重要鉱物

これは取り立てて内容批判というわけでもなく、関心のあった記事なので取り上げることにする。

7月21日付4面フロントライン「重要鉱物の「脱中国依存」自国生産を急ぐ米国」

繰り返し取り上げられるレアアース等の鉱物資源についての脱中国についての話。レアアースの重要性については、中国が本格的に改革開放路線に舵を切るより前から鄧小平は言及していたわけであり、もはや40年来の古い問題であると言える。それがいまだにこうして話題になるという時点で、国際政治的には中国の独占状態を黙認した上で、あえて緊張状態を演出したい時にそれを取り上げるという、いわば様式美的な外交(報道)ツールとなっているのだと言えそう。実際記事にもある通り、「精錬や加工は人件費が安く環境規制がゆるい中国に依存する。」という、コスト的な問題で中国依存をしているのであり、中国以外の国ならば、労働や環境によって企業がNGO等から狙われるリスクが高いので、いわば必要悪として中国依存をしているということもあるだろう。つまり、環境への国際世論が高まった時に、その風除けとして中国を使っているという、互恵的関係が成り立っているのだとも言えないことはないのだろう。

経済学的に考えれば、基本的には競争原理というのは、稀少資源の最適配分のために必要なのであり、このような稀少資源こそ競争によって効率的な配分がなされるという理論的な説明が可能になる。その意味で、資源ナショナリズムというのは、経済原則を最も損なう行動原理であり、昨日述べた国民国家の限界という点において、最も色濃くその限界を浮かび上がらせているといえ、結局それがこの問題のように経済安全保障という国家主義的な非自由主義的経済政策を正当化することになる。

自由主義的なアプローチでいうのならば、資源開発への資本参加を求め、資源の国家管理色を薄めて、出来うる限りで競争原理を導入することで、資源供給の安定度も高まり、経済相互依存も深まって、結果として競争が国際社会・経済の安定をもたらすという経済原理らしい機能が働くことになる。

これは、競争原理なるものがどこで働くとうまく機能するのか、ということについて興味深い例を提供する。ミクロ経済学においては、需要と供給が価格と数量によって決まる。このうち、数量については、よほど生産管理が行き届いていないとリアルタイムでの調整は効かず、結局は事実上価格の調整によって需給が定まる、ということになる。つまり、経済学が示す有効な競争原理とはすなわち価格競争であり、つまり、供給が減れば資本を投入することで価格を上げ、供給量増大へのモチベーションをつける、すなわち資本の投入量の競争だということになる。

そう考えると、経済的自由主義を機能させるためには、資源ナショナリズムに対して、資源を国有化するよりも有利だというところまで資本を投入して資源開発に資本参入する、という競争のあり方が有効なのであり、それはおそらく自前での新規開発よりも安くつく。つかなければ、政府の政策いかんにかかわらず自前で資源開発すれば良いだけの話であり、いずれにしても、政府が腕を振り上げて経済安全保障を声高に叫ぶというのは、経済効率を損ない、政治的摩擦を増すだけの無駄なことではないか、というのが経済学の指し示すところではないだろうか。

先に朝日新聞は自由貿易について自己定義し得ない、というようなことを書いたが、この記事を読むと、やはり経済原則に基づく解決よりも、経済安全保障を全面に出した介入主義を支持しているようにも見え、朝日に自由経済に基づく経済議論を期待するのはやはり無理なようだ、という印象を持つ。そしてそれは結局経済政策のみならず、外交に関しても、常に恣意的な価値観に基づいて議論をしているという感想に至らざるを得なくなり、紙面自体の信頼度を大きく損なうことになる。結局朝日の論調は、自分の言い分をご都合主義で振り翳して押し付けているだけだ、ということになるからだ。記事の内容について具体的に何がおかしいというわけでもないが、基本的な概念の定義が出来ていない論説を読むということが、いかに時間と労力の無駄であるか、ということを示すような記事であった。

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