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戦後現代史に迫る

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核抑止・拡散防止と被曝体験

こちらで広島への原爆投下について疑問点を提示したが、仮に広島への原爆投下がアメリカ軍によるものではなかったとしたら、一体なぜその話は常識として定着しているのだろうか。

原爆投下と冷戦体制

まず、一番大きな要因として、第二次世界大戦後に構築された冷戦体制において、核抑止というものが重要なテーマとなっていったということがある。もっとも、この問題については、逆に核抑止がありきで冷戦体制が構築されたと

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広島文脈の結晶・宏池会の源流6

これまでの流れは、

話は戻って、昭和33戊戌年(1958年)9月11日、藤山愛一郎外相とジョン・フォスター・ダレス米国務長官の日米外相会談が行われ、アメリカが(旧)日米安全保障条約の改定に同意し、10月4日安保条約改定のための第一回日米会談が開催された。一方、この動きの中で、ソ連も9月30日 にノヴァヤゼムリャで核実験を実施した。

そんな中、10月8日に政府が警察官職務執行法(警職法)改正案を

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広島文脈の結晶・宏池会の源流5

これまでの流れは、

明けて昭和33戊戌年(1958年)、1月1日に欧州経済共同体と欧州原子力共同体が設立された。57年末にはフランスに続いてベルギーやスウェーデンでも原発建設が始まっており、ヨーロッパは本格的に原子力時代に入ろうとしていた。一方中東では、2月1日にエジプト共和国とシリア共和国が合併し、アラブ連合共和国が建国され、それに対抗する形で2月14日にイラクとヨルダンによる連邦国家、アラブ

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広島文脈の結晶・宏池会の源流4

これまでの流れは、

ソ連から帰国後すぐに引退を表明した鳩山一郎の後を受け、初めて自民党の総裁選が開かれた。1回目の投票では岸信介が勝利を収めたが、決選投票で3位だった石井光次郎が石橋湛山と組んだことから、石橋が第二代の自民党総裁に選ばれた。昭和31丙申年(1956年)12月23日に石橋首相だけが認証を受け、全閣僚を兼任という異例の内閣の船出となった。

これには国際情勢が大きく影響していた。11

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広島文脈の結晶・宏池会の源流3

これまでの流れは、

前回一つ書き漏れたが、昭和29甲午年(1954年)5月11日に内閣諮問機関として原子力平和利用準備調査会が設置されている。これに先立って2月、原子力研究開始の可否について公聴会が開かれている。そして、3月の予算で原子力予算が2億5千万円計上された。これは、通産省の予算であり、通産大臣は愛知揆一、大蔵政務次官から1月に通産大臣に横滑りしており、さらに父親の敬一は物理学者でアイン

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広島文脈の結晶・宏池会の源流2

今度は外交・原子力政策を軸にして宏池会を見てみたい。
これまでの流れは、

宏池会の話に入る前に、広島原爆投下から戦後の核をめぐる動きのところをもう少し詳しくみておきたい。

アメリカの原爆開発についてみると、まず、ルーズベルトは大統領就任直後にボーイングを含んだ総合飛行機会社を三分割し、ボーイングは機体製造の専業となり、創設者の手を離れて軍事企業として動き出していた。のちにアイゼンハワーが指摘し

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広島文脈の結晶・宏池会の源流1

広島の複雑な文脈を引き受け、それを原動力として戦後政治の軸となり続けた自民党宏池会について見てみたい。

まず、宏池会という名であるが、後漢の学者馬融の『広成頌』から、陽明学者安岡正篤が命名したものだとされる。安岡正篤については、京都八坂神社の社家と同族である堀田氏の出身ということで、平曲八坂流の『平家物語』と少なからず関わるのだと考えられる。一方馬融というのは、非常にわかりにくい人選であるが、ま

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フィギュアスケート隆盛の政治的背景

北京オリンピックが始まり、このところ日本のお家芸のようになっているフィギュアスケートにも、当然のことながら注目が集まっている。このフィギュアブームは92年アルベールヴィルオリンピックでの伊藤みどり選手によるトリプルアクセルの成功、銀メダル獲得が一つの起点となっているといえる。このフィギュアスケートブームというものを、国際的文脈の中でとらえてみたい。

今から20年前に開催されたアルベールヴィルオリ

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海部俊樹の歴史的解釈

辛未(平成3年・1991年)の湾岸戦争で多国籍軍に戦費を支出し、ペルシャ湾へ自衛隊の掃海艇を派遣するという歴史の大きな転換点をもたらした時の首相、海部俊樹が亡くなった。この人物がどういう歴史観の中を生きて、その決断を行ったのか、ということを考えてみたい。

まず、直接の関わりはともかくとして、海部という姓は、海部氏系図という現存の系図の中で二番目に古いともされるものを意識せざるを得ない、ということ

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フランス ミッテラン政権の外交

フランス ミッテラン政権の外交

以前にジャック・アタリのことを少しまとめたが、そのアタリが深く関わっていたフランス、ミッテラン政権の外交というのが、日本外交に大きな影響を及ぼしていたので、そのことを少しまとめてみたい。

ミッテラン外交フランソワ・ミッテランは、大統領の権力を増して第五共和政を打ち立てたシャルル・ド・ゴールに代わって、1980年に左派系の勢力を結集して大統領となった。権力を増して、といっても、フランスの大統領は、

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オリンピック 名古屋からソウルへの事情

オリンピック 名古屋からソウルへの事情

明後日9月30日は、名古屋が有力視されていたオリンピックがソウルで開催されることが決まって40年目に当たる。その背景には一体どんなことがあったのだろうか。

大平内閣の本質三木内閣の後に、福田赳夫が2年後に大平に総理を譲るという大福密約で1976年の末に内閣を組んだ。その2年後1978年に約束の大平正芳への禅譲の時期が来るのだが、福田の芝居じみた行動によって何が本筋だったのかが非常に見えにくくなっ

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オリンピック−ロシアドーピング問題の根源はどこに?

オリンピック−ロシアドーピング問題の根源はどこに?

コロナ禍の中、2020(2021)年(ここでは西暦で統一することにする)東京オリンピック・パラリンピックは、一応何事もないかのように終わった。その東京オリンピックで、一つ特徴的だったのが、ロシアの選手団だ。2014年のソチオリンピック以来、繰り返し指摘されたドーピング問題によって、国としての選手団派遣ではなく、ロシアオリンピック委員会の編成した選手団で、国旗・国家を用いない個人としての参加となった

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アメリカから見たプラザ合意

アメリカから見たプラザ合意

明日はプラザ合意記念日ということで、プラザ合意に戻って書いてみたい。フランスのジャック・アタリの果たした役割については既にみたが、今度はアメリカ側から眺めてみる。

レーガン政権当時のアメリカは、レーガン政権2期目の最初の年。レーガンは、スターウォーズ構想など、冷戦末期の米ソ関係を先鋭化させていた。一方、相手方のソ連では、レーガンの1期目の間に、ブレジネフ、アンドロポフと2代の書記長を経てチェルネ

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金融ビッグバンの国際的文脈

金融ビッグバンの国際的文脈

金融債、というか長信銀が以下にして表舞台から姿を消したか、ということを見るのに、様々な要素はあるのだが、98年の金融システム改革のための関係法律の整備等に関する法律(金融システム改革法)の成立による、いわゆる金融ビッグバンの影響を見過ごすことはできない。この法律は、様々な金融制度改革を一括して行ったもので、それ自体に長信銀や金融債に直接関わる項目はないとはいえ、この法律によって金融制度をアメリカの

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