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 「置き去られた鏡」へのイントロ


「鏡を貸してくれ。もし息で表が曇るなら,それなら,これは生きているのだ」
 
 狂乱に陥ったリヤ王の悲惨な最後に出てくるこの一節がもたらす事象をすっかり私は忘れていた。銭湯の鏡でどれだけ遊んだことだろう。まさに息を思いきり吹きかけて、広がる曇りが消え去る前に急いで指で絵を書いたのだ。「鏡」の役割りはいつしか私を映すものに変わり、シャッターを押す暗箱の中に入り、世界を写すことに変わっていった。
 
コーデリアに差し出された鏡
そう、幾多の鏡が世界中に細かな破片も含めて一体いくつあるのだろう。
あの鏡は、あの場所に置かれたままだ。
 
置き去りにされた鏡は曇っていないか。
それとも磨き上げられているか。
映されるものを待っているのか。
否、置き去られた鏡はいつも、
彼の国での出来事や私の心を映し続けている。

記憶熱にうなされた翌朝は、鏡の前で息を吐いてみるといい。
鏡が映し続けた記憶は置き去られることはなく
吐息は蜃気楼となり、その中に消え去る。
 
映るものも、映されたものも、ただそこにある。
 
意味もなく口ずさむ名前を、音にしてみようか。
鏡に映ったものは全て名付けることができないのだ。
なぜだろう。
 
トーキズイデ・リーム、ルティトパヒラテ・フォ
オパリオッファ・リーム、ターコルスゴ・クレ
ジルコキ・ドミナ、アガサニュ・ポア
トルヴィエラ・ティレ、ディアケルス・ラ
キリタルス・ラ、メリジスト・ミ
 
たまには狂王リアのように話しかけてみよう。



展示作業が始まる前に、だんだんと変なモードになってくるのは、
いつも同じ。

©️松井智惠              2024年3月11日筆

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