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それは自我の終わり、自我の死、つまり、個人的自己の消滅である

神と神の国を守るためだけに警戒していていなさい!

問題があるところの同じ場所に、その解決法もある

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「うまくやる」生き方から少し離れてみて欲しい~良いからする、良くないからしないではなくて今したい事を自分に許す生き方

コースは「間接的なアプローチ」をとって非二元に至る霊性の道である

これは思考を逆転させていく道である

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深刻になってしまったときの救いの秘密

コースの実践では裁かないように攻撃しないようにということに、ついフォーカスしていってしまいがちです。そうではなく、裁きたがっている自分、攻撃したがっている自分に気づいていくこと、しかも、その自分を咎めないということです。それがコースの実践において私たちに求められていることです。

「兄弟の中に愛を見る、兄弟の中のキリストを見る」ということについて

「真理を幻想に持ち込む」のではなく、「幻想を真理のもとに運ぶ」ということ

無慈悲、不親切、自己中心的、不正義な自分とどう向き合っていけばいいのか?

「自我を咎めずに見る」という訓練について

それの何が問題なの?と、そう言えるようになるために

イエスと共に見るとはどういうことなのか?なぜイエスと共に見るのか?

我々の意識をこの「今」という瞬間から引き離してしまう根元は、我々の「恐れ」です。その恐れを起こす元は「効率追求思考」であり、そしてもうひとつが「価値観」です。「これよりもこの方が大切」という考え。「遊びより仕事の方が大切」これが今の常識ですが、本当にそうでしょうか?

闇を通り抜けていかないかぎり、光に到達することはできない

「リラックスする」「いまここにくつろぐ」という言葉に騙されないように

自我そして自我がしていることに対して「イッツ・ノット・OK」と言いなさい!

私たちが修得していくべきワンネスを反映した在り方

私たちはつい自我を邪悪なものとして捉えがちです。自我に良いも悪いもありません。そもそもが自我は実在しないのです。にもかかわらず、自我を悪しきものとしたり、自我を敵と見ることでパワーを与え続けています。なので、私たちがしていくのは自我を咎めずに見る、ありのまま見るということです。

問題は認識しないかぎり訂正はなされない

はじめからコースの実践ができるわけではなく、それには学びと訓練を要するということ

自我の巧妙さをみくびってはならない

自我の告白

私たちは本当はこの世界が幻想であってほしくないのです

自我はどうしたってどうなったとしても自我であることに変わりありません

他人を責めたくてしょうがない、裁かずにはいられない、そんなときどのように対処していくのか?