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いつの間にか、私たちはきっとすっかり大人だから

iPhoneのメッセージ通知欄に、「懐かしいね」と5文字だけメッセージが表示された。
何かと思って開いてみたら、そこに添えられていたのははたちの私の写真だった。
SNSの「何年前の今日」みたいな機能で、たまたま流れてきたらしい。
二十歳の夏なんて甘くて苦くて、青春を詰め込んで溶かしたような味をしていたあの頃、私は彼を諦めることに躍起だった。

数日前、28になった。
字面を追うと、大人になったなぁと思う。
はたちの頃、はたちになっても大人になったなんてあんまり思えなかったけど、28にもなると実感が出る。
今から思えばはたちなんて子供で、世の中なんてずっとわからないことだらけで、あの頃の未熟さはもうただの子供でしかなかった。
膝上20cmくらいのショートパンツにセーラー服みたいな大きな襟のブラウスを着た写真の中の私は、とてもじゃないけど大人だなんて呼べない。

あの夏、彼のことが好きだった。
その言葉だけですむのは本当はそのさらに前の年のことで、正確に言うとあの夏は、彼のことが好きなまま諦めようとしながら、それなのに彼と会うことを心待ちにしていた。
大人になったばかりの私と大人になって少し経った彼は、夏休みの人気のない大学の部室で、麦茶を飲みながらくだらないことばかり話した。
お酒を飲むと頭が回らなくなるからあまり飲まないという彼と、お酒は怖いというイメージが先行して全く飲めなかった私は、二人のときもそうじゃないときも、いつだってソフトドリンクばかり飲んでいたっけ。
まだ10代の後輩たちがお酒を頼もうとする姿を横目に、私たちこれどうしよっかって、目配せした日が懐かしい。

1年前、ふと思い立って彼と再会した。
死ぬ前にもう一度会っておきたいと思ったから、なんとなしに彼を誘った。
都会の雑踏、午後7時半。
こじんまりした飲食店に入った私たちは、ワインを片手にカウンターでなんでもない話を4時間も続けた。
とるにたらない、意味のない話を。
それが近況報告と呼べるようなものなのか、今後なにかの役に立つことがあるような話なのか、そんなことはなにも、わからない。
わからないけれど、大人になった。
久しぶりに再会した彼が大人っぽくなったとか、そんなことはあまり思わなくても、それでもすっかり大人になった事実を、ひときわ強く実感した。
大人な場所で都会の色に染まりながら、それぞれ自分の生きる社会で、しっかり未来へ歩き続けている。

「次は5年後かな」
そういえば前回の別れ際、手を振りながらこう言われたんだったっけ。
その時は1年後の未来がこんなことになっているなんて知らずに、簡単に約束さえすれば会える未来を信じ込んでいた。
4年後の夏、未来の日常はどうなっているだろうか。
また彼とお酒を飲める日が待っているだろうか。
もしそうなら、次はうんと大人なバーにでも連れて行って欲しい。
30代になってやっと見える大人な世界について、今度はきっと、また実感が持てるようになっているだろうから。
白髪が増えたとか後輩がかわいいとか笑いながら、次の5年間の変化を心待ちにできるようになっていたい。

まぁでも、別に特別会いたいわけじゃないんだけどね。

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