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音楽史・記事編141.プラハのドゥシェク夫人とモーツァルト
ザルツブルクからプラハに嫁いだソプラノ歌手ヨゼファー・ドゥシェクは、プラハで大ヒットしていた歌劇「フィガロの結婚」の作曲者モーツァルトを、貴族たちとともにプラハに招待し、来訪したモーツァルトと妻のコンスタンツェを別荘ベルトラムカ荘に招き歓待します。モーツァルトはプラハの興行師ボンディーニから次シーズンのための新作オペラの委嘱を受け、再度プラハを訪問したモーツァルトはベルトラムカ荘で歌劇「ドン・ジ
もっとみる音楽史・記事編140.百年戦争、ブルゴーニュ楽派と音楽史(ルネサンス
カール大帝によってヨーロッパは西ローマ帝国以来の再統一を果たし、9世紀~10世紀の時期にはグレゴリオ聖歌が編纂され、カール大帝によってヨーロッパ北部に大聖堂が建設され聖堂には巨大なパイプオルガンが設置され、パイプオルガンの伴奏で讃歌、聖歌が歌われたと見られ、記譜の必要性からネウマ譜が用いられ、後には徐々に現代の五線譜に進化して行ったと見られます。また、この時期、イタリアではギリシャ文化・文芸の復
もっとみる音楽史・記事編138.讃歌、グレゴリオ聖歌の成立、聖堂の建設と音楽史
本編ではキリスト教成立以降、ローマ帝国の盛衰等の激動のヨーロッパにおけるゲルマン人の侵攻のなかでのローマ・カトリック教会の各地域へのキリスト教の普及の一環としての聖堂、大聖堂の建設、それに伴う巨大なオルガンの設置、聖堂における聖歌の普及、グレゴリオ聖歌の成立、ノートルダム楽派の誕生等の音楽史を見て行きます。
〇キリスト教とゲルマン民族の侵攻
キリスト生誕後、キリストによる教義はキリストの弟子
音楽史・記事編134.ベートーヴェンの肖像画
ベートーヴェンの肖像画は多数残されていますが、それぞれ特徴的でどれがベートーヴェンの実像なのか・・・1818年、クレーバーはデッサンを描きその後に油彩で肖像を仕上げており、デッサンが実像であり油彩画の方はクレーバーの理想的な肖像であったのか・・・当時の肖像は実像を描くというより、理想化した肖像を描くことが一般的であったようです。
〇ボン宮廷音楽家の肖像
ボン時代のベートーヴェンの肖像として1
音楽史・記事編131.ウィーン・ロプコヴィッツ宮殿
〇ハイドンとベートーヴェン、ロプコヴィッツ侯爵から弦楽四重奏曲を委嘱される
ベートーヴェンは1792年に生まれ故郷のボンからウィーンに音楽留学し、そのピアノ演奏はウィーン中の評判となり、作曲においても作品1の3曲のピアノ三重奏曲をリヒノフスキー侯爵に献呈し、さらに作品2の3曲のピアノ・ソナタを師のハイドンに献呈し、そして作品12の3曲のバイオリン・ソナタをベートーヴェンの歌曲の師である宮廷楽長