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本と人生の出会い

この世界でいちばん古い記憶は、大きな本棚とメガネをかけて静かに本を読む気仙沼の祖父の姿。

「おじいちゃんみたいに本を読みたい!」と母に伝えると、当時住んでいた塩釜の図書館でたくさんの絵本を借りてきて読んでくれた。

ティモシーとサラ。フェリックスの手紙。ピーターラビット。淡い色の絵とやさしい物語は鮮明に思い出せる。今でも母と美術館へ行って楽しめるのは、その絵本たちのおかげかもしれない。

小学生になると共に仙台へ引越した。

1年生のクラスの隣が図書室で、司書の先生と仲良くなるほど入り浸っていた。「西公園に図書館があるよ」と教えてくれて、ひとり自転車をこいで通った。おひさまはらっぱとエンデのモモがだいすきで、借りて返すを繰り返していた。(借りれるものは買わないのが我が家の方針だった)

3年生になると定禅寺通りのメディアテークへ図書館が移転した。2階の子供向けゾーンを利用することが多かったけど、ときどき3階の大人向けゾーンに行くと心がおどった。

オレンジ色の照明。赤いソファー。高い天井。大人に見える大人たち。3階にある本を読めるようになりたい、そしてこの空間に似合う大人になりたいと思って、小学生時代の休日のほとんどはメディアテークにいた気がする。

中学の図書室はなかなか充実していた。カラフル、ノルウェイの森、4TEENを読むと中学時代の記憶が蘇る。思春期の例に倣ってクラスはそこそこ荒れていて、無関心を気取るよう独り図書室に逃げて読みふけった。

しかし高校生になると部活が忙しくなり、全く本を読まなくなった。シンプルに時間がなかった。憧れだったメディアテークの3階は受験勉強のために利用するだけで、棚に並ぶ本を手に取ることはなかった。

大学生になっても本を読まない日々は続いた。図書室は専門書ばかりだし、住んでいた街に図書館はなかった。当時付き合っていた彼の影響で本よりも映画と音楽に夢中だった。

また本を読むようになったのは失恋した時だ。

あまりにも惨めで、誰かに話すのは忍びなくて、無性に本を読みたくなった。たとえフィクションでも、自分と同じような人がどこかにいる、悲しいのは私だけじゃないと信じたかった。

これまで恋愛小説を読んだことがなかったから『失恋 小説 おすすめ』と検索して出てきたのが江國香織。大学近くの本屋さんの棚からホリーガーデンを選んだ。

「余分な時間ほど美しい時間はないと思っています」あとがきの一言に救われて、わたしの生活に本が戻ってきた。

学生時代は森絵都、石田衣良、佐藤多佳子。
失恋や絶望したら江國香織、村上春樹。
社会人になったら角田光代、柚木麻子。
モヤモヤした時は窪美澄、小川洋子。
やさしくなりたい時は小川糸、吉田篤弘。

きっとわたしは本に自分を重ねて読むタイプで、共感できないと頭にちっとも入ってこない。だからこそ本を友だちのように、相談相手のように、親友のように感じる。読み終えると胸の前で抱きしめたくなるほど本が愛おしいと想う。

メディアテークで描いた大人にはなれなかったけど、本を読む30代の自分であることがうれしい。ずっと心に残る本に、あと何冊出会えるかな。

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