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自選note

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自分のお気に入りの投稿・読み返したい投稿をまとめました。
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#エッセイ

夢に見た恋人と出会えた話

夢よりぞ見初めし人は彼ならむ
あはする人もなけれどあへり

この短歌は下記の詩を踏まえています。

「夢合わせ」というものがありました。
夢合わせとは夢の吉凶を占うことで、これがうまくいけばその夢が実現する、と信じられていたようです。(この辺のことはよく知りませんので間違っているかもしれません)

引用した古歌は「あはする人」に掛詞が用いられており、「夢で見た恋しい人に会わせる人がいてほしい」とい

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芸術と恋

芸術と恋は似ている。

人は恋をするとき、大なり小なり相手を理想化している。あるいは「この人こそ理想の人だ!」と相手に理想を重ねるものだと思う。芸術も、(ある面においては)理想を描く行為だ。世界から美しい部分を切り取って増幅させたり、自分の理想を形にしたりする。私の敬愛する画家は、見たままを描くのではなく「こう見えたらいいな」と思うものを描いているという。「写実主義はありのままを描くではないか」と

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花とうつわ/空間を見る

花とうつわ/空間を見る

生け花

本格的に生け花を始めてみようと思い、まず試しに生けてみました。しかし右も左も分からず、教室で教わった方がずっと早かろうと思い、生け花教室の体験に行ってみました。

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表現者として生きる

絵画論の本を何冊か図書館で借りて読みました。
うち2冊は、部分部分には共感したり腑に落ちる記述はあったものの、あまりピンと来ず、通読できませんでした。しかし、『絵画の表現』という本と出会って、目から鱗が落ちました。この本と出会うために、今まで色々な本を読んできたのだ、と思いました。その本で示された「絵とは何か」「なぜ描くのか」という問いに対する答えに、私は「これだ!」と直観しました。

先日のno

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泡玉記念日

泡玉記念日

8連勤を終えて、29日から連休に突入しました。
日付が変わったので、30日の出来事はもはや昨日になってしまいましたが、それを「今日」のこととして書きます。とっても濃密な1日でした。

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神さまの話

神さまの話

リルケ著『神さまの話』を読んだ。

リルケの書いたものは、みな繊細で優しく、神聖で清らかだ。私が知っている作家の中で、最も敬愛している作家だ。文字を追うごとに、次々に透明な感銘が湧き上がる。心が浄化されていく。読んでいて、思わず涙しそうになった。

特に惹かれたのは、「人間の真の姿を神様にお伝えするのが、子供たちや、絵を描いたり、詩を作ったりする人たち(要約)」と書かれた箇所だ。なぜ惹かれたのか、

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「パクリ」と「オマージュ」や「リスペクト」などの違いについて

本題はタイトルの通り。しかし体験の記述が大半を占めるので、手っ取り早く結論のみ知りたい人は、目次の「『パクリ』と『オマージュやリスペクト』などの違い」の項目から飛んでほしい。

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リカバリー

今日読んだ小説に、「良い職人は失敗を正せる職人だ」という台詞がありました。

これを読んで、かつてスランプになっていた頃、絵の先生に「一度盛大に失敗してみて、そこからリカバリーしてみたらどう?」と言われたことを思い出しました。

失敗せず、「上手く」描くことを自分に求めてプレッシャーを感じていたのかもしれません。今でも、上手くいかないと落ち込みそうになることがしばしばあります。失敗を恐れると緊張し

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責任について

「怒りは怒っている人自身の問題だ」、という意見に、私は全面的に賛同する。なぜなら、いくら理不尽で不愉快なことがあろうと、それに憤りを覚えるのは自身の問題だからだ。逆に、人を故意に怒らせるような言動をとるのは、その人自身の問題だと思う。

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芸術と身体

こんな文章を読みました。

ラスコー、アルタミラの洞窟壁画にはじまる絵画は、成立当初から既に高度なものであったが、動物画に比べ人物画は稚拙だった。その理由は「解剖」にあるんじゃないか。旧石器時代の人は狩りをし、食べるために動物を解剖したから動物画はリアルだった。人物画が発展したのは古代エジプトでミイラが作られるようになってからで、そのとき人間を解剖したために、肉体の内側を意識するようになり、人物画

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役に立たないものを愛する

今回は松尾芭蕉の『芭蕉を移す詞』について。

芭蕉は『奥のほそ道』の旅に出る前、草庵を取り壊すにあたり、そこに植えていた芭蕉(植物)を他の地に移しました。その芭蕉(植物)を取り残して旅に出たわけですが、芭蕉(植物)の世話を近所の人に頼んでおいたものの、彼は旅の最中、残してきた芭蕉(植物)が気がかりだったようです。そのくせ5年も旅を続けたわけですが(笑)、5年の行脚ののち、芭蕉(植物)と再会します。

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行かないで

体調不良のため早退して帰宅し、文鳥2羽を放鳥して自由に遊ばせながらのんびりしていた。桜文鳥の夢ちゃんを手に乗せたまま、少し席を離れようとすると、ケージの中に戻っていた白文鳥のマシロが大慌てで飛び出し、「プキュキュ!キュゥウウウ〜」と悲痛な叫びを上げた。聞いたこともない鳴き方だった。

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無になりたい

コミュニケーションに疲れた。ひとりになりたい。誰とも関わらずに、誰かを演じずに、忘我する時間が欲しい。

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ガー子の最期

ガー子の最期

忘れられないアヒル、ガー子との思い出を、追悼の意味を込めて書く。

出会い小学生の時、祖父に連れられて行ったホームセンターで、ヒヨコのような可愛い生き物が箱の中でひしめき合ってピヨピヨと鳴いているのを見かけた。見るとアヒルの雛だった。どうしても飼いたいと、祖父に頼んで買ってもらった。

ガー子との暮らしの始まりその日から、アヒルのいる暮らしが始まった。ピーピー鳴くので、ピー子と名付けた。アヒルの飼

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