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あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではない

愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すこと

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で、まず私たちが理解/認識しなければならないのは、私たちはすでに神の愛を拒絶している、ということです。

それゆえに、私たちはこの世界にいるのであり、それゆえに、個人の自分として存在しているのだということです。

つまり、個人の自分が存在していることそれ自体が、=神の愛を拒絶している、ということなわけです。

そのことを理解していないかぎり、いくら神のもとに帰ろうとしても、神の平安を望んだとしても、神の愛をいくら求めたとしても、それが成し遂げられることはけっしてあり得ないどころか、葛藤、苦悩することになるばかりだといえます。

私たちは「自分が神の愛を拒絶している」ということを認識する必要があるということ、それなしにコースの学びも実践もあり得ないということです。

そのことについて、コースの中でイエスは、こう述べています。


ひたすら不幸に献身しているあなたは、まず最初に、自分が惨めであり、幸せではないと認識しなければならない。(T-14.Ⅱ.1:2)

奇跡講座/中央アート出版社


私たちはまったくと言っていいほどそのことを自覚/認識していないといえます。

ですから、私たちはそのことを自覚/認識していくために、自分の内側を見る(直視する/認識する)ことが求められているといえます。


あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではなく、ただ自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことだけである。(T-16.IV.6:1)

奇跡講座/中央アート出版社


コースのイエスは、神の愛を拒絶していることを自覚しなさい!その自分に気づきなさい!見なさい!と私たちに告げています。

内側を見る(直視する)ということが私たちに求められているのです。

ちなみに、それは愛を見つけ出すためではありません。

このコースの実践でしていくのは、愛を、ではなく、愛を阻む障壁(闇/自我)を見つけ出して(直視して)いくことであるわけです。

なぜなら、直視することによって、取り消し(訂正)はなされるからです。

愛の障壁が取り消されたとき、私たちは愛がそこにあるのを知るでしょう。

もし「神の愛を拒絶している」ということが自覚されないままならば、愛の障壁は取り消されることなく、つまり、愛はずっと隠され続けることになります。

私たちが理解しておかなければならないのは、この今も神の愛を拒絶しているからこそ、自分たちはこの世界に居るのだということです。

そのことが理解されているならば、当然、コースの学びと実践をしないわけがありません。

言い換えるなら、むしろそういうことを理解するときこそ、ようやくこのコースの学びと実践は本格的にはじまるといえるでしょう。


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