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Chie_Matsui
2024年7月15日 16:26
月曜日は、プラスチックなどの再生ゴミを出す日だ。目が覚めると、今日はどのゴミを出さないといけないかが、頭をよぎる。祝日でもゴミ出しと回収は、必ずきちんと行われる。年末年始を除いて。 私の住んでいるところでは、一週間に五日ゴミの回収がある。分別回収がきっちりしているので、うっかり間違った種類のものを出すと、帰宅する頃にまだ残っていて、どこか気恥ずかしい。どの日も同じ時間に回収に来てくれると
2024年6月22日 18:59
先日、久しぶりにフェスティバルホールの演奏会へ足を運んだ。読売日本交響楽団が、ワーグナー、ブライス・デスナー、ウェーバー、ヒンデミットと多彩な演奏を繰り広げた。指揮者、演奏家共に優れて今人気のある方だったのだろう、会場はほぼ満席だった。 フェスティバルホールのホームページを見ると、「天から音が降り注ぐ」とある。しかし、残念ながら改装してからのフェスティバルホールでそのような音をまだ経験し
2024年6月15日 14:37
友人の展覧会を観に、西へ西へ。海際にある木造の倉庫は、梅雨の狭間の夏日の陽射しからホッと一息、ひんやりと心地よい。坂を少し降りると、そこはすぐ、海。瀬戸内海だ。地元の子供たちがあそんでいる。簡単な装備で海に入る。何年ぶりだろう、もしかすると、10年くらい前か?水温は暖かく、こんなに身体が浮くのが不思議だった。長い間忘れていた感覚。波打ち際で上を向いてずっと空を見る。少し曇ってきたがち
2024年6月9日 18:26
少し蒸し暑い日曜日の夕方、ガク紫陽花の色は少し燻んでいる。 お昼間から、亡き友人のお母さんと、ビデオを見ながら5時間ほどおしゃべりをしていた。少しづつ内容は変わってきたが、最終的に繰り返されるエピソードがいくつかに絞られてきた。様々な人間との悔しい思いや怒りが含まれている。変わらないのは、娘である亡き友人の苦労の数々と、賞賛。娘を自分より早く亡くした喪失感は、私にはわからないが、もっと生き
2024年6月5日 22:52
このところ、大きな展覧会にかまけてギャラリーの展覧会を忘れている。人との付き合いも、大きな集まりやSNSの追い打ち広報に目を取られ、自分が大切にしているものほど、最後尾に回って忘れてしまうことも度々ある。仕事とプライベートが分かれているのかいないのか、考えても仕方がない。 作品は、誰かのためだけに作るものではないので、境界の形は常に変わる。長年お世話になっている映像作品の編集長よりおすすめの
2024年6月1日 13:11
五月の最終週は、どこかチグハグでやる気の起こらない週だった。今日は六月一日。空は晴れて明るく爽やかな土曜日明るければ、明るいほど気持ちは後ろへ引っ張られていくような朝。今年の太陽の軌道は、もう半分進んだ処に向かっている。 よく晴れた水曜日の平日の10時半ごろ、一人広い会場に座り、私はただ作品をぼーっと見ていた。 中之島美術館で開催中の「没後30年 木下佳通代展」を観に行った。
2024年5月16日 19:11
あれは、2012年だったと思う、彼女のバレエ教室のオープンクラスに初めて行ったのは。 教室は同年代の友人の学校で、家から徒歩8分のところにあった。教室は高槻と茨木にもあり、彼女はあっちもこっちも移動して教えていた。バレエ教室というと、とても豪華な雰囲気を想像するかもしれないが、家の近くのスタジオは広いが冬は寒く夏は暑い。更衣室など気の利いたものはなく、必要最低限の設備だった。 はじめは
2024年5月9日 18:34
今日は五月九日だ。4月の終わりの週から、三日間の連休が始まった。三日間の平日を挟んで今度は四日間の連続休暇。 「昭和の日」「憲法記念日」「みどりの日」「こどもの日」「振替休日」それらに土曜日曜が加わって、カレンダーは赤い文字がずらっと並ぶ。今年は、各地で観光客が再び桜を愛で、日本のハイ&アサブカルチャーを楽しみ、お土産をいっぱい手にして楽しそうな風景が続いていた。 一年前は、まだ
2024年4月25日 19:02
作品を持ち帰って倉庫に入れる作業と掃除で、昨日は終わった。いつも通り「浦島太郎症候群」が始まる。 作品とそれにまつわる言葉で埋まっていた7ヶ月間の日常から、徐々に離れていく感じがしている。でも、まだ身体はあの鏡ように、どこかに置き去りにされた感じがしている。絵の中なのか。それとも時間の中なのか。言葉の中なのか。 今回は、ギャラリーの工房で制作していたので、規則正しく出勤していた。
2024年4月17日 17:13
個展も残すところあと四日始まった頃は寒くて雨が多い三月の終わりお客様もダウンコートを着て暖かいお茶を出していた。昨日も今日もどんどん陽射しが強くなり半袖でもいいくらいの午後桜のことを忘れてしまうにはまだ早いか?昨年末から四ヶ月間、同じルーティンを繰り返してきた。一日一日が絵の具と一緒に層になり季節の時間とは異なった時を過ごしてきた最終日は輪唱のよ
2024年4月14日 14:43
風柔らかく花びらはゆっくり落ちてゆく。夏将軍は幕間で準備に余念がない。「さて、今年の春の踊り子たちもよく舞ってくれることよ」と、冬将軍は重い衣装をぬいで汗を拭う。少年たちはボールを投げる蹴る打つ「結婚おめでとう」と少年たちはゲームの画面を見ながら和気藹々そろそろ虫たちも動き出し、晴れた空に羽虫も踊る。南の国では秋の姫が山登りを始めたと、鳩が告げて飛び立った。©️
2024年3月22日 09:46
「その道に入るんやったら、親や家族の死に目には会えぬと思え」「頂いたお座敷は断るべからず」とは、卒業後に亡父が言った言葉。流石に、年齢と共にペースが変わり最近は、時々お断りすることが出てきた。 時代遅れに響く今日頃ごろだけれども、確かに父はそのような生き方をしていたなあと思い出した。決して善人ではなかったし、裏も表があるええかっこしいのところを、私は見事に受け継いでいる。と思えば、母の田舎風
2024年3月2日 14:23
先日、とても懐かしい友人とオンラインで会った。10年以上、いやもっと長い間合っていなかったかもしれない。その間メールニュースで自分の活動を送ってくれていた。彼女の紡ぎ出す表現はどのようなものであれ、いつも自然な慈愛に満ちている。メールの最後に、いつも”Sunny Love”と記されたその一言で、ほっとすることが度々あった。だから、時々サイト見たりして思い出していた。画面に
2024年2月24日 15:50
連休土曜日の午前は雨も上がって、自転車で眼科医へ検診に行く。来月には個展を控えているので、平日に行くことがなかなかできない。仕事に出ている殆どの人はそうなのだと思い、混んでいても仕方ないと待合のソファで珍しく本を読む。 このところ、左の眼の端が瞬時、眩しくなるときがある。目を使う仕事なので、画面の見過ぎが応えているのだろうか。痛みはないが、半年ぶりに、瞳孔を開いた状態にして、眼の奥まで観て