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大丈夫、と、大丈夫じゃない

嘘(虚偽)であるものを嘘(虚偽)だとしていくこと

「だいじょうぶ」と「だいじょうぶじゃない」、

というとき、

ノンデュアリティのスピーカーさんのほとんどが、「だいじょうぶ」のほうへとフォーカスするよう促しているように思えます。

そして、コースのティーチャーみたいなことをやっている人やコース学習者も、「恐るべきことは何もない、私は大丈夫、私は安全だ」というふうにアファメーションしていくことがコースの実践だと勘違いしているケースがあったりします。

でも、自分たちの内側に正直になるならば、「だいじょうぶ」とはとうてい思ってはおらず、むしろ、「だいじょうぶじゃない」と思っているのが自覚されるわけです。

それによって、多くのノンデュアリティ探究者たちがそのことで葛藤を起こしていて、ノンデュアリティ難民の状態になっているといえましょう。

そして、コース学習者は学びの階梯の一番下に留まったままになっているといえます。

ここで私たちが学ばなければならない重要なことは、私たちがフォーカスしていくべきなのは、「だいじょうぶじゃない」のほうなのだということです。

もっといえば、「だいじょうぶじゃない」というその考えこそが、私たちが自覚/認識すべきものなのだということです。

なぜなら、「だいじょうぶじゃない」という考えが嘘(虚偽)だからです。

私たちがしていくべきことは、信じてしまっている嘘を取り消していくことなのだということを、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は教えてくれているわけです。


あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではなく、ただ自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことだけである。(T-16.IV.6:1)

奇跡講座/中央アート出版社


そして、覚えておかなければならないのは、「だいじょうぶ」というふうに言い聞かせていくことは、それは逆に、「(自分は)だいじょうぶじゃない」ということを証明し続けているだけということも知っておきましょう。

真理(非二元)からみるならば、

だいじょうぶ、というのもなければ、
だいじょうぶじゃない、というのもありません。

重要なことは、私たちは「だいじょうぶじゃない」と思っているわけで、それが嘘なのだということに気づいていないだけなのです。

なので、「だいじょうぶじゃない」という(考えの)ほうに私たちはフォーカスしていかなければならないということです。

嘘(虚偽)であるものを嘘(虚偽)だとしていくこと、それが真理に目覚めていくために私たちがしていかなければならないことだということをしっかり理解しておきましょう。



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