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ASD&ADHD家族の物語

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長男に発覚したADHD、けれども見渡してみるとあの人もこの人も、家族みんなの凸凹の話です。
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記事一覧

#3.07|凸凹兄弟、農薬不使用田んぼで助っ人

#3.07|凸凹兄弟、農薬不使用田んぼで助っ人

我が家の家業は農業で、こだわりの強い旦那はたった一人で農薬不使用・無化学肥料の米を作っている。普通自然農法や有機農法で米を作る人は、スタッフがいたり要所要所でイベントを立ち上げて興味ある人に手伝ってもらったりするのだけれど、我が旦那は人にものを頼むのが大の苦手。毎年自作の農業機械(主に除草機)を考案しては、失敗を繰り返しつつも楽しそうに彼にしかできない農法を編み出している。

(写真は農薬散布用ボ

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#3.06|凸凹兄弟、次男に輝く教育を!

#3.06|凸凹兄弟、次男に輝く教育を!

7月に入ったら、と言われていた転院先の紹介ですが、まだ連絡がありません。「県外になるかも知れませんが」とも言われていたのですが、やはり難航しているのでしょう。

そうこうしているうちに学期末の三者面談の日が来てしまい、担任の先生からも早くも就職&進学のお話です。今年度から部活には復活させて貰っていて、高校生らしい生活が戻って来てはいるものの、もう折り返し地点。時は待ってはくれません。

幸い先日の

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#3.05|凸凹兄弟、次男の転院、その2

#3.05|凸凹兄弟、次男の転院、その2

久しぶりに訪れたG大附属病院は、ほとんど変わっていなかった。
通算8週間は入院したかな、抗がん剤治療の際はよく駐車場で眠ったものだ。(そして自力で運転して帰る)

次男にしても、ここで生まれ小児喘息の治療で小さい頃はよく通った病院だが、本人はさすがに覚えておらず、コンビニやカフェが併設され沢山の人が行き交う院内に驚いている。

診察カードも持っていて初診ではないのだけれど、10年は間が空いていたし

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#3.04|凸凹兄弟、次男の転院

#3.04|凸凹兄弟、次男の転院

ご縁とは不思議なもので、地元の活性化委員のメンバーで東京からG県に移住して来られたFさんの奥様は、発達支援のプロだった。

市役所主催の移住者交流会で一緒に街歩きをして初めてお話しさせていただいた時は、次男の病院からは検査の結果待ちだと思っていたので、軽く自己紹介&次男紹介をするに留まっていたけれど、その後学校からも「その後病院からの指導は…」と電話があり、病院に問い合わせてみると「先生の指導は投

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#3.03|凸凹兄弟のGW明け

#3.03|凸凹兄弟のGW明け

冬の間熊のように冬眠している旦那も、この時期になると別人のように目覚める。周辺の田んぼで草刈りが始まり、代かきの依頼電話が鳴るようになるともうシーズン突入だ。

我が家では毎年30〜40件の田植えと稲刈りを代行している。それぞれ1日3件を1ヶ月以上続けるハードなシーズンだ。旦那の代になってからは我が家の米作りは全て農薬・化学肥料不使用に移行し、その間の除草もそれは膨大な労力がかかる。

自家用と一

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#3.02|凸凹兄弟のGW

#3.02|凸凹兄弟のGW

美大受験2浪の末、結局通信制の美術大学に在籍することになった長男。
自力で履修届を出し、MacBook Airも新調して貰ってようやく大学生らしい春を迎えた。

毎年GWは唯一家業の稲の籾撒きに召喚するのだが、(普段は機械化していて旦那が一人で全てをこなしているが、これだけは人手が必要)今年も「いつ帰れる?」とLINEすると、「5/3と5/4は友達に会う、逆にいつ帰ったら良い?」と聞いてくるので、

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#3.01|凸凹兄弟の新たなページ

#3.01|凸凹兄弟の新たなページ

2月の末にとある地域活性化会議に顔を出してからの2ヶ月は、怒涛&頭の回路が入れ替わるくらいの日々だった。

「2年後の100周年に向けた会議だから」というのでのこのこ出かけていったら、なんと1ヶ月後にはイベントをやるという。それからはチラシ作りや展示の準備、取材対応などに追われ気がついたら地元紙に3回も登場することに。

我が家は農家なのでこの時期は農閑期。基本ゆったりとした時間が流れている筈なの

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#2.03|極端な凸凹次男の期末試験

#2.03|極端な凸凹次男の期末試験

次男が課題を出せなかったのは中学時代からで、今に始まったことではないけれど、徒歩通学だった近くの中学から電車に乗ってくる子もいる広域の友人が出来る高校への進学は、それなりに胸高鳴るものがあったと思う。

小学2年から地域のスポーツ少年団で柔道を始め、中学3年まで部活動でも活動し、一応黒帯を取るまでになっていた。が、入った県立高校にはなんと柔道部がなかった!ので、仕方なくレアなボクシング部に入った。

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#21|ADHD長男私大の桜は咲かず

#21|ADHD長男私大の桜は咲かず

長男の私大実技から合格発表までの2週間の長いこと。そしてその不安なことは私だけでなく、本人も旦那もば〜ちゃんも皆感じていた。その予感は見事に的中し、届いた通知は「不合格」。昨日お祝い用にと用意した白薔薇は、残念画像になってしまった。

そもそも、私大2つのうちひとつの願書締め切りを間違えて、WEB出願はしていたのに受験すら出来ず、今回受けた私大にも実は書類不備があって、出願後大学から「間違えて『卒

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#2.02|極端な凸凹次男診断への道

#2.02|極端な凸凹次男診断への道

昨夜の予報は晴れだったのに、また目が覚めたら一面真っ白でした。本当にうっすらなのですが、先週より気温が低かったためか、路面の状況はむしろ厄介で、山を降りる途中、南面のゆるい坂でタイヤを縁石にぶつけて交換しているおじいちゃんとか、木陰の山道(一応国道)に4台も路肩に乗り捨てられた車があったり。

目指す次男のお世話になる病院は平地の市街地。M市に入ると嘘のように雪は無くなり、カンセラーの方にも「良い

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#2.01|凸凹次男診断への道

#2.01|凸凹次男診断への道

警報級の大雪とのことで、夜中に何度も目が覚めては窓の外を確認するが、雪雲は遅れているらしくて明け方5時まで何も降っていなかった。が、2時間後には一面銀世界!で、慌てて飛び起きる。次男が受診する初めての病院までは車で片道45分かかる。

山を降りて平地に出ると、明らかに雪の振り方が少なくなり、程なくみぞれから雨になった。初めての病院は患者にお年寄りが多く、大きいけれどひっそりとしている。最初に事前問

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第2章|極端な凸凹次男の話

第2章|極端な凸凹次男の話

我が家には実はもう一人、凸凹な特性を持つ次男がいる。
典型的な多動の兄に隠れ、その存在は限りなく薄かったのであるが、兄が2浪目で家を離れると、俄然彼の存在感が大きくなった。

まず、機関銃のように喋る長女と長男の間に割って入ることなど大人でも難しく、およそ自己主張を聞いたことがなかった。小学校低学年で通級指導は受け始めていたけれど、兄とは真逆で極めておとなしく無害なので、我が家では問題にすらならな

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#20|ADHD長男の美大受験

#20|ADHD長男の美大受験

現実の美大受験は、「ブルー・ピリオド」のストーリーの様にはいかない。
何よりウチの長男は学力が並み以下なので、私立が絶望的に不利だ。学力が長女位あったら、彼の画力ならとっくにどこかしら受かっている。そして、学力が旦那(藝大)並みで画力が私(多摩美)並だったら、どこにも受からない。

ADHDの長男は現役・一浪までは自宅から高崎の美術予備校に通っていた。
そこには旦那の藝大時代の同僚も指導者として所

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#19|好きなことには真っしぐら

#19|好きなことには真っしぐら

そんなお騒がせなADHD長男も、高校受験のシーズンに入った。
成績はクラスの底辺を行ったり来たり。宿題の課題が終わらないので、地元の小さな塾には通わせていたが、そこの先生がこれまたものすごく熱心で、長男が塾に忘れていった制服のYシャツにわざわざアイロンをかけて返してくれるような方だった。(その後次男の時にもお世話になりたかったが、すでに塾は閉鎖されていて、また長男が負担になったかとふと思った)

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