百年 未来への歴史

本当は昨日が日清戦争開戦130年の日ということで何か書きたかったのだが、どうにも体がしんどくて何もできなかった。残念。

朝日新聞7月30日づけで「百年 未来への歴史」のシリーズが始まった。朝日新聞という新聞の史観を示すものとして注目したい。

記事に入る前に、同じく1面題字下の「折々のことば」に、恐るべき言葉が書かれていた。曰く「解釈を一切含まぬ報道や歴史叙述など不可能だ。」というものだ。一般的に言えばまさしくその通りであり、そんなこと改めていうまでもないことなのだが、客観報道を振りかざし、歴史議論を歴史修正主義だとして散々言葉狩りして封じてきた張本人の朝日が今更それをしたり顔で言うか。その覚悟が本気ならば、少なくとも今後は歴史修正主義という言葉は一切封じて、自由な歴史議論を社をかけて実現するよう環境を作るべきだろう。

それでは本文だが、まず、「民主主義と全体主義の戦いでは、後者が間違いなく勝利し、世界を支配する。」「民主主義の時代は終わる。」という言葉を松岡洋右外相の言葉だとして、駐日米大使から国務長官宛に送った公電を引いている。当時のアメリカ国務長官はコーデル・ハルで、のちにハル・ノートを突きつけて日本を開戦に追い込んだことで知られる。松岡の三国同盟は、反共の文脈で捉えるべきものであり、仮にこの発言が事実であったとしても、それは全体主義に対する警戒から発せられたものであると考えるのが自然だし、他に裏どりができているならともかく、この意図の曖昧なアメリカの公電をシリーズの最初に持ってくるという時点で、朝日のこのシリーズにかける意気込みを余すことなく示していると言えそうだ。

イタリアのエチオピア侵攻は反封建制・専制君主の視点で捉えるべきだろうし、日本の普通選挙導入は共産主義への怖れから治安強化に繋がったのであり、単に軍部の台頭に繋げるのは片手落ちだと言わざるを得ない。「国際連盟ができ、世界は国際協調へと歩み始めた。」とあるが、その国際連盟に、エチオピア帝国も満州国も参加が叶わず、結果として日本とイタリアは国際連盟脱退に至っている。後世に国際連盟を理想化して語るのは簡単だが、それがいかに御都合主義的な理想であったのか、というのはより詳細に検討すべきなのだろう。もちろん、国際連盟の取り組みが今の国連につながっているということを否定するものではないが、その取り組みの一環として、日本やイタリアの脱退による身を挺した批判があった、ということは、歴史の一曲面として記憶しておくべきことではないだろうか。

共和党下院議長が「中国主導の枢軸」に言及したということだが、伝統的に民主党が親中で共和党がどちらかと言えば反中であるという構図がある中で、大統領選挙が近づくにつれて、このような政治的発言が注目を集めるのは避けられないだろう。朝日新聞はどちらかと言えば民主党に期待していると考えられ、そのようなあからさまな政治的ポジショントークをシリーズの中に混ぜ込み、必要もないアジアでの対立構図を作り出すという、もはや解釈の範疇を超えて意図だと考えざるを得ないような特集の組み方をしているということは明記すべきだろう。朝日新聞という新聞の体質がここにあるということをよく見極めて、戦前にも同じようなことをしていなかったか、戦後の戦争報道はどうだったのか、批判的に検証する癖をつける必要があるだろう。

「別々の地域的な紛争が融合した戦間期と、今日の情勢には類似点がある。」という歴史家の安易なアナロジーには呆れる他ない。仮に西太平洋での動きを本当に危惧する歴史家ならば、戦前のアメリカの中国への干渉がどのような影響を及ぼしたのか、ということこそ詳細に検討すべきではないのか。別々の地域紛争の結合というのは、とりわけマスコミ報道の一般化によって生じがちであるということを考えると、特に歴史学者はマスコミにウケの良いような安易なアナロジーを軽々しく提示すべきではないのではないか。

2面に移り、「20年代の終わりには、言論を使って平和を達成する連盟体制の完成すら見えていた。」とあるが、それはいわば欧州域内の第一次世界大戦の後始末とでもいうべき話で、しかも間接的にはそれはドイツの過剰な賠償負担に依っていたとも言えそうで、それがナチスの台頭につながったのだという視点も欠くべきではないだろう。

2面は全般的に解釈が強く出ており、その流れに逆らおうとすると弾き出されてしまうという機械的な筆の運びになっている。しかし、だからといって戦間期に機能しなくなってしまった国際連盟を理想化し、その崩壊の責任追及を行うが、その後継である国際連合安保理の機能不全についてなんら実効的な案を提示しているわけではない。結局のところ、満州事変がきっかけとなって国際連盟が機能不全となってしまったから、それが悪かった、という批判対象を特定するための滑らかな筆致であると言える。

そこに「すでに世界は戦争の時代に入っている。」という、いわば無責任は煽りが入っている。拒否権による安保理機能不全は今に始まった事ではないし、常任理事国による侵略的出兵も今回が初めてではない。今回取り立てて大きくクローズアップされているのはウクライナが欧州の一部とも見なすことができるからであり、そして欧州には欧州の独自の平和構築の経験があることは、国際連盟のところでも触れられていた通り。

実際90年代のセルビアには空爆を仕掛けているわけで、力による解決をする気ならばとっくにそうしているだろうが、今の所それは欧州内の世論動向からも難しいということだろう。なお、94年のブダペスト覚書について触れられているが、その後にコソボ紛争でのNATO空爆があり、翌年にプーチン大統領が生まれているという流れは押さえておく必要があるだろう。

基本的に地域紛争は地域が主体となって解決すべきもので、よそから戦争の時代などといって煽り立てるのは、問題を複雑化させるだけで百害あって一利もない。解決案があるのならば提示すれば良いが、世界拡散への煽りや無意味な過去の責任追及にはなんの生産性もない。

結論部を見れば、「国際社会に生きる我々は、今どんな時代にあるかを認識し、歴史から学び、規範を守る努力が求められる。」それに従えば、今は戦争の時代だから、戦間期歴史の通説から規範を引き出し、それを守る努力をする、ということを言いたいのかも知れない。もとより規範なるものは信頼関係があって初めて成り立つものであり、このような一方的解釈から規範を守る努力を、と言われても説得力は薄い。歴史に学ぶのならば、すでに書いた通り、ウクライナ問題の原点はボリシェヴィキによるウクライナ侵攻であり、それを考えるとロシアの歴史感覚は冷戦後の東欧ロシアの急速な西欧化に対して、ロシア的な規範が尊重されていない、ということかも知れない。

セルビア空爆も民主党クリントン政権下、今回のウクライナ侵攻も民主党バイデン政権下であったことを考えると、民主党の外交政策がなんらかの形でロシアを挑発しているという可能性もある。ちなみに第一次世界大戦も民主党ウィルソン政権、第二次世界大戦も民主党ルーズベルト政権であったということは、歴史に学ぶという時に、一つ欠かせない視点なのではないだろうか。

第一次世界大戦開戦85年、なおかつ世紀の変わり目という非常に微妙な時期に仕掛けられたセルビア空爆というのは、果たして規範に沿っていたと言えるのだろうか。戦争の時代にはいったのだとしたら、コソボ紛争が一つのきっかけであったという見方はできないだろうか?歴史認識は一つの解釈から引き出されるものだけとは限らず、当てはまる規範も唯一絶対のものだとは限らないというのは、歴史から教訓を引き出そうとするときの基本的なあり方だと銘記すべきではないだろうか。

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