自由な社会のあり方

スミス的市場原理、社会的分業そして自由意志に基づいた集団形成のあり方というのは三位一体のように感じる。

個人が主となったネットワーク

これらは、社会ありきではなく、個人が主となって、個々人が尊重されるような状況でなければなかなかうまく機能しなさそう。自由意志に基づき、自分のやりたいことを追い求め、そのときどきに気の合った仲間と緩やかな繋がりを持ち、そんなネットワークを通じて必要なものの交換がなされることで、自発性に基づく分業、自由な意志での拘束の少ない仲間づくり、そして実需に基づいて価格変動が起きるネットワーク的非競争市場が形成されるのではないか。

協力的情報伝達の必要性

市場がうまく機能するためには、競争原理ではなく、どこで何が不足しているのかの情報が適切に行き渡る協力的情報伝達が必要となる。その不足情報がうまく伝わることで、はじめて不足と価格の連関性が生じるのであり、競争によって市場がうまく機能するというメカニズムは、情報の完全性という不可能な前提に基づかないと達成され得ないのだから、完全情報に近似させるための協力的情報伝達による不足情報の適切な拡散という方がはるかに重要であることが理解できよう。

ケイパビリティは社会的評価か自己評価か

そうして適切に拡散された情報に基づき、個々人が自分のできることで対応することによって社会的な分業が形成される。個々人ができることというのは、個別の生まれや育ち、そして経験によって蓄積されたケイパビリティによって定まる。それは個別の文脈であると言え、ケイパビリティ、つまり何かができる、できない、というのは他者の社会的評価で定まるというよりもむしろ自己評価であろうと考えられる。それが、貨幣による評価が他者によるものとして経済社会が構築されているので、分業が自由意志というよりもむしろ社会による管理制度の中で定まるということになってゆくのだろう。

文脈評価市場の難点

これは、サービス業の労働価値説とも関わってくる問題なので、また別に議論した方が良いのだろうが、とにかくスミス的には財の市場を想定していたと考えられるので、労働の結果が財の価値に反映され、それが労働価値説の基盤となる、という考えだったのだと思われるが、それが初期の典型例としては商業という具体的な財の形を成さないサービス業にまで拡張されるにつれ、労働というのが個々の行動に対する他者の評価であるというように変わっていき、それによって労働の価値を自ら決めにくくなったのだと言えそう。というのは、財ならば具体的な形を成してそれに値段をつければ売れるか売れないかが市場で定まる、ということになるのだが、行動が直接評価されるサービス業では、自ら値段を決めてそれを売り込む、ということになり、それは自分という人格、そしてそれを形成する文脈が他社からの総合評価にさらされ、それによって行動が規定されることになってしまい、そうなるともはや労働価値というよりも、奴隷に近い状態となる。それは自由意志とはかけ離れたものであり、それによって自由な分業や市場は成立し難くなる。

社会的分業の形成

行動というのは、他者の評価に左右されるのではなく、自らの価値観に従った文脈によって自己決定によって定まらなければ自由とは言い難い。そしてその自由な意思決定と、相互の摩擦や衝突を避けるような努力の結果として社会的分業が形成されるのだろう。その、摩擦や衝突を避ける仕組みが現状まだまだ整っているとは言い難く、それが力関係や既存の社会構造によって大きく左右されるので、社会的分業よりも、集団による強固な階層性を持った組織による工場内・会社内分業が分業の中心となっているのだろう。そしてそれは、明らかにケイパビリティに基づく社会的分業よりも個々人の能力の最適配分とはならず、社会の効率を落とすのだろう。

自由を侵害する組織

だから、集団形成は、力関係や既存の関係性に基づく、組織ありきのものではなく、個々人のケイパビリティの相互補完のために、個々人間の合意に基づく協力関係の積み重ねによってなされ、よりケイパビリティを重視したものにして、社会の摩擦や負担を減らす必要があるのだろう。個人よりも組織が優先されたような集団形成では、組織が常に個人の上に立つ、管理的な社会となり、その管理が権力の集中をもたらし、市場の機能も難しくする。そうなると、自由な社会に対する大きな脅威となってゆく。組織の個人に対する優越が、自由を脅かす大きな力となってゆくといえるのだ。だから、自由を確保するためには、組織というものに対しては、常に警戒心を持つようにした方が良いのだろう。組織に管理されている状態は、すでに自由を侵害されているのだ、という意識を持たないと、自由に対する歯止めがなくなってしまうといえる。

自由意志に基づく社会形成の基本

このようにして、労働価値による生産は、とにかく自分の問題意識、価値観に基づいてなされるしかないのであろう。そして、自由意志に基づいて生産された財は必要に応じて市場での評価に付され、その財に価値があると認められれば高い価値がつくし、そうでなければつかない、というのが現状観察しうる市場メカニズムの作用なのであろう。こうして考えると、少なくとも現状においては、市場というのは財に限定してでないと、自由意志とは両立しえないように見える。労働価値を問うための財における市場原理、個々の文脈に従ったケイパビリティに基づく社会的分業、そしてその中でケイパビリティの相互補完関係が成り立つような合意に基づく関係性構築という三点セットが、自由意志に基づく社会形成の基本をなすのではないだろうか。

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