカルビジネス

ローカルビジネスは、実体経済を支える重要なアクターであるのにも関わらず、ブームと忘却の波に揺られて、安定軌道に載せるのはなかなか大変なことであると言える。これは特に経済がグローバル化し、ビジネスのスピードアップがローカルレベル

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情報思想

社会思想、政治思想、経済思想など、特に社会科学の分野で思想というのは一つの中心的な研究テーマとなっている。この情報化時代、そろそろ情報思想のようなものを考える時期なのかもしれない。

情報思想の基本要素

情報思想とは、社会のような人間集団についてでも、政治のような制度についてでも、経済のような貨幣という交換ツールを軸にして見た現象でもなく、人間間の不定形なコミュニケーション媒介ツールについての考

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認識の社会実装

社会と個人との関係性を、個々人の考えを擦り合わせた結果できた制度が社会であると考えると、新たな考えをいかに社会に実装するのか、というプロセスが繰り返されて社会が動いてゆくのだと言えるのかもしれない。つまり、社会制度とは認識の社会実装の結果現れる抽象構造だと言えるのかもしれない。

認識の社会実装サイクルモデル

そうなると、社会的に解析する個人のモチベーション様式、それが一般的かどうかはともかくと

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情報から見た金融制度のあり方

金融について見てきているが、制度論について考えてみたい。

金融における情報の役割

既に見てきた通り、市場原理が機能するためには、価格調整に関わる情報の存在が非常に重要となる。この情報の存在を無視して金融制度を考えることはできないが、現状においては、情報というのはむしろ政策手段として用いられているようで、市場における情報自体には制度的に無関心であるかのように見える。つまり、金融会合などでの公的発

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経済学の限界

何度か触れてきていることだが、経済学の理論にはいくつかの点で限界が見えているように感じる。主なものを挙げれば、これは既に問題として十分に認識されていることだろうが、完全情報の前提の問題、貨幣の稀少性を前提としたその最適配分を目的としていること、さらには市場均衡を作り出すために閉鎖的世界を作らないといけなくなること、そしてそのために全市場参加者の時空を統一して考える必要があることなどが挙げられそう。

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わかること、そして自己意識

わかる、というのは、現象を認識し、そのあとどのレベルで反応するのかという、個体の判断基準を定めているのだと言えるのかもしれない。

相互理解と信頼関係

わかったという状態がどこにあるのか、ということは、それぞれの個体によって違っており、そして観察者はそれを見てわかっている、わかっていないという評価を下すことで、そこに相互関係、相互評価の基準ができ、その基準の相互理解の具合によって信頼関係の深さが

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スポット的金融市場が現実現象にもたらす影響

世の中の行動が全てある価値基準によって評価され、それが貨幣価値によって計測され、褒賞がなされるという社会では、現象は一体どの様になるのか。

ゲームで進む社会システム

そのシステムでは、褒賞は当事者間で直接というよりも、市場原理ならば社会的マッチアップで組み合わされた相手からゲーム的に勝利して手に入れる、組織ならば椅子取りゲームで行動が評価された瞬間により高い地位に登ってゆくという形で行われるよ

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自由な社会のあり方

スミス的市場原理、社会的分業そして自由意志に基づいた集団形成のあり方というのは三位一体のように感じる。

個人が主となったネットワーク

これらは、社会ありきではなく、個人が主となって、個々人が尊重されるような状況でなければなかなかうまく機能しなさそう。自由意志に基づき、自分のやりたいことを追い求め、そのときどきに気の合った仲間と緩やかな繋がりを持ち、そんなネットワークを通じて必要なものの交換がな

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社会科学の非科学性とその飼い慣らし方

市場における自然価格については、社会科学的な分析が可能なのかもしれない、ということを書いた。それにはやはり条件があり、同一の財について複数の供給者がいて、市場が独占状態にならないことが必要になる。これが、社会を科学するのに非常に難しいところであり、物理学ならば、一定性質の複数の物質が所与で存在するということを前提とすることができるが、社会では人間の性質を固定するのが難しいために、その前提を打ち立て

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功利主義で動く市場の是非

市場メカニズムは功利主義に基づいて動くべきものであるか否か。ここで考えるべきなのは、功利主義というのが、損か得かという経済的価値判断に基づいて行われるべきものなのか否か、ということではないだろうか。この部分に、功利主義を経済学に適用する時の問題点が集約されているように感じる。

功利主義は損得勘定か

前回の労働のところで見たように、労働を純功利主義の観点から捉えれば、損得勘定とは関係なしに自分の

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労働価値説の是非

スミス的市場を機能させるために、労働価値説はどのように適用されるべきなのかを考える必要が出てくる。労働というのは、個々人によってその解釈が分かれ、だからこそ市場による評価が必要であるという、スミスがその考えに至らざるを得なかった事情は理解できるが、この部分についてはさらなる整理が必要なのだろうと感じられる。

価値とは

労働に入る前に、価値とは一体なんなのか、ということを考えてみたい。価値とは自

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