制作後の虚
今日は五月九日だ。
4月の終わりの週から、三日間の連休が始まった。
三日間の平日を挟んで今度は四日間の連続休暇。
「昭和の日」「憲法記念日」「みどりの日」「こどもの日」「振替休日」
それらに土曜日曜が加わって、カレンダーは赤い文字がずらっと並ぶ。
今年は、各地で観光客が再び桜を愛で、日本のハイ&アサブカルチャーを楽しみ、お土産をいっぱい手にして楽しそうな風景が続いていた。
一年前は、まだソロソロと少し用心しながら、イベントが始まって海外との往来が再開された頃か。
先月の二十日に個展が終わリ、翌週は片付けと作品の返却。あっという間にギャラリーの中は何事もなかったかのように跡形もなく、私の展覧会は見えなくなった。展覧会は、それ自体がインスタレーションなのだ。絵画であろうと、立体であろうと、ある一定期間のみの仮設を謳歌する。
知らぬ間にゴールデンウィークになり、今まで定刻にギャラリーに通っていた生活が、ポ・カ・ンと意味が剥がれたようなものに変わってしまった。「おうし!今日は思いっきりドラマを観るぞ」と思っても、瞼がすぐ覆い被さり季節を楽しみに戸外へ行く活力もない。展覧会ごとに、毎回鈍重な感覚と疲労は二週間後にやってくる。
まだ厚みのあるコートやシャツ、毛糸の靴下や帽子が見えることころに転がっている。そう、冬の間はほとんど作業着で過ごした様なものだ。
だんだんと日差しが長くなってきて、今では真っ暗で寒さが押し寄せてきた時間は赤々と夏の気配を感じさせている。
春分の日が知らぬ間に去り、夏至に向かう営みの数々。
夕餉の支度を終えて陽が落ちると、すっかり夜が更けていく。
置き去られたのは、鏡のはずだったが、私が彼の地に置き去られているようだ。ここは、私の家なのだろうか、あるいはあの不思議な期間に入り込んで鏡の向こうに映っていた、もう一つの家なのだろうか。
この場所では、私の役割は何なのだ。
ただ、腹をすかして飯を食い、眠るだけ。
寝言を言う猫が待っている。
©️松井智惠 2024年5月9日筆
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