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A Course in Miracles 形而上学

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『A Course in Miracles』((奇跡のコース/奇跡講座)から抜粋した引用文にちなんたnoteコラム
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「奇跡」とは、この世界を超えたもう一つの見方を思い出していくための方法である

「奇跡」とは、この世界を超えたもう一つの見方を思い出していくための方法である

なぜ私はこの世界にいるのか?「私」という存在は何なのか?

なぜ、「私」はこの世界にいるのか?

なぜ、天国(ワンネス)ではなく、分離の世界にいるのか?

そのような自己の本質に関する疑問に対して、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)はその答えを明確に示してくれているといえます。

その答えは、つまりは、私たちが神の愛を恐れているからと言うことができます。

神の愛を恐れているから、私たちは

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大丈夫、と、大丈夫じゃない

大丈夫、と、大丈夫じゃない

嘘(虚偽)であるものを嘘(虚偽)だとしていくこと「だいじょうぶ」と「だいじょうぶじゃない」、

というとき、

ノンデュアリティのスピーカーさんのほとんどが、「だいじょうぶ」のほうへとフォーカスするよう促しているように思えます。

そして、コースのティーチャーみたいなことをやっている人やコース学習者も、「恐るべきことは何もない、私は大丈夫、私は安全だ」というふうにアファメーションしていくことがコー

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「自我を教師とする代わりに聖霊を教師として選び直す」という実践について

「自我を教師とする代わりに聖霊を教師として選び直す」という実践について

なぜ私たちは聖霊の教師が必要なのか?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の教えが理解されるようになると、自分はすでに自我と同一化してしまっていることが認識されるようになっていきます。

ようするに、自分は自我になってしまっていることを自覚するようになるということです。

そして、自分は自我であるということだけでなく、その自分(自我の思考体系と同一化している自分)の狂気性も認識するようになりま

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ワークブックレッスン325 ~すべての思考を赦すとき、愛するとき

ワークブックレッスン325 ~すべての思考を赦すとき、愛するとき

すべては想念であるコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びが進んでいくにしたがって、この世界をありのままに受け入れるようになっていくと言うことができます。

それは、自分の見ている世界と闘わなくなっていくことを意味します。

というのも、外側に世界は無い、ということが理解されていくからです。

外側に知覚しているものすべてが内側にあるものの投影にしかすぎないと分かってくるなら、自分は何を外

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この世界がどういうものなのか?を私たちは悟らなければならない

この世界がどういうものなのか?を私たちは悟らなければならない

この世界のすべての道の真の不毛さを理解する非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティと言いましても、非二元というものに、結構、惑わされている人も多いのではないでしょうか。

たとえば、

「この世界は幻想(夢)なのだから、どうせならこの夢を楽しみましょう、遊びましょう、、、」

というようなことを云っているノンデュアリストもおられたりします。

その意味は、「幻想は幻想でも、より良い幻想に、楽

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自分とは何者か?を思い出すことが目的なのだということ

自分とは何者か?を思い出すことが目的なのだということ

自分は誰か?と問うていきなさい私たちは何を目的にコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいるのか?

というなら、真の自己(真のアイデンティティー)を思い出すことが目的であるということは言うまでもありません。

自分とは何者か?

私たちはその真実をまったく忘れているわけです。

それどころか、自分ででっち上げたニセモノの自分のほうを自分だと信じ込んでいる状態になっています。

だからこ

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「無知の知」こそが、私とは何か?を知るためのその第一歩である

「無知の知」こそが、私とは何か?を知るためのその第一歩である

自分は何も分かっていないことを悟る自分は何も分かっていない。

そのことを受け入れることは自分を知るために大事なことだといえます。

いにしえの賢者ソクラテスは、それを「無知の知」と表現しました。

この私自身、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)についてあたかも分かったふうなところから物申しておりますが、真実を知れば知るほど、自分は何も分かっていない、ということが分かってくる次第です。

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天国であるワンネスを思い出していくために私たちが必ず修得しなければならないもの

天国であるワンネスを思い出していくために私たちが必ず修得しなければならないもの


全一なる知覚(真の知覚)とは赦しの視点から見た知覚とはどういうものか?

というなら、

それは、知覚しているものすべてを包含して、しかもそれらすべてを等しく同じ幻想として見ている知覚のことを言います。

それを、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では、「ヴィジョン」「真の知覚」と呼んだりしています。

そして、すべてを包含しているという意味で、「全一なる知覚」と呼んだりしています。

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あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではない

あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではない

愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で、まず私たちが理解/認識しなければならないのは、私たちはすでに神の愛を拒絶している、ということです。

それゆえに、私たちはこの世界にいるのであり、それゆえに、個人の自分として存在しているのだということです。

つまり、個人の自分が存在していることそれ自体が、=神の愛を拒絶している、ということなわ

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私たちはワンネスであるならば

私たちはワンネスであるならば

私とあなたは別々ではない、自分と他者は別々ではない真理からいえば、私たちは一つ(ワンネス)です。

それは、「私とあなたは別々ではない」「自分と他者は別々ではない」ことを意味します。

それは、真に目覚めた者、悟りを生きている者の知覚の仕方だといえます。

ならば、ある誰かは目覚めていて、誰かは目覚めてはいないということがあり得るでしょうか。

もしそのような知覚をしているとしたならば、それは「私

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あなたは自分が正しいことと、幸福であることのどちらを好むだろうか

あなたは自分が正しいことと、幸福であることのどちらを好むだろうか


自我の精神力動について私たちは理解しなければならないこの世界にいる私たちはみんなゴシップが大好きです。

ようするに、他の誰かを裁いたり咎めたりするのが心地いいわけです。

というのも、そうすることで自分はまともで、潔白で、無垢だ、善人だとすることができるからです。

コースの観点から見るとき、誰かを裁いたり咎めたり批判したりしているその自分は、「自分はまともで、正気で、正しくて、優秀で、罪なき

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どのような考え方で、どのような実践をしていくのか?について明確に理解していくこと

どのような考え方で、どのような実践をしていくのか?について明確に理解していくこと

コースのイエスや聖霊は、この世界を、そして私たちをどのように見ているか?について学ぶ私たちは、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を通して何を学んでいるのか?

というなら、

これまで私たちが知覚している見方とはまったく異なる知覚の仕方があるのだということを学んでいるといえましょう。

というのも、私たちはそのもう一つの見方があるということをすっかり忘れて見失ってしまっているからです。

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私たちは自ら忘れてしまったものを思い出すためにコースを学んでいる

私たちは自ら忘れてしまったものを思い出すためにコースを学んでいる

他のスピリチュアリティとはまったく真逆の方向にアプローチしていくコースの学びと実践コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えている内容が真に理解されていくとき、コースは他のスピリチュアリティとはまったく真逆の方向にアプローチしていくものだということが分かってきます。

なにせ、コース学習者の私たちがフォーカスしていくものは、従来のスピリチュアリティとはまったく異なるということです。

という

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あなたは自ら自分で惨めさや不幸に献身し続けていることを認識していますか?

あなたは自ら自分で惨めさや不幸に献身し続けていることを認識していますか?

幸せな学習者となるためにコース(奇跡のコース/奇跡講座)の観点からいえば、本当の私たちは完全なる、十全なる、愛に満ち溢れた神の子であるわけです。

にもかかわらず、私たちは自分自身のことをどのように見ているかというなら、まったくそのようには見ていないどころか、それとはまったく真逆に見ているといえます。

自分は不完全で、満たされていなくて、不完全で、傷つく存在で、、、というふうに見ているわけです。

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