時空の直観を議論の前提にしながら殆どの哲学者/哲学研究者がそれに無自覚なのは驚きです。最先端物理学(量子重力理論)では時空を理論の背景/前提にできるかどうかが究極の問題になっているのと際立って対照的です。多分殆どの哲学研究者はこれの意味することを理解すること自体難しいと思います。
拙稿『形而上学』のサブタイトルを「この私が今ここにあること」に改訂しました。『序論』「Epigraph」の第二次リライト版(たぶん最終稿に近い)執筆作業を先ほど完了したところです。
私の仕事『形而上学 〈私〉は0と1の〈狭間〉で不断に振動している』は全ての哲学者&哲学研究者はもちろんですが、全ての物理学者&数学者にも読んでいいただきたいと思っています。
かみ砕いて言えば、物理数学の究極課題は「重力と時空の関係性」を完全に定式化すること――完全な量子重力理論の構築――である。周知の様に超弦理論も未完成である→「それは既存の数学では無理かもしれない。次世代の数学に期待すべきなのかもしれない。」――『究極理論への道』米谷民明氏の言葉
クリプキは、現代哲学において「と呼ばれる」(より正確には「呼ぶという関係」)の驚くべきメタレベル性に気づいた極めて稀有な哲学者である。私はその問題を全面的に展開して探究している。なおクリプキの批判するラッセルの確定記述は特定の実在世界の実在性の記述でしかあり得ない。