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Chie_Matsui
2024年4月25日 19:02
作品を持ち帰って倉庫に入れる作業と掃除で、昨日は終わった。いつも通り「浦島太郎症候群」が始まる。 作品とそれにまつわる言葉で埋まっていた7ヶ月間の日常から、徐々に離れていく感じがしている。でも、まだ身体はあの鏡ように、どこかに置き去りにされた感じがしている。絵の中なのか。それとも時間の中なのか。言葉の中なのか。 今回は、ギャラリーの工房で制作していたので、規則正しく出勤していた。
2024年4月17日 17:13
個展も残すところあと四日始まった頃は寒くて雨が多い三月の終わりお客様もダウンコートを着て暖かいお茶を出していた。昨日も今日もどんどん陽射しが強くなり半袖でもいいくらいの午後桜のことを忘れてしまうにはまだ早いか?昨年末から四ヶ月間、同じルーティンを繰り返してきた。一日一日が絵の具と一緒に層になり季節の時間とは異なった時を過ごしてきた最終日は輪唱のよ
2024年4月14日 14:43
風柔らかく花びらはゆっくり落ちてゆく。夏将軍は幕間で準備に余念がない。「さて、今年の春の踊り子たちもよく舞ってくれることよ」と、冬将軍は重い衣装をぬいで汗を拭う。少年たちはボールを投げる蹴る打つ「結婚おめでとう」と少年たちはゲームの画面を見ながら和気藹々そろそろ虫たちも動き出し、晴れた空に羽虫も踊る。南の国では秋の姫が山登りを始めたと、鳩が告げて飛び立った。©️
2024年3月22日 09:46
「その道に入るんやったら、親や家族の死に目には会えぬと思え」「頂いたお座敷は断るべからず」とは、卒業後に亡父が言った言葉。流石に、年齢と共にペースが変わり最近は、時々お断りすることが出てきた。 時代遅れに響く今日頃ごろだけれども、確かに父はそのような生き方をしていたなあと思い出した。決して善人ではなかったし、裏も表があるええかっこしいのところを、私は見事に受け継いでいる。と思えば、母の田舎風
2024年3月2日 14:23
先日、とても懐かしい友人とオンラインで会った。10年以上、いやもっと長い間合っていなかったかもしれない。その間メールニュースで自分の活動を送ってくれていた。彼女の紡ぎ出す表現はどのようなものであれ、いつも自然な慈愛に満ちている。メールの最後に、いつも”Sunny Love”と記されたその一言で、ほっとすることが度々あった。だから、時々サイト見たりして思い出していた。画面に
2024年2月24日 15:50
連休土曜日の午前は雨も上がって、自転車で眼科医へ検診に行く。来月には個展を控えているので、平日に行くことがなかなかできない。仕事に出ている殆どの人はそうなのだと思い、混んでいても仕方ないと待合のソファで珍しく本を読む。 このところ、左の眼の端が瞬時、眩しくなるときがある。目を使う仕事なので、画面の見過ぎが応えているのだろうか。痛みはないが、半年ぶりに、瞳孔を開いた状態にして、眼の奥まで観て
2024年2月22日 19:16
ベルリン国際アート映画祭長編最高賞を受賞した『道 パッサカリア』。伴田良輔さんの作品を初めて知る。関西方面で上映されないだろうか。ウクライナのダンサーの名前に続いて、針山愛美さんや最上和子さんの名前も見える。 ダムタイプその他の多彩な音楽活動で知られる山中透さんも、音楽を担当し、イタリア映画賞のサウンドトラック賞を受賞。旧知でありながら、現在の山中さんの音楽と伴田さんの映像は予告編を
2024年2月14日 21:53
栗が胡桃に問う私もあなたも、もうすぐ枝からもがれるのね。そうよ栗のあなたは、体の周りにたくさんの針をつけているわね。ええ、だから私は地面におちたところを拾われるの。あなたによく似た生き物が海にもいるって、カモメが言っていたわ。あなたの何倍もの長さの、ピカピカの棘を持っているそうよ。あら、それは初耳ね。私に似た生き物が海にいるなんて。そもそも、私たち、海を見たことがあるかしら
2024年1月31日 15:34
もうすぐ、京都市京セラ美術館で村上隆さんの展覧会が始まる。滅多に日本では見ることのできなかった、あの強力な作品が並ぶのだろう。とても楽しみだ。嵐の前触れのように、節分祭を前に、古都は静まり返っているような気がする。否、数多くの美術大学の卒業展でそれどころではないのか。 村上隆さんという作家はは日本現代美術界の「踏み絵」なのかと思う時がある。作品の好みや噂の数々を聞くと、決して物分かりが
2024年1月28日 16:25
ちゃありい茹でた卵をお前は食べた揺れる白身が殻の中から現れただろうその中にはまん丸の黄色い球体一羽の鶏を食べたのはちゃありい、お前だほら冷蔵庫の中で十羽の鶏が出番を待っている。祝祭の前は卵も産みの親も大忙しだインフルエンザにかかって命を落とすなかれちゃありいお前は、ただ鶏を食らうお前は謙虚を美徳とし貧しくも心清らかに美の求道者であろうとしたのか清貧とアヴァンギャルド
2024年1月20日 18:33
「置き去りにされた鏡」 今朝、鏡の前に立っていた。「幕間」と「鏡」この二つのタイトルの間を行ったり来たりの日々が続き、私はほうっと息を吐く。鏡の表面は少し曇り、寝ぼけた老女の顔が映っている。その背後には緑の引き出しと、描きかけの絵に洗濯物。手にしたスマートフォンで反転した自分を撮影する。 インスタレーションの作品から「picture」にスピンオフしてしばらく経つ。私は物語や記憶の
2024年1月11日 19:10
「幕間」と「鏡」この二つの間で制作がとどこっている。「幕間」は一昨年前から昨年にかけて、”picture”つまり私にとっての制作媒体である絵、写真、動画、それらを全て指し示す言葉の中に現れた空間だった。インスタレーションの作品からスピンオフしてしばらく経つ。私は物語や記憶の発生装置として、インスタレーションの構造を作っていたから、 記憶の瘡蓋を剥がし続け、物語=ナラティブの闘争が重苦しくのしか
2024年1月11日 17:59
みにくさと うつくしさの 間には 境界線はないがそこに幕間がある幕は薄い陽炎のベールのようでもあり、暖かい獣の毛布のようであり、重厚な織物の絨毛のようでもあり、柔らかな毛並みの絹のドレスのようであり、光を反射する鏡が無数に縫い付けられているかのよう。素直に水平に、この世界とあの世界の間を仕切る重い膜。舞台袖に座って見上げれば、閉じた空からパラレルに張られた厚い膜がおり来る。演者は
2024年1月8日 11:11
昨晩は嵐のような木々のざわめきと屋根にバラバラと落ちる音で目が覚めた。寒さが増したので、猫のように布団に潜り込んで眠る。いつもよりも、遅い時間に目覚め、カーテンを開けると、一面が真っ白だった。空は明るい水色に晴れて、遠くの梢はすっかり白い点描のよう。久しぶりに見た雪景の朝。ふと気づけば、あたふたと年末年始に頭をよぎってきたことばたちが、地面に着地せず、チラチラと舞う粉雪のように空中に浮かんで