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エッセイ・コラム

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2022年10月の記事一覧

記者ごときに世界観などない

記者ごときに世界観などない

よくマスメディアの記事を読んで、「くそみてえな記事だ」とか「読むに値しない」「つぶれろ」という批判をするひとがいる。
そうした読者の声は大半の場合ごもっともであり、いち記者としては読者があらゆる記事に対して批判的であってほしいと思っていたりもする。

はて、なぜこうした批判が起きるのかを自己批判的に考えてみると一つの解にぶちあたる。

それは「メディア関係者に大した世界観がない」ということである。

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二度と会うことのない生徒たちの記憶

二度と会うことのない生徒たちの記憶

実は、私は教員免許を持っている。
だから教育実習にも行ったことがある。
守秘義務があるため学校や生徒のことについて詳しいことは言えないのだが、これが色々と鮮烈だった。

大学のころ大阪にいた私は、高校まで世話になった東京で教育実習をせねばならなかった。
ひとまず申し込んでしばらく、大阪でボケボケしていたら一本の電話が入った。
実習先の担当者だった。

「キミ、今日打ち合わせだよ」

と一言。これに

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無力感と現状維持と

無力感と現状維持と

「️️現状維持では後退するばかりである」――よく聞く言葉だし、確かに正しいのだと思う。時間が経つのに、実力が変わらないというのは相対的な後退だ。

少し考えてみると、現状維持を望むということは、ある意味ではそれなりに望ましいいまがある、ということでもある。
同時に、自分の現状を支えてくれている世界や環境に対して、自分ができることはないという無力感がそこには漂っている。

明日食べるご飯もなくそろそ

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いきすぎた配慮と自由な価値観と

いきすぎた配慮と自由な価値観と

以前、出来の悪い私を見かねて、先輩にこんな言葉をかけられたことがあった。

記者の仕事は往々にして文章を書くことばかりがフォーカスされるが、文章を書くことは言ってしまえば最後の行為にすぎない。
それまでの取材や、取材に先立つインプットと問題意識を持つ過程のほうが長い。さらにいえば文章を書くことそのものより、実は大事だったりする。

インプットをして問題意識を持ち、取材をするなかで、自然と「これは大

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わからないやつがバカなら、わかるように説明できないやつもバカ

わからないやつがバカなら、わかるように説明できないやつもバカ

高校生の頃はよく岩波文庫の本を読まされたものである。
改めて今見てみると「何がいいたいの?」と思ってしまうほど読みづらい。

特に青(海外の思想書みたいなやつ)なんかは海外の先人たちの出した本を日本語で読むことができるという歴史的な価値こそあれ、日本語としての読みやすさはどっかにおいてきたのかという突っ込みをしたくなるほどだ。
そもそも、読者に理解してもらおうという翻訳者の気概が感じられないのであ

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開眼した達磨は何を見るか

開眼した達磨は何を見るか

少しずつ肌寒くなってくると、決まって冬にやってくる振り袖を着た女性たち、板につかないスーツを着る男性たちを街で見かけるあの卒業式の日を思う。
6年前にはあの振り袖姿を、彼女たちと同じ立場で見ていたのだと思うと、呆気なく時間が過ぎたことを認識させられる。

卒業というのは学校にいる人間にしか許されない特権的なものでもある。
会社に入ったら卒業とは呼ばず、退職という二文字に変貌する。

卒業には、何と

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わたしたちは鬼になれているのか

わたしたちは鬼になれているのか

私は幼年期、水泳をしていた。
時折角材で尻を叩かれたりしながらも、ベストタイムが次から次へと出ていくのが楽しくてしばらくやっていた。

もっとも、練習をいくら積み重ねても、大会のレースの直前はいつも緊張していた。
召集所の椅子を立ち、プールの前に立ち、服を脱ぎ始める。
誰にも頼ることのできない圧倒的な孤独と、固くピンと張りつめた緊張感。
私は緊張すると下を向いてただ貧乏ゆすりをすることが多かった。

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書き言葉には人が出る

書き言葉には人が出る

自らの書いた文章を発信して公衆に晒すという行為は、作家をはじめとした「力のある人」にだけにしかかつては許されていない行為だった。

それだけに、ろくにインターネットが発展していなかったころに友人が書いた文章に出会う経験はほとんどなかった。
中学生の頃に「作文ノート」なんてのがあって、配ったりするときにちらりと他の人のやつを見ていた。悪いやつだなと思うのだが、そうでもしないと人の書いた文章を見るとい

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「永遠に生きるつもりで夢を抱け。今日死ぬつもりで生きろ」

「永遠に生きるつもりで夢を抱け。今日死ぬつもりで生きろ」

2015年だったか、「まれ」というNHKのテレビ小説があった。

ざっくりとしたあらすじをいうと、夢が大嫌いで真面目にコツコツやることをモットーとしていた希(まれ)という女の子がパティシエになるという夢をかなえようと奮闘する、という話だった。
その過程で無計画に子供を産んだりパティシエを一度やめたりと、「真面目にコツコツ」といった計画性とはかけ離れて色々と迷走していたところもあって時々批判が出てい

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母の量的感覚は異常

母の量的感覚は異常

「母は強し」という言葉が示すように、母親の戦闘力は高い。特に子どもに対しては、母性本能というものも手伝ってか戦闘力はパワーアップする。

よく言われる「母性」とは何なのだろう。少し調べてみると、一概に定義されるものではないらしい。一般には赤ちゃんとか弱いものをちゃんと育てるべく愛情を注いでお世話をするようなさまを指すような概念だ。

甲斐甲斐しく世話をする女性は、太宰治の『人間失格』に描かれている

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死ぬことと本を読むこと②

死ぬことと本を読むこと②

「遮光」は見事な作品だった。彼女との死を経験した虚言癖のある男の話だが、最後のシーンの美しさは言葉にできない。激しくネタバレするのだが、要は死んだ彼女の小指を口に含んでフィニッシュ。彼女自身を肉体に受け入れる瞬間なのである。
「気持ち悪い」と一蹴する向きもあろうが、私にとっては至上の美しさを持った描写だった。
死と生の交錯を見たような気がした。

そして、小説とはその肝心な描写に入るまで、とにかく

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死ぬことと本を読むこと①

死ぬことと本を読むこと①

ここ最近、本がたまりにたまってしまっており、自分の読書スピードの遅さに辟易としている。人間、死ぬまで本を読み続けて、結局すべてを読み切れないままその命を終えていくのだろうかと思ってしまうほどだ。

学生の時分、

と中国文学の先生から言われてからというもの、読書はとりあえずやろうという危機感からなんでも本は読むようにしている。

読書というのは学習の基礎基本である。
活字離れなどと言われて久しいが

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「みんなちがってみんないい」なら、「みんなおなじのほうがいい」という意見は、どうなる?

「みんなちがってみんないい」なら、「みんなおなじのほうがいい」という意見は、どうなる?

私は卒論を書かねば卒業ができない大学にいた。「20000文字書けばオッケー」という緩めのものではあったが、担当の先生が非常にキチッとした方であり、何につけてもツッコミが鋭かった。

今思えば、歴史学の専門であるのに、私が一方的に書いた教育社会学チックな論文にもああだこうだと的確に意見するあの圧倒的な教養は恐れ入るところだ。

さて、私の卒論のテーマというのは非常に簡単に言うとヨーロッパの高等教育に

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己には、渇望するものはあるか?

己には、渇望するものはあるか?

なんであれ、失ったり、無くしたりするのは誰しも怖いものだ。

財布を無くすのはいうまでもない。
大切にしていたプレゼントとか、親の形見とか、そういうものも同じだ。
縁起でもない話だが、大切な人を喪うということも、また同じだろう。

ほかにも、失う経験はある。
水の中に潜ると、わたしたちは徐々に酸素を失う。
しばらくして息が苦しくなる。それでも我慢していると、全身が硬直して「いよいよヤバいぞ」という

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