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【長編小説】 チュニジアより愛をこめて 14

 ――私は、リウと同じようにジェルバ島に渡り、海に面した見事なリゾートホテルに泊まった。そこはどこを取っても完璧に美しかった。きちんと整頓された清潔な客室、派手で賑やかな装飾を施したレストラン。海を望む屋外の敷地には、エメラルドグリーンの巨大なプールがあった。ホテルを出て道路を渡るとすぐ、宿泊客だけが利用することの出来るプライベートビーチもあった。至るところで、着衣であったり水着姿のままであったりの違いはあるけれど、二十歳そこそこの若いチュニジア人男性と、ヨーロッパの各地からやって来たに違いない羽振りのよさそうな四十~五十代の女性のカップルを見かけた。彼女達はイギリス人やロシア人、ドイツ人のように見えた。
 ジェルバ島を離れると、私は劉のガイドに習ってトズールへ向かった。彼のコースとは逆だったが、その街を出発点とする砂漠のツアーに参加した。以前から駱駝に乗ってみたいと思っていたので、駱駝でキャンプ地のオアシスまで行って戻って来る一泊二日のツアーに申し込んだ。初めて乗る駱駝は、想像以上に大きくて、その体が放つ臭いは予想以上に強かった。脚を折り曲げて地面に伏している駱駝の岩石のように固い背中に跨がると、ガイドの男性の合図で立ち上がるのだが、その時後ろ脚から立ち上がるので、前に向かって転がり落ちないように必死でつかまっていなければならなかった。駱駝の乗り心地は決していいものではなく、今まで経験したことのない高い視点からものを見るという珍しさが薄れてくると、キャンプ地に着くまでは、苦痛以外の何ものでもないということを私は発見した。
 砂漠の真ん中にあるオアシスに辿り着くと、そこは静寂に包まれていた。彼方まで見晴るかす一面の砂の光景は、悠久の昔から、今なお同じ姿でその場所にあるのだった。
 ガイドの男性、サイードは言った。
「見てごらん、どの砂丘にも少し黒い部分があるでしょう。……もう少し経つと気温が六十度以上にまで上がる。そうすると、大砂丘は黒みを帯びてくるのです」
 大自然にあまねく作用する法則、光と影。その影の部分が、ここではもっとも熱いと彼は言うのだ。
 サイードは続けた。
「砂漠の何がいいかというと……そうですね、色がとても綺麗なのです。なぜなら、砂漠の砂には三種類の色がありますから。例えば、見て、麓のほう……村の近くの砂は白いでしょう。車が行き交うから、道路や車の埃が混じるのです」
 そして彼は、砂漠の中間点を指差して言った。
「見て、この辺りの砂は黄色い。……綺麗でしょう、日の出のとき、砂丘は明るい色で空は青い。それはもう、素敵なコントラストなんだ」
 陽射しと砂をよけるためにかけた黒いサングラスを透かして、彼が目を細めて笑ったのが見えた。彼は振り返って言った。
「そして、見て。あっちは大砂丘でピンク色です。遠いからそう見えるのですよ」
 
 僕たちは ここをとても美しいと思っています。
 
 静かでしょう、ねえ。 
 
「ここ近年、若者達の間で、〝砂漠セラピー〟というのが流行っているんですよ。アラブ人の血を引いていながら、街中で生まれ街中で育った彼等は、砂漠の持つ自然の癒やしや神秘性を体の奥が求めるのを感じるらしいのです。親や祖父母に勧められるでもなく、自発的に砂漠へ行きたいという欲求が生じて、彼等はやって来るのです」
 アラブ民族の若者達は、砂漠へ来て何を感じるのだろう。遠い祖先の暮らした土地に、遺伝子の記憶を辿って戻って来た、という懐かしさだろうか。それとも、長い間憧れ続けた場所にとうとう立ったという感動だろうか。
 私の場合、それは全く後者だった。砂漠と言えば、異国情緒の代名詞。日本人にとってそれは一生の内に一度経験できるかどうかの、大冒険のようなもの。しかもここは、あのサハラ砂漠なのだ。
 日が暮れて、テントの前で、夕食を摂った。砂の上に火が焚かれ、羊の肉を炭火焼きにしたものと、タジン鍋で煮た野菜が供された。
 焚火の周囲以外は漆黒の闇に包まれた砂漠の静けさの中で、ガイド達によって音楽が演奏された。はるばる遠方より訪れた旅人を、彼らは精一杯にもてなそうとする。
 どこから出してきたのか幾つもの打楽器を鳴らしながら、彼らは控えめな抑揚をつけた唄を歌い、やはり控えめに体を揺らしながら踊った。
 ベルベルのリズムが、砂漠に響いていた。それはどこか、私の地元の神社で催される神楽の舞に似ていた。もし彼らを日本に連れていって、神社の春祭りなどで披露される神楽を見せたら、やはり砂漠のリズムを思い起こすのではなかろうか。
 神妙な歌声といつまでも続く単調なリズム。日本では土地の神様に捧げる唄と舞を、ここでは砂漠に捧げるのかもしれない、と思った。
 
 執拗に注ぎ足される甘いミントティーに、半ば諦めのようなものを感じながらも、私はその全てを楽しんだ。
 
 砂漠の後、チュニジアきっての観光地、スースを訪ねた。ここはヨーロッパからの観光客で賑わう外に開けた街でありながら、起源は九世紀にまで遡る、非常に古い街だった。リバトと呼ばれるかつての要塞に上り、私はスースの街と地中海を見下ろした。この巨大な建造物は、旧市街と港を防衛する目的で築かれたという。元はフェニキア人が作ったこの街にアラブ人が侵攻してきた時に、前線基地として建設されたのだ。リバトは統一された砂色のレンガでできていて、地中海の目に沁みるような青と美しい対比を成していた。
 更にここはイスラム教徒の礼拝の場と住居としても使われていたとのことで、二階部分は彼らの生活の場であったという。古い時代の人々の営みに、私はしばし心を寄せた。
 スースにはまた、グランドモスクがあった。チュニスのジャーミア・ズィトーナと雰囲気が違うのは、ローマ時代の建物を転用しているからだという。そう言えば、回廊に立つ柱の形や半円形の空洞は、イスラム建築の特徴とは明らかに異なっている。モスクにはお決まりの、天に向かって聳え立つ尖塔ミナレットがないというのも、スースのグランドモスクの特徴であった。

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