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歴史あれこれ

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歴史ウラ話集。表の歴史に隠れたような歴史のこぼれ話が大好物です。 妄想や独自の見解話などの収集帳。
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2022年5月の記事一覧

■【より道‐74】戦乱の世に至るまでの日本史_「足利一門」の整理

■【より道‐74】戦乱の世に至るまでの日本史_「足利一門」の整理

足利氏をはじめ、三管領のファミリーヒストリーをざっと、辿ってみると、「足利一門」は、同じ血のつながりのある一族だということをここにきて、ようやく理解することができました。

そこで、足利一門をもう一度、整理しようと思い、まずは、八幡太郎こと、源義家(よしいえ)から辿ってみることにしました。なぜ、八幡太郎かというと、なんとなくです。なんとなくですが、あえて理由をつけるとこういうことです。

岡山県新

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■【より道‐72】戦乱の世に至るまでの日本史_「足利一門」三管領・斯波氏

■【より道‐72】戦乱の世に至るまでの日本史_「足利一門」三管領・斯波氏

征夷大将軍である足利尊氏の補佐役であった「執事」の職は、足利一門の高師直が担っていました。

「観応の擾乱」では、「執事」で婆娑羅大名とよばれていた高師直と、一部の家柄の高い武士たちだけで政事をする足利直義の争いとなりました。

足利尊氏の弟である足利直義は、副将軍と呼ばれ、公家や寺院との交渉事や政事に専念していましたが、それに対抗するだけ「執事」という職は影響力があり、武士の長である征夷大将軍に

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読書感想文~炎立つ

読書感想文~炎立つ

下手すれば四半世紀前になる作品でしょうか(苦笑)。
大河ドラマ「炎立つ(1993~1994)」の原作です。
高橋克彦氏によって描かれた、前九年の役前後から鎌倉時代にかけての奥州藤原氏の興亡を描いた作品です。
5巻までありかなりのボリュームですが、めちゃくちゃ面白い!

物語は、多賀城国府に仕えていた藤原経清の物語から幕を開けます。
平安初期の頃ですね。

経清~北の埋み火、燃える北天、空への炎藤原

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■【より道‐71】戦乱の世に至るまでの日本史_「足利一門」三管領・細川氏

■【より道‐71】戦乱の世に至るまでの日本史_「足利一門」三管領・細川氏

日本史にふれると、細川氏の名を良く見聞きすることがありましたが、正直、興味が全くなかったので頭に留めず、右から左に聞き流して生きてきました。まあ、知っていても、細川元総理大臣が、細川氏の末裔だというくらいでしょうか。

しかし、ファミリーヒストリーを調べるうえで中世、とくに、「応仁の乱」を調べるには、細川氏のことを知らないと語ることができません。今回は、鎌倉から室町の時代に細川氏がどのようにして、

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鬼であることを受け入れたのは、誰より優しい縄文人の末裔・マタギ(又鬼)

鬼であることを受け入れたのは、誰より優しい縄文人の末裔・マタギ(又鬼)

・青森県の白神山地のマタギが営む秘湯宿以前、青森県の白神山地の秘湯に泊まったことがあります。
秘湯の宿を営むのは、マタギの統領であり、山ガイドのご主人。
マタギとは熊狩りをする人たちのこと。でもただ熊を殺すわけではありません。マタギたちは、「熊」を山の神からの贈り物として受け取ります。
そして狩った熊の毛皮、肉、肝などのすべてを大切にいただきます。
熊を狩る際も、狩猟は春先のみ行う、など細かい決ま

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■【より道‐69】戦乱の世に至るまでの日本史_これまでの南北朝問題の整理

■【より道‐69】戦乱の世に至るまでの日本史_これまでの南北朝問題の整理

こじれにこじれた、中世の足利室町幕府。覚える方も大変です。ここで、一度整理したいと思います。

十二ラウンドもあると、わけがわからいです。もうすこしまとめてみると、以下のようなながれでしょうか。

もうすこし、要約すると、、こんな感じでしょうか。

この流れなら何とか覚えられます。不屈の男、後醍醐天皇の皇位継承、公家一統の執念は、後醍醐帝亡きあとも、その意思をついで多くの人がなくなりました。

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本名は「忌み名」だった

本名は「忌み名」だった

武将の名前ってややこしくないですか?

現代のように名字と名前だけのシンプルなものではなく、何やら長々としています。実はそれらフルネームの中に、氏素性までが表されていました。

そんな武将たちの名前の意味を、整理してまとめてみました。

フルネームには複数の情報があったたとえば有名な戦国三英傑を例にとってみます。
それぞれのフルネームは以下の通りです。

織田信長ー平朝臣織田三郎信長
豊臣秀吉ー豊

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梶原から源氏山  散歩〜Kamakura 3

梶原から源氏山 散歩〜Kamakura 3

この道は地元人の山ごえ。
地味ですが、休日でも人は少なめ。

梶原から源氏山に向かい、山の頂上の葛原丘神社でお参りをし、北鎌倉方面に山をおります。

梶原は梶原景時の邸宅があった地名。
鎌倉駅からは西へバスで20分ほど。住宅街で観光の方向けの名所はありませんが落ち着く道。

大河ドラマにも登場する梶原景時については、note界の歴女の名士、千世さんの記事にわかりやすく書かれております。

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