音像2
先日、久しぶりにフェスティバルホールの演奏会へ足を運んだ。
読売日本交響楽団が、ワーグナー、ブライス・デスナー、ウェーバー、ヒンデミットと多彩な演奏を繰り広げた。
指揮者、演奏家共に優れて今人気のある方だったのだろう、会場はほぼ満席だった。
フェスティバルホールのホームページを見ると、「天から音が降り注ぐ」とある。しかし、残念ながら改装してからのフェスティバルホールでそのような音をまだ経験したことがない。ホールは広く、演奏会場のフロアも広いので、視覚が邪魔になる。目を瞑って聞いていたが、音は私の身体に沿って入り込まず、直線的に当たる。しかも、当たる音と、そうでない音があり、オーケストラの醍醐味をあまり感じることができなかった。
サントリーホールなら、全く違うように聞こえただろう。残念なことに、関西に住んでいるので、よほどでないとそこまで行くことができない。
私にとって、生で聴く音楽の醍醐味は、音像が現れるかどうかなのだ。
クラシック音楽の知識も演奏を聞く回数も全く少ないが、稀に音の塊のイメージ、それはとても抽象的で視覚を伴わない。美術では得ることのできない「音像」それを体験することがある。それがまさしく、天から降り注ぎ、砂漠を超えて深海にも降りていくような、自然の塊として現れる。
過日、映画館で見た「関心領域」では確かに「音像」に二時間浸り続けた。その体験が身体に残っているのだろう、今回のフェスティバルホールの音は、良い音楽ではあるが、「きっちりと演奏された音」というふうに聴こえた。老化に伴い、聞こえる音の周波数も抜けているので、失礼な書き方かもしれないが、それほど「関心領域」の音はもの凄いものであったと思う。
観に行くと、またしばらく疲れるかもしれないが、とてつもない「音像」体験を求めに、映画館へまた行くかもしれない。スピルバーグの「シンドラーのリスト」、「サウルの息子」を経て、フランクルの「夜と霧」を再読。
今は何も作っていない時期、描くことを少しやめて雨音を浴びる心地よさ。
©️松井智惠 2024年6月22日筆
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