Chie_Matsui

本業は美術家です。絵を描いたり写真を撮ったりしながら、時おり文字を書いたりします。 日…

Chie_Matsui

本業は美術家です。絵を描いたり写真を撮ったりしながら、時おり文字を書いたりします。 日々の戯言から、活動中に書いた文章や推敲中のものなどをここに掲載していきます。 どうぞお楽しみください。 https://www.chie-matsui.com/home/

マガジン

  • 手紙「桃源郷通行許可証」

    発表する時は、画廊や美術館、その場に関わる方々と今やメールでのやりとりがほとんどになりました。フォルダーの中に埋れてしまいがちな、思いを書いていきます。

  • 人生上等

    「どうして期日前にならないと、制作できないのか」 自分に甘く他人に辛くを戒めるべく、日常のさめざめを呟きます。

  • 今日の戯言

    ふと思いをよぎることを、メモのように気楽に書いています。

  • 展覧会の扉

    noteでも自分が参加、出品している展覧会や、気になる展覧会をお知らせしようかなとマガジンを作りました。

  • ポエム

    気恥ずかしい、言葉遊びの数々です。 自己表出など、終えたつもりでいましたが、黒鍵を叩いているようにキーボードを打っていると、何か出てきて本人もびっくり!

最近の記事

「青蓮丸西へ、その前のお話」

 風がヒューヒューという音から、ごうごうという音に、急に変わりました。「シロや、海の上の風は上からも下からも、右からも、左からも吹いてくる。お前は寒くないのかい」「私は、北の国生まれなのを、ご主人はお忘れになって。それより、お身体に触ります」。と、シロは、フカフカのお腹で、ご主人の身体を隠して温めました。  青蓮丸は、舟を操るのが、上手でしたが、寒さにはかないません。「うさぎのチョッキを、阿倍野の原っぱに、忘れてしまったよ」澄みきった海が、みるみる鈍色に変わっていきます。舟

    • 音像2

       先日、久しぶりにフェスティバルホールの演奏会へ足を運んだ。 読売日本交響楽団が、ワーグナー、ブライス・デスナー、ウェーバー、ヒンデミットと多彩な演奏を繰り広げた。 指揮者、演奏家共に優れて今人気のある方だったのだろう、会場はほぼ満席だった。  フェスティバルホールのホームページを見ると、「天から音が降り注ぐ」とある。しかし、残念ながら改装してからのフェスティバルホールでそのような音をまだ経験したことがない。ホールは広く、演奏会場のフロアも広いので、視覚が邪魔になる。目を瞑

      • はつうみ

        友人の展覧会を観に、西へ西へ。海際にある木造の倉庫は、梅雨の狭間の夏日の陽射しからホッと一息、ひんやりと心地よい。 坂を少し降りると、そこはすぐ、海。瀬戸内海だ。 地元の子供たちがあそんでいる。 簡単な装備で海に入る。 何年ぶりだろう、もしかすると、10年くらい前か? 水温は暖かく、こんなに身体が浮くのが不思議だった。長い間忘れていた感覚。波打ち際で上を向いてずっと空を見る。少し曇ってきたがちょうどいい。 波の音と遠くの舟のエンジンの音。 暑い夏がこれから始まる。こと

        • 日曜日

           少し蒸し暑い日曜日の夕方、ガク紫陽花の色は少し燻んでいる。  お昼間から、亡き友人のお母さんと、ビデオを見ながら5時間ほどおしゃべりをしていた。少しづつ内容は変わってきたが、最終的に繰り返されるエピソードがいくつかに絞られてきた。様々な人間との悔しい思いや怒りが含まれている。変わらないのは、娘である亡き友人の苦労の数々と、賞賛。 娘を自分より早く亡くした喪失感は、私にはわからないが、もっと生きていてほしかったという思いと悲しみは伝わってくる。 思い出話と現状への不満が交

        「青蓮丸西へ、その前のお話」

        マガジン

        • 手紙「桃源郷通行許可証」
          10本
        • 人生上等
          55本
        • 今日の戯言
          49本
        • 展覧会の扉
          19本
        • ポエム
          10本
        • 気儘な箱入りエッセイ
          31本

        記事

          音像

           このところ、大きな展覧会にかまけてギャラリーの展覧会を忘れている。人との付き合いも、大きな集まりやSNSの追い打ち広報に目を取られ、自分が大切にしているものほど、最後尾に回って忘れてしまうことも度々ある。仕事とプライベートが分かれているのかいないのか、考えても仕方がない。  作品は、誰かのためだけに作るものではないので、境界の形は常に変わる。長年お世話になっている映像作品の編集長よりおすすめの連絡が来る。久しぶりの映画館。 音像と端正な映像は、実在したこと、かつてそこに

          私は知っているか

           五月の最終週は、どこかチグハグでやる気の起こらない週だった。 今日は六月一日。 空は晴れて明るく爽やかな土曜日 明るければ、明るいほど気持ちは後ろへ引っ張られていくような朝。 今年の太陽の軌道は、もう半分進んだ処に向かっている。  よく晴れた水曜日の平日の10時半ごろ、一人広い会場に座り、私はただ作品をぼーっと見ていた。  中之島美術館で開催中の「没後30年 木下佳通代展」を観に行った。  木下佳通代さんは、画廊で作品を発表しているときは、必ずいつも観にきて下さった

          私は知っているか

          「他の画家など気に留めないであろう雪舟」

           気になっていた、京都国立博物館の「雪舟伝説」=雪舟とその仲間たち展へ、最終日前日に観にいく。  雪舟の作品が少しばかり。  国宝の出品が目玉なのでしょうか。  企画意図が見えない展覧会だった。  もちろん、雪舟の作品は、良いものでした。  しかしながら、展示作品のほとんどは、その後活躍する光琳、等伯、蒼白、若冲などなど、綺羅星の如く著名な画家が模写した雪舟の作品がやたらと並ぶ。自ずと全体の質が高いのは、当たり前。しかし、いっこうにときめかず。私の感性が老化したのか。と

          「他の画家など気に留めないであろう雪舟」

          ballet-tombé

           あれは、2012年だったと思う、彼女のバレエ教室のオープンクラスに初めて行ったのは。  教室は同年代の友人の学校で、家から徒歩8分のところにあった。教室は高槻と茨木にもあり、彼女はあっちもこっちも移動して教えていた。バレエ教室というと、とても豪華な雰囲気を想像するかもしれないが、家の近くのスタジオは広いが冬は寒く夏は暑い。更衣室など気の利いたものはなく、必要最低限の設備だった。  はじめは土曜日の午前中に通い出したが、気がつくと平日の夜も含め週二日間通うようになってい

          ballet-tombé

          制作後の虚

           今日は五月九日だ。 4月の終わりの週から、三日間の連休が始まった。 三日間の平日を挟んで今度は四日間の連続休暇。  「昭和の日」「憲法記念日」「みどりの日」「こどもの日」「振替休日」 それらに土曜日曜が加わって、カレンダーは赤い文字がずらっと並ぶ。 今年は、各地で観光客が再び桜を愛で、日本のハイ&アサブカルチャーを楽しみ、お土産をいっぱい手にして楽しそうな風景が続いていた。  一年前は、まだソロソロと少し用心しながら、イベントが始まって海外との往来が再開された頃か。

          制作後の虚

          「個展が終わり雑記」

          作品を持ち帰って倉庫に入れる作業と掃除で、昨日は終わった。 いつも通り「浦島太郎症候群」が始まる。  作品とそれにまつわる言葉で埋まっていた7ヶ月間の日常から、徐々に離れていく感じがしている。 でも、まだ身体はあの鏡ように、どこかに置き去りにされた感じがしている。 絵の中なのか。それとも時間の中なのか。言葉の中なのか。  今回は、ギャラリーの工房で制作していたので、規則正しく出勤していた。帰宅するとホッとするなんて当たり前なのに、その感覚はとても新鮮で、とうに忘れてた

          「個展が終わり雑記」

          あと四日

          個展も残すところあと四日 始まった頃は寒くて雨が多い三月の終わり お客様もダウンコートを着て 暖かいお茶を出していた。 昨日も今日もどんどん陽射しが強くなり 半袖でもいいくらいの午後 桜のことを忘れてしまうには まだ早いか? 昨年末から 四ヶ月間、同じルーティンを繰り返してきた。 一日一日が 絵の具と一緒に層になり 季節の時間とは異なった時を過ごしてきた 最終日は輪唱のような朗読をする 123枚の積層した時間を 声によってときほぐして 春の夜に

          春、日曜午後

          風柔らかく花びらはゆっくり落ちてゆく。 夏将軍は幕間で準備に余念がない。 「さて、今年の春の踊り子たちもよく舞ってくれることよ」と、 冬将軍は重い衣装をぬいで汗を拭う。 少年たちはボールを 投げる 蹴る 打つ 「結婚おめでとう」と少年たちはゲームの画面を見ながら和気藹々 そろそろ虫たちも動き出し、晴れた空に羽虫も踊る。 南の国では秋の姫が山登りを始めたと、鳩が告げて飛び立った。 ©️松井智惠  2024年4月14日筆

          春、日曜午後

          画廊のお店番の日々

          個展が始まって、明日で二週間。 4月もどんどん日にちが過ぎて、すっかり桜が満開に近くなった。 1日に、そんなにたくさんのお客さまが来られるわけではないのだが、 いらっしゃった方は、じっくり作品を見てくださっている。 鏡を突き抜けた架空の場所を設定し、そこでは生者も死者も、その二つに分別することのできない両義性を含んだ輩がモノタイプの紙片となってあちこちで蠢いている。  透明度の高い色彩にしたので、どの画面も軽く明るい。  あの苦しさも、不甲斐なさも、何もかもなかったよう

          画廊のお店番の日々

          「置き去られた鏡」展

          明日から、いよいよ個展が始まります。  ほとんど展示が終わった会場に収まった作品は、今日までは私が独占して見ることができます。今は一番贅沢で、緊張が抜けてきた時間かもしれません。展覧会がいざ始まると、観客の視線に作品は耐えなければならないのです。  昨年の八月頃から、会場になるギャラリーノマルの工房で作り始めた、モノタイプの版画。最初は月に二回くらい通ってテストアンドエラーを繰り返しつつ、秋を過ぎて冬になった頃には、月に4回工房人入り、今年に入ってからは、週に二、三日工房

          「置き去られた鏡」展

          阿倍野のご老師

           「その道に入るんやったら、親や家族の死に目には会えぬと思え」「頂いたお座敷は断るべからず」とは、卒業後に亡父が言った言葉。流石に、年齢と共にペースが変わり最近は、時々お断りすることが出てきた。  時代遅れに響く今日頃ごろだけれども、確かに父はそのような生き方をしていたなあと思い出した。決して善人ではなかったし、裏も表があるええかっこしいのところを、私は見事に受け継いでいる。と思えば、母の田舎風味の割り切れなさも、しっかりあるので、都会の田舎暮らしも自然の成り行きなのかもし

          阿倍野のご老師

           「置き去られた鏡」へのイントロ

          「鏡を貸してくれ。もし息で表が曇るなら,それなら,これは生きているのだ」  狂乱に陥ったリヤ王の悲惨な最後に出てくるこの一節がもたらす事象をすっかり私は忘れていた。銭湯の鏡でどれだけ遊んだことだろう。まさに息を思いきり吹きかけて、広がる曇りが消え去る前に急いで指で絵を書いたのだ。「鏡」の役割りはいつしか私を映すものに変わり、シャッターを押す暗箱の中に入り、世界を写すことに変わっていった。 コーデリアに差し出された鏡 そう、幾多の鏡が世界中に細かな破片も含めて一体いくつ

           「置き去られた鏡」へのイントロ