記事一覧
『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』(Metaphysics: The <I> is in constant oscillation between 0 and 1) 「序文」 登場する & 登場予定の固有名 適宜更新
『本論』 序文 <私>と現実性へと向かって
『序論』での探究を前提とした以後の記述においては、この<私>の無内包性を、同様に無内包の現実性とともにさらに探究していくことにしたい。なお、ここで無内包性とは、その無内包性自体については、否定性=ゼロを含む内包量が対応するいかなる実在性も記述できないという事態を言う。『序論』においては、①ここで<私>によって想定されている内包量の非存在の経験は
手におえぬ痛みの中で 映画『キャラクター』主題歌『Character』(ACAね×Rin音)歌詞 & 詩形式のコメント
※以下は、現在執筆中の『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』上巻「Interlude2 手におえぬ痛みの中で」を転載したものである。
以下歌詞の転載開始
※以下の転載は、上記サイトにおける「ずっと真夜中でいいのに。 ZUTOMAYO」氏自身による歌詞の改行秩序に従っている。
ジキルがハイド俺がお前をtrace 飲み込まれないようにレース制すべく制す アイデンティティが唯一我
「人間原理」とカント『純粋理性批判』 ――超越論的構成の物理数学的意味
「現にある宇宙の構造の根拠」を「現にこのような人間が存在しているということ」に求める――「宇宙が現にこのようにあるのは、もし宇宙が別様にあったとすれば、私たち/人間が存在して宇宙を観測することはできないためである」という論理としての――「人間原理」は、以上の意味における思考/観測という行為を<超越論的自由>として要請する理性の超越論的理念である。つまり「人間原理」とは、形而上学段階に至った最先端現
もっとみるカント『純粋理性批判』「量子重力理論/観測問題/量子ベイズ主義――<超越論的自由>の不可避性」後半
※下記は、現在執筆中の『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している Metaphysics: The <I> is in constant oscillation between 0 and 1』「第5章 カント『純粋理性批判』のデッドライン Ⅱ 内包量のアポリアのもう一つの地帯/Zone――「魂の常住不変性に関するメンデルスゾーンの証明に対する論駁」から諸地帯Zonesへ」の「附論
もっとみるカント『純粋理性批判』/量子重力理論/観測問題
以下が、久保元彦氏最晩年の論考「内的経験」最後の記述である。
「だが本当は、現象形式の探究と、概念にもとづく認識の闡明とが一致する地平に立って、原則を、まずその純然たるすがたにおいて捉えようと努めるのでなければ、カントの思索の精髄を、けっしてかいまみることはできないのだ。」(「内的経験(五)」『カント研究』創文社 1987年 所収 197頁)
カントの目指した「学としての形而上学」は、
Tweet Archives 数学と哲学-形而上学
「とみなすことができる/操作可能性(対応可能性)」は、数学全体(数学の全領域)の指導理念でもある。数学全体の先端部に位置する「圏論」はその理念の結晶体「とみなすことができる」。圏論のまさに最中枢に位置する「米田の補題」は、「対象Aは、「Aに対してAの他のあらゆる対象Xとの関係性を対応付ける操作」とみなすことができる(「Aに対してAの他のあらゆる対象Xとの関係性を対応付ける操作」からAを復元できる)
もっとみる