本当はいったい何を恐れているのか?その真実を知りたいですか?


恐れを通り抜けていくために

恐れについて述べるならば、意識上に上がってきていようがいまいが、この世界の誰もが恐れを抱いていると言うことができます。

恐れは、誰もの内側にあるということです。

私たちが知っておかなければならないのは、私たちは恐れを抱いているがゆえにこの世界に存在しているのだということです。

というのも、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、恐れから逃れるためにこの世界を作り出したと教えてくれているわけです。

また、コースは、この世界は罪悪や恐れを隠すために作られている、というふうにも述べています。


恐れの環は肉体に見えるレベルのすぐ下にあり、それがこの世界を支える土台のすべてであるように見えている。ここにすべての幻想がある。すべての歪んだ想念や狂気の攻撃、そして激怒や復讐や裏切りが、ここにある。これらが作り出されたのは、罪悪を然るべきところに保持し、それにより、罪悪から世界が立ち現れて、罪悪を隠れたままにしておけるようにするためだった。(T-18.Ⅸ.4:1-2)

奇跡講座/中央アート出版社


この世界は恐れを土台に作り出されたということです。

ということは、この世界にいる私たちはみんな恐れ(罪悪感)を隠し持っていて、恐れのない者などいないということです。

逆に、恐れがないならば、もはやこの世界を必要とはしないわけで、そうであるなら、この世界の中にはいないと言うことができましょう。

そう、恐れがない者は、この世界を超越したところから、もはやストレスもなく、この世界の夢のドラマを眺めているはずです。

ただし、この世界の中にいると信じてしまっている私たちは(恐れは幻想であるにもかかわらず、)恐れを実在させてしまっています。

その恐れは、事あるごとに、人生の必要なタイミングで湧き起こり続けているといえます。

ときにはそれが未来に対する恐れであったり、死に対する恐れであったり、いろいろな形の恐れとしてこの世界で体験されていると言うことができるでしょう。

コース学習者である私たちが覚えておかなければならないのは、私たちはその恐れを正視していくことが求められているということです。

私たちは恐れを通り抜けていかなければならないのだということです。

そのように正視していくことでしか、「恐れはない」ということを体験的に理解していくことはできないのです。

要は、恐れを見つけ出して、そして、恐れを取り消していくことが、このコースの実践で私たちがしていくことなのだということです。


私たちは本当は救いを恐れている

恐れと向き合う実践をしていくときに役立つのが、ワークブックレッスン5の声明文です。


私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない。(W-pI.5)

奇跡講座/中央アート出版社


どんな恐れであろうと、それは、自分が考えているような理由で恐れているのではないということです。

ならば、いったい私たちは何を恐れているのでしょう?

私たちがが恐れているのは、死でもなく、十字架刑でもありません。

私たちが本当に恐れているのは、じつは、「救い」なのです。

私たちは、本当は救いを恐れているということです。

それは、私たちにとってはまったく信じがたい真実だといえるでしょう。

でも、私たちはコースの学びと実践と通してその真実を自覚/認識していく必要があります。

むしろ、それなしに、どうやって私たちは真に救われるというのでしょう。

自我は、「すべてが嘘である」「すべては実在しない」「すべては無である」ということが明らかになることをひどく恐れています。

そして、私たちはその自我と同一化してしまっているのです。

なぜ私たちはこの世界にいるのか?
そして、
なぜこの世界に居続けようとするのか?

というなら、つまりは真の「救い」を恐れているからです。

それがこの世界に居る私たちの真実なのです。

コースの学びと実践を通して私たちはそのことを理解するようになります。

その理解が、真の「救い」への第一歩となることを知っておくと良いでしょう。

そう、そのことを真に理解するとき、「恐れ」を取り消していかなければならないことや、そのために恐れを直視していかなければならないことのその必要性と重要性をもっと理解するようになることでしょう。


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