正義は動学的に定義しうるか
正義が多数の価値観の集合点をスポット的に定義するものであれば、正義は静態的にしか定義し得ず、動態的には常に複数の正義感覚が入り乱れ、それが交錯するという混乱状態となり、それが万人の万人に対する闘争という世界観を示すものになるのだと言えそう。絶対的不正義状態を定義し、それを閾値として正義の執行を行うことで正義を維持するという考え。それがある人にとっては侵略を許さない、ある人にとっては嘘は許さない、などということになるのだろうが、侵略にせよ、嘘にせよ、客観的に定義するのは難しく、