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「でんでらりゅうば」 第12話

 ――秋が深まるにつれ、実りの季節が訪れた。畑の作物の収穫で忙しくなるため、郷の駅は一時閉鎖となり、若い者は畑の作業に回された。ところがそれですることがなくなるかといえばそうでもなく、安莉たち畑の作業に出ない者には別の大切な仕事があった。
 畑持ちでない家の者、寡婦かふたち、みつかつを始めとする足の達者な老人たちは、毎朝郷の駅の前で集合すると、まだ冷たい夜気の残る山のなかへ、連れ立って出かけていった。
 高麗先生の処方のお陰か、安莉の体調はすっかり回復していた。そして、山の木々のあいだに澄み渡る新鮮な空気と、足下の悪い傾斜面を歩くことによる足の筋肉の鍛錬は、寝ついて弱っていた体を元に戻し、むしろ健康にしてくれるようだった。
「栗の実はわかるね。トゲトゲのイガをこうやって取るとよ」
 かおるが優しい声で言った。山に入った初日から、安莉の横に付くようにして、手取り足取り親切に深山の収穫のいろは、、、を教えてくれている。満と勝は、郷の駅の作業場内ではあんなに安莉の面倒を見ていたくせに、山に入るとまるっきり目の色が変わって、解き放たれた野生のハンターのように、柿や栗やアケビなどふんだんにある山の恵みを求めて、年季の入った力強い足取りで急斜面を飛ぶように駆け回った。木の実採りに参加している老婆たちは皆そうだったが、まるで何かに取り憑かれたかのように収穫に熱中していた。
 だがそれも無理なしと思えるほどに秋の山は豊かで、木々の葉は赤や黄色に色づき、歩いていて飽きなかった。林のなかを吹き抜けていく冷涼な風は山歩きで発生した体の熱を心地よく冷まし、冬支度に忙しい野生のリスやヤマネなどが目にも止まらぬ速さで地面を行き交い、冬籠もりのあいだの大事なかてを人間に奪われまいと奔走する。自分の狩りに夢中になるあまり、周りのことは目に入らないような様子で人が変わったように無言になった満や勝たちの携えた目の細かい籠のなかには、次々と山の恵みが放り込まれいく。
 大きな栗の木を見つけた薫と安莉は、二人そろって木の下に陣取っていた。薫は装備の一つとしてしっかり履き込んできたゴム長靴で器用にイガを踏み、鉄鋏でなかの実をはずす。
「わかっど? こうせんと、手でやろうとすっと怪我すっけんね」
 安莉が真似をしてやってみると、上手だと言って褒めてくれた。
 薫は寡婦である。二十四歳のときに村の男と結婚したが、三年後に病気で先立たれていた。子どもができないまま夫が死んでしまってから、三十三歳になるいままでずっと独りで暮らしている。小柄で色黒の、こめかみに向かって垂れた目尻がどこか寂しげな印象を与える、物静かな女だった。
 この山にる果実のことを、薫は丁寧に教えてくれた。
 ……山の実で一番美味しいのはサルナシ。〝猿の食べる梨〟ちゅう意味たい。なか切ったら果物のキウイにそっくりでな……。ほら、ちょうどそこにあるわ。な。可愛い小さいキウイって感じやろ。これは沢山採って、郷の駅で果実酒とジャムにする。サルナシのジャムはよう売れるんで。珍しいし、美味しいけな。
 小刀でサルナシの実を半分に切って見せながら、薫は話した。確かにてのひらのくぼみにちょうど収まるくらいの大きさの、小ぶりなキウイであった。二人でそれを半分ずつ食べた。
「美味しい!」
 安莉は初めて山の幸の生の味を知った。山の幸は、そのほかにも沢山あった。エビヅルというブドウに味の似た黒く丸い小さな実、もの言いたげにぽっと開いた小さな唇のような穴のある甘酸っぱいコケモモ、へそのある赤い球形の果肉が甘く美味しいイチイの実は、種に毒があるので必ず取り除くのだと薫が教えてくれた。ほかにもブルーベリーに似たクロマメノキの実、シイの木のドングリ……。標高の高いこの村の山奥ならではの珍しいり物たちは、高山の霊気がかかっているのか、どれも素晴らしく美味しかった。お土産にと毎回少量持たせてくれるこれらの実を、安莉は食べながら帰ったり、アパートで調理したりして味わい尽くした。どれを口に入れるときも、山の滋養を直接与えられているようで、感動すら覚える美味しさだった。
 
 毎朝郷の駅に残っている者の全員で山に入り、ありったけの深山の木の実を集めてきたお陰で、下の村に持っていって売ることのできる大量のジャムや果実酒が作られた。それらの作業は安莉が帰った午後に、満や勝を中心としたほかのメンバーたちが請け負った。彼らは勤勉に働き、年に一度のこの一番いい時期の空気をさえ壜のなかに封じ込めようとするかのように、そして何よりも山が与えてくれたこの恵みをすべて余さず立派な製品にすることに情熱を傾けるかのように作業した。秋が終わりこの山間やまあいに冬の気配が訪れるころには、工場の倉庫部屋を埋め尽くすほどの果実酒やジャムができ上がった。
「こーれでもう、この冬は安泰ったい」
「今年もほんなこつ、ようできたねー」
 満と勝は、製品の仕上がりに満足した様子で、お茶をすすりながら言った。収穫から加工まですべてに携わった総勢六名の作業員たちは、大仕事を終えたあとの心地よい疲労に浸っているようだった。
 これら稀少な山の幸の製品は、世話役の阿畑や古森所長等が少しずつ下の村にある道の駅に運んでいって出荷する。下の村には近年道路整備によって道の駅目当てに大勢の買い物客が訪れるようになっているので、この村で作られる製品もかなりの売り上げを上げているらしかった。通常の流通では手に入らない深山の恵みは、平地の人々には昔から珍しがられ愛されていたが、それに加えて村の畑で育てたジャガイモやサツマイモ、里芋に蕎麦粉、シイタケや白菜や大根、トウガラシなども卸していたので、小さな村にしては毎年割合と潤沢な収益を上げているのだった。しかも最近下の村の道の駅で全国を対象にインターネット販売を始めたこともあって、例年冬の半ばにはもう売り切れる商品が出てくるほどの盛況であった。その収益を使って、村では冬に向け色々な支度をする。
「今年も無事に冬が越せそうですね」
 薫が控えめな声で言った。

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