表現者として生きる
絵画論の本を何冊か図書館で借りて読みました。
うち2冊は、部分部分には共感したり腑に落ちる記述はあったものの、あまりピンと来ず、通読できませんでした。しかし、『絵画の表現』という本と出会って、目から鱗が落ちました。この本と出会うために、今まで色々な本を読んできたのだ、と思いました。その本で示された「絵とは何か」「なぜ描くのか」という問いに対する答えに、私は「これだ!」と直観しました。
先日のnoteにも、読みたい本が沢山あって時間が足りない、と書いていたと思いますが、もうしばらくは本は読む必要がないかもしれない、と感じました。
絵画の本質は思想や哲学にある、という記述と出会い、「私は表現者でありたいのであって、学者や哲学者や研究者になりたいのではなく、哲学や研究はあくまで表現のための手段に過ぎないのだ」と、目を開かされました。手段が目的化してしまっていたのだと、理性ではなく実感として、気付かされました。
今までは、短い人生の中で読むべき本をどう選んでいったら良いだろうかとずっと悩んでいて、その答えがわからないまま、とりあえず関心の向くままに読んでいました。
しかし、先述の本と出会って、「なぜ描くのか」に対する納得のいく理論的根拠が得られると同時に、自分が本に求めているものが何だったかにはっきりと気付けました。これからは、自分の表現に寄与し得るものを選び取っていきたいです。なにが必要かは、直観が教えてくれるでしょう。自分の直観と、芸術観を信じよう、と思いました。
いま、『人間の建設』という数学者の岡潔さんと小林秀雄の対談をまとめたエッセイも読んでいます。その中で岡さんが「直感と情熱があればやるし、同感すれば読むし、それがなければ見向きもしない。わたしはそういう人を詩人と呼ぶ」と語っています。「詩人」を「芸術家」ないし「画家」と置き換えても良いでしょう。私は直感と情熱に従って生きよう、表現者として生きよう、と改めて肝に銘じました。
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