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A Course in Miracles 形而上学

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『A Course in Miracles』((奇跡のコース/奇跡講座)から抜粋した引用文にちなんたnoteコラム
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2021年8月の記事一覧

「無知の知」こそが、私とは何か?を知るためのその第一歩である

「無知の知」こそが、私とは何か?を知るためのその第一歩である

自分は何も分かっていないことを悟る自分は何も分かっていない。

そのことを受け入れることは自分を知るために大事なことだといえます。

いにしえの賢者ソクラテスは、それを「無知の知」と表現しました。

この私自身、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)についてあたかも分かったふうなところから物申しておりますが、真実を知れば知るほど、自分は何も分かっていない、ということが分かってくる次第です。

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聖霊のシナリオか?自我のシナリオか? あなたはどちらのシナリオを選択する?

聖霊のシナリオか?自我のシナリオか? あなたはどちらのシナリオを選択する?

私たちはすでに終わった過去を見ている今、時代は大きな変換期を迎えているかのように見えます。

この世界の形態、情勢を見るならば、たしかに、常に移り変わって、変化していっているかのように見えます。

私たちは、その変化にどのように対応していけばいいのでしょう?

真理からみるならば、どんなに時代が変わろうとも、どんなに世界の状況が変わろうとも、この世界は自我(二元性)の思考体系が作り出したドラマ(幻

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幸せ、平安になりたいのであるなら、その第一歩は、裁き、咎め、攻撃を正当化しないことです

幸せ、平安になりたいのであるなら、その第一歩は、裁き、咎め、攻撃を正当化しないことです


誰がこの夢を見ているのでしょう?実際に私たちが正直になって自分の内側を観察するならば、裁き、咎め、攻撃がやめられないのが自覚できます。

事あるごとに、他者を裁き、咎め、攻撃しているのが認識できます。

さらには、それを認識しながらも、自分はそれをやめることができません。

裁きたくてしかたない、咎めたくてしかたない、攻撃したくてしかたない、その衝動がおさまらない自分を自覚します。

私たちはこ

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この世のものを超えて、ヴィジョン(心眼)を開いていくための方法

この世のものを超えて、ヴィジョン(心眼)を開いていくための方法

可能なもっとも高尚な考えコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、「別の知覚の仕方がある」ということを思い出していくことの重要性(必要性)について述べています。

コースの観点からみるならば、自分だと信じているその自己(self)が自我(非実在/嘘)であるならば、当然、自分が見ているもの、聞いているもの、感じているもの、経験しているもの、それらすべても嘘ということになります。

そのすべてが嘘

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二元性の思考体系がいかに狂気であるか!を認識できるようになるために

二元性の思考体系がいかに狂気であるか!を認識できるようになるために


二元性の思考体系/自我の思考体系を理解する通常、私たちは二元性の思考体系でもって、ものごとを捉え、考えていると言うことができます。

つまり、それをコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では、「自我の思考体系」と呼んでいるわけです。

ただし、それがあまりにも当たり前すぎて、それが二元性(自我)の思考体系だと気づいていないのが、私たちだといえます。

でも、コースを学んでいくことによって、私

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本当はいったい何を恐れているのか?その真実を知りたいですか?


恐れを通り抜けていくために恐れについて述べるならば、意識上に上がってきていようがいまいが、この世界の誰もが恐れを抱いていると言うことができます。

恐れは、誰もの内側にあるということです。

私たちが知っておかなければならないのは、私たちは恐れを抱いているがゆえにこの世界に存在しているのだということです。

というのも、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、恐れから逃れるためにこの世界を

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個別性、特別性を超越していくために私たちがすべきこと

個別性、特別性を超越していくために私たちがすべきこと


いまここの平安を避け続けている私たち自分の内側を観察していくと分かることですが、思考はまるで止むことがありません。

いつも何かしらの思考を巡らせては、平安に留まることがありません。

言い換えるなら、いつも平安から逃れようとしているのが認識できます。

四六時中、過去や未来に思考が飛んでいるのが分かります。

「いま」ではないいつかどこかに思いを巡らせているのが認識できます。

つまりは、それ

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嘘の自分を信じ続けていたいだろうか?それとも、自分が誰なのかを思い出したいだろうか?

嘘の自分を信じ続けていたいだろうか?それとも、自分が誰なのかを思い出したいだろうか?


あなたは無力ではないこの世界で起きていることに対して、人生で起きていることに対して、コントロールができるわけでもなく、そんな私たちは自分が無力であると感じています。

そういう意味でも、私たちは外側の世界の被害者になっていると言うことができます。

何々のせいで、誰々のせいで、何々のせいで、これこれのせいで、、、あれがこうだったら、これがこうなったら、、、、

そのような思考をしているということ

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贖罪を受け入れる瞬間、それは「いま」なのだ

贖罪を受け入れる瞬間、それは「いま」なのだ

恐怖の時間が愛の座を奪ったあの瞬間コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の赦しを実践していくと分かってくるのは、この世界で、そして、この人生で起きていることのすべては、あの原初の瞬間を繰り返しているだけなのだということです。

私たちが経験していることは、原初の瞬間をただ形態を変えて、シチュエーションを変えて、いろいろなバリエーションで再現しているだけなのだ、ということが、赦しの実践を通して体

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「真理の否定」を否定する

「真理の否定」を否定する

このコースは肯定の道ではなく、”not no”(否定の否定)の道であるワークブックでは、以下のようなレッスンがあります。

そして、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びが浅い段階においては、コース学習者の私たちは誰もが「私は神の平安を望んでいる」という言葉をまるでアファメーションを唱えるようなレッスンをすることでしょう。

ただし、ここで私たちが学ばなければならないのは、私たちの無意識

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「いまここ」という時間を超えた時間のない領域へ

「いまここ」という時間を超えた時間のない領域へ


リニアな時間軸上ではない「いま」ノンデュアリティ(非二元)の真理から見るならば、この世界のすべては幻想です。

いわゆる、この世界は心のイメージによって作り出された影にしかすぎないということです。

それは、この世界、宇宙という「空間」のことだけを言っているのではなく、「時間」もそうだということです。

時間はあたかも過去から未来へとリニア(直線的)に流れているかのように知覚されていますが、それ

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私たちがイエスのようになることをコースのイエスは望んでいる

私たちがイエスのようになることをコースのイエスは望んでいる

玩具を手放せるようになるためにコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)のイエスが私たちに望んでいるのは、私たちがイエスのようになることだといえます。

ただし、それは聖書の中のイエスのようになるということではありません。

イエスとは、私たちの正しい心、つまり、正気の思考体系の象徴(シンボル)だということを忘れてはなりません。

イエスのようになるとは、つまりは、正しい心と同一化するということで

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私たちはなぜリラックスして心安らがでいることができないのでしょう?

私たちはなぜリラックスして心安らがでいることができないのでしょう?

平安よりもストレスがあるほうが安心でいられる???自分自身の内側を観察するならば、いつも心安らかではないことが認識されます。

その思考は常に巡り巡っていて、心はいつもざわついています。

つまり、私たちはいつもストレス(緊張)状態にあるといえます。

私たちはなぜリラックスして心安らかでいることができないのでしょう?

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいくならば、その答えが明ら

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