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「自我を咎めずに見る」という訓練について


親切でいなさい

「親切でいなさい」とワプニック博士は云います。

ちなみに、これは行動レベルでのことを云っているのではないということを覚えておかなければなりません。

もちろん、行動レベルでそうあることに越したことはありません。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、あくまでも心のレベルにおける訓練なのだということを忘れてはなりません。

というのも、もしコースの教えを行動レベルのものと履き違えてしまうなら、形式だけ、うわべだけの儀式的な実践に成り下がるだけでなく、むしろ、自我を強化してしまうということになりかねないということです。

だとしたなら、いくらコースを学び、実践していったところで何の意味もなくなってしまいます。

では、「親切でいなさい」とは、いったいどいう意味なのでしょう?

実際にはどのような実践をしていくのか?

というなら、まず私たちがそれを実践しようとするとき、つまり、親切になろうとするとき、私たちはいかに自分が親切でないかを認識することでしょう。

むしろ、攻撃、裁きがやめられず、自己中心的である自分を認識するはずです。

つまり、私たちがしていく実践は、親切でいようとしても、それができない自分、あるいは、そうではない自分に気づいていくことなのだということです。

実践しようとするならば、自分が「親切ではない」ことを自覚していくわけですが、その自覚がとても重要なのだということです。

そう、その自分を咎めずに見ていくということが、私たちに求められている実践なのだということを覚えておきましょう。

自分の中の「不親切さ」が認識されていくことによって、それは訂正されていくことになります。

それが、「親切でいなさい」という訓練のはじまりだと思っておくと良いでしょう。

親切になろうとするとき、そうではない自分を裁いたり、それができない自分を咎めるなら、その自分(自我)と奮闘することになります。

自我と闘わないことです。

自我を変えようとしないことです。

その自我にただ気づいていなさい!ということです。

咎めずに、裁くことなく、ということが重要なのであり、それが私たちが訓練を通して修得すべきものなのだということを覚えておきましょう。


感謝しなさい

その実践は、「感謝しなさい」ということも、同じことです。

その実践をしていくならば、

いかに自分は不平不満だらけで、自己中心的で、他者を裁き、攻撃していることか!

そういうことを自覚していくわけですが、その自分を咎めることなく認識していくということです。

「その認識が重要なのです」とワプニック博士は云います。

ようするに、感謝していきましょう、という実践ではないということです。

そうではなく、感謝とは真逆の自分を見つけ出していくこと、そういう訓練なのだということです。

それは自覚/認識することによって、それをやめることができるようになる、つまり、訂正が起きるということです。


自我を咎めずに見る

コースが教えていることの理解が深まっていくとき、コースでしていく実践は、上記に述べたようなことであるのが分かってきます。

つまり、「赦し」というものがどのようなものなのか?が理解されてくるということです。


赦しは、じっと静かにしていて、何もしない… ただ見て、待つのみであり、判断はしない。(W-pII.1.4:1-3)

奇跡講座/中央アート出版社


私たちはその実践において、つい、神、愛、聖霊、平安、赦し、贖罪といったものにフォーカスしがちになります。

でも、私たちがコースを実践していくうえで本当に重要なのは、それらを拒絶している自分(自我)のほうにフォーカスしていくということです。

それが、自我を直視する、自我を正視する、という意味です。

愛、聖霊、平安、赦し、贖罪、、、そういったものに対して抵抗している自分、つまり、自我を、そして自我がしていることを認識していくことが私たちがしていかなければならないことだということです。

しかも、咎めることなく、裁くことなく、です。

ジャッジメント(裁き)なしで見るということです。

ようするに、イエス/聖霊(正しい心)はそのように見ているわけで、私たちは、それを修得していくことを目指しているのだということです。


これは訂正の道である

このコースは訂正の道なのだということを覚えておきましょう。

親切になる訓練ではなく、親切ではない自分を自覚する訓練。

感謝しましょう!という訓練ではなく、感謝できない自分を自覚する訓練。

「聖霊/イエスを選びましょう」という訓練ではなく、それに抵抗している自分を自覚する訓練。

「自我を手放しましょう」という訓練ではなく、自我を握りしめている自分を自覚していく訓練。

それらは自覚/認識されていくことによって、ようやく訂正が可能となるのだということです。

コースはそのような霊性の道なのだということを理解しておくことは大事だといえます。

ようするに、私たちがしていくことは、誤りの「訂正」なわけです。

そのためには、まず、誤りを見つけ出す必要があるということです。

それが誤りであると認識されるとき、訂正はなされていきます。

なので、自我を自覚/認識していくことがとても重要なのは、つまりはそういうことです。

それが、私たちがコースの実践でしていかなければならないことだということを肝に銘じておきましょう。

そしてもう一度、この訓練は、心における訓練であって、形態レベルにおける行動とはまったく関係ないのだということも忘れないでおきましょう。


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