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原稿用紙二枚分の感覚

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「原稿用紙二枚分の感覚」の応募作や関連する記事をまとめています。
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#小説

祖父の想いで

祖父の想いで

それは夢だと解っていた。
家の中は橙色の裸電球でも暗く、まるで停電の蝋燭のような儚い灯りの中にいた。なのに、奥の襖を開けると途端に明るく、日が照っていて眩しいくらいの夏が覗いた。
一歩前に出ればそこは外で、さっきまでの陰鬱な屋敷内が嘘のようで、それが夢なのだと解った。壁を透かして見ているような、そんな映像が目の前に、とにかく眩しく、照明を間違えて調節したような、目を開けていられないくらいの光で、慣

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❝G❞から❝A❞までの道

❝G❞から❝A❞までの道

とうに夜半は過ぎた。雨の中、夜会服を着た仕事帰りの女が傘も差さずにアジトの前で立ち尽くしている。無理も無い、自分の相棒が正門の鉄柵に串刺しにされていたとあっては。おれは植え込みから飛び出して、彼女の悲鳴に紛れて距離を詰める。背後からウィスキーの瓶で後頭部に一撃、咄嗟の防御も間に合わずに化粧崩れの殺し屋は頭を割られてくずおれた。殺し屋の表情は読み取れない。おれは死の淵から這い上がる代償に自分の感情を

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掌編小説『水色スイマー』

 ゴーグルを通してみる水底は肉眼で見るのと妙に遠近感が違う。
 俺はクロールで五十メートルプールの中程まで息継ぎなしで泳ぐ。手足の先からピリピリと酸素が抜けていく。限界に達した時、水面から最小限の動作で息継ぎをする。一気に肺が膨らむ感覚がした。
 五十メートルプールの端までたどり着くと、俺は勢いよくプールから上がった。吹きすさぶ風が、もう六月になるというのにどんどん体温を奪っていく。もちろん下半身

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海底に、月

海底に、月

毎日のように、深夜に目が覚める人魚がいた。辺りは暗く、さかな一匹も起きていない。落ち込んだ様子でため息をついている。

泡となり、しばらくフワフワと浮かんでは、すぐに割れた。それを目で追ったあと、海藻のあいだをスイスイとかきわけるように泳ぎだしている。

岩場に着くと、透明なブルーにまばゆい光が差し込んできた。

「みんなには怒られるけど、これを見ないと眠れないのよね」

視線の先には、溶けている

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【掌編小説】おもいで

 白く乾いた茶色い土に、ぽとり、ぽとりと。黒いしみが落ちていた。

「ちょこれーとだ!」

 女の子が言う。

「かのちゃん、ちょこ、れぇ、と!」

 女の子がしゃがんだ。

「かのちゃん!」

 ひかりを受けてふわふわ揺れる、か細く短く逆立つほつれ毛。女の子のうしろ頭と、黒いしみ。

「かのちゃん!ほら!」

 腰を折って、目をしみに近付けた。じんわりと、ふっくらと、縁から盛り上がり、縁から剥

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[掌編小説]「K」の空間#原稿用紙二枚分の感覚

[掌編小説]「K」の空間#原稿用紙二枚分の感覚

建物の前には「K」の形のプロダクト。ギィ、と鳴るのは重い扉。漂うのは白ワインのコロンの香り。そんなお部屋にお邪魔します。扉、ガタン。

香りの先には笑みを浮かべた白髪老婆。受付カウンターの天板はテカテカで。そこに両手を添えて待っていた。

呪文が聞こえた。フランス語。

手を突っ込む。ひんやりとしたコロナコイン。ポケットの中ジャラジャラしてる。3枚掬って老婆の手元に。脇から垂れる酸っぱい汗。

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黎明 #原稿用紙二枚分の感覚

黎明 #原稿用紙二枚分の感覚

 見上げたところにちょうど、夏の大三角形が輝いていた。ミルクを撒いたような天の川が浮かぶのはそこだけで、あとは闇に溶けている。今夜は雲が多い。

 海に出てからの時間をメモしていたが、記録したのは昨日まで。フェルディナンの手帳は、胸ポケットに仕舞われたままだ。

 冷たい空気が吐息を視覚化させる。淡い星明かりのもとでは、それを見られるのも鼻先くらいまでだ。暗闇の勢力はそれほど大きい。籐で編まれたゴ

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友情よ今いずこ

友情よ今いずこ

 コワルスキーが仕事場で本日18人目を切り分けていると、特別室のザッパーから呼び出しを喰らった。
「アンダーの連中とつるんでちゃあ、もうおしまいだよな」ザッパーは一枚の写真を、処刑器具のような指でつまんでいた。
「……殺すのか」コワルスキーのくたびれたブーツが、赤い絨毯の長い毛に溺れかけている。
「チャンスを掴め。カミさんを死なせたくなけりゃ、始末は自分で付けてこい」ザッパーは必要な道具を投げてよ

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色は廻る

 数日前まで微かな呼吸音だけが響いていた古い和室には、いまは黒い服に身を包んでいる者だけが十人ほど集まり、それぞれの話し声が一つのざわめきになって家の空気を振動させていた。

 長テーブルの端に座っている少女は、隣にいる母の顔を時折のぞき込むように見ると、それから正面を向いたり、木目を目でなぞったりしていたが、やがて縁側の向こうで視線を落ち着かせた。

 縁側の向こうにある庭は、八月の太陽のくっき

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長い髪 #原稿用紙二枚分の感覚

長い髪 #原稿用紙二枚分の感覚

「お母さん!お母さん、いないの?」

半泣きで走って帰った家は空っぽで、帽子とランドセルを乱暴に玄関先に投げ込むと、由美子は斜向かいの山田家に走った。

5月にしては暑い日で、山田の叔母さんは風を通すために玄関のドアを開け放っていた。玄関先には母のサンダルが並べられていて、奥の居間からは良く通る母の声と山田の叔母さんの笑い声が聞こえていた。

「お母さん!」

まるで自宅かのように靴を脱ぎ捨て、挨

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アスファルトの上の陽炎(ショートショート)

アスファルトの上の陽炎(ショートショート)

歩いても歩いても景色は変わらなかった。
右手に広がる青々とした田んぼ。前方に佇む山は霞んで見えた。
目の前のアスファルトは山に吸い込まれるように一直線に伸びていた。
ジ、ジジジーィ!
油蝉の鳴き声が尻すぼみに止んだ。
アスファルトには木の影が黒々と刻印されていた。
汗が左頬を伝わる。
左の眼下に白い砂のグラウンドが現れた。大学野球の練習場だ。
僕はカバンを置くと、捕手の人形のキーホルダーが躍った。

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『この道を進む』

『この道を進む』

 職員室を出ると表でアユムが待っていた。
「お疲れ、だいぶ絞られたみたいだね」
 俺は白紙の進路希望調査を彼に突き付けてみせる。
「何でもいいから書いて出せ!」
「……何それ、先生のモノマネ?」
「似てなかったか」
 相棒は笑って帰り道を歩き出す。
「進路希望って言われてもなあ」
「ごめんな。僕がもっといいキャッチャーだったら、ワタルは甲子園のスターだったかもしれないのに」
「は?」
「ワタルが大

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目覚める前もずっと暗い

目覚める前もずっと暗い

 夢の中でだけれど、初めてバラの花束をもらった。青いのを三本、リボンで結んだ小さな花束だ。八重咲の花びらには蛆が這っていて、でも、とても良い匂いがする。
 棘の部分がむき出しのままだから、無理に握らされるとすごく痛い。渡してきた相手の手も血塗れで、きっと彼も同じくらいに痛かったはずだ。これでおあいこということには、けしてならないけれど。
 私と彼が初めて会ったのは子どものころで、やはり眠っていると

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掌編小説 お弁当

掌編小説 お弁当

 週5日勤務のうち4日は訪れていた定食屋が、とうとう臨時休業の貼り紙を掲げやがった。
 さほど高くなく、もちろん美味くって、ご飯のお替わりが無料で、平らげたあとも追い出す雰囲気を醸し出すことなく、ぼんやりと本を読んでいられるランチの店は近場ではここしかなった。

 仕方がないので街を行きつ戻りつうろつき歩き、適切なランチの店を探し求める。探せ、この世のすべてをそこに置いてきた、とかつぶやきながら。

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