見出し画像

私は100社落ちの就活生だった

世の中はコロナウィルスの影響で激動の中、2021卒業生の就活が動いている。
noteでオンラインの合同企業説明会を開催しているのを見て、悪夢のようなあの頃をほんの少し。
思い返しては切なくて、やりきれないほど苦しくなってしまう。
あの頃私はやりたいことが全くないまま、文字通り家に帰れないくらい忙しい授業に翻弄されて、結果100社落ちの就活生になった。

そこそこのレベルの大学に通っていた。
それなりに頑張って手に入れたものだったし、自分の大学には今も満足している。
ちょっと世間とズレがあって、学問に真摯な場所。
当時の私は仕事というものが全くわかっていなく、企業で働くことよりもアカデミックな世界が尊いものだと信じて疑わなかった。
大学で就活対策なんてするのはアカデミックを学ぶ場なのにおかしいと思っていたし、大学で就活対策をする大学に通っている友達を褒めたたえる親も嫌だった。
それでも大学院に進むことを迷いながら、結局大学を出たら就職しようと思った。
院に進むなら臨床心理だったし、その頃の私は自分のことで手一杯で、臨床心理を学んで仕事に活かせる未来が全く描けなかったから。

就活解禁の日、わけもわからず「この日に解禁だ」という情報だけ入れていた私は、とりあえずその時間にパソコンの前で待機し、わけがわからないまま適当に登録をした。
そこからわけもわからず企業説明会に行き、手当たり次第選考に進める。
本当に何もわかっていなかったので、そこそこ大きそうだとか名前を聞いたことがあるだとか、あとはなんとなく興味のあった業界の中小企業を片っ端から受けていた。

そのまま忙しない日々が続き、自己分析やらエントリーシートやらの提出が始まって、書くことが何もないことに愕然とする。
本当に何もしてなくて書くことがないのならまぁわかるのだけど、私は3つのサークルを掛け持ちしそれぞれ結構がっつり活動をした上で、特に忙しいと言われている学部の専攻、海外でのボランティア活動や短期留学、と大体大学生が書きそうなコンテンツはほぼ有していた。
それでも書くことが本当になかった。
今思えば、「改善」とか「工夫」とかが圧倒的に足りていなかったのだと思う。
言われたことをこなすことで、色々やれた気になってしまっていた。
でも本当に必要だったのは自分で考えて行動する力だと、やっと気が付くのは27歳になってからのお話。

「自分は駄目な人間だ」という潜在意識があった。
長所なんて思い浮かばなかったし、いいところを言ってもらうとすかさず"それには実はこんな悪い面があって本当に私は駄目な人間なのだ"と弁解してしまうくらいに。
そしてかなりの口下手。
人前で話すことが物凄く苦手で、グループディスカッションでは相手に届く声で言葉を発することすらできなかった。
グループ面接は隣に人がいることで上手く文章が頭の中で組み立てられず、個人面接になって多少まともに話すことができる、というポンコツ具合だった。
自分で駄目だと信じきっている自分という商品を口下手な自分が売り込むのだから、まぁそれは当たり前のように上手くいかない。

就活が始まって数か月、内定ラッシュがやってくる。
周囲は優秀な人が多く、内定解禁日になると明るく人当りのいい友人はこぞって就活を終えた。
「あの子も就活もう終わったって」という声がちらほら聞こえる中、スーツで授業を受けその足で就活に向かう。
それはまだ、終わりの見えない地獄の始まり地点に過ぎない。

内定解禁日から1ヵ月が経過、同じ専攻の就活組で就活を続けているのは私だけ。
はきはきとして賢く、私から見てもできる女だという感じ揃いのゼミ仲間は皆、名の知れた企業に就職を決めた。
他のコミュニティの知人を見渡してみても同じような人が何人もいて、先に進めなく終わりが見えないと嘆いているのは、私とその他口下手だったり内気だったり、自分のアピールがあまり上手くなさそうな子ばかりだった。

何種類ものセミナーや面接必勝法の説明会、面接での姿勢や言葉遣いの指導からやってくれるサポートサービス、人材紹介会社や都のキャリアセンターなど、検索してひっかかるものは片っ端から参加した。
最早企業を選んでいる場合ではないと、就活サイトに表示された企業にはほぼ全て応募し、下手な鉄砲数うちゃ当たる作戦に移行した。

結果、何も上手くいかなかった。
面接で聞かれる「どうしてうちの会社に?」の答えは、私が聞きたいくらいだった。

しばらくして、やっと初めての最終面接を迎えた。
面接を終えた当日、採用担当者から電話がかかる。
内定をもらった仕事は、大手子会社のシステム系営業職だった。
もうこれを逃したら一生働けないと思っていた私は受諾しようとしながら、念のため親にも連絡を入れた。
そこで言われたのは、おめでとうではなく「営業職で自分がやっていけると思っているのか」だった。
結果、初めてもらうことのできた内定はお断りした。

そしてまた、先の見えない戦いが続く。
いつ終わるのかもわからないまま、今度は人数を多く採用してくれるところを片っ端から受ける。
この時期になってくると、追加募集をしている企業しか見当たらない。
私は負けたのだと、とにかく強く思い続ける。
きっと自分は世の中の誰よりも無能で顔も可愛くないから誰からも必要とされないのだと、とにかく強く思い続ける。

そこから1か月後、再度内定をもらうことができた。
今度は大手金融系一般職。
営業は全くなく、転勤もない。
もう、これ以上続ける気力は湧かなかった。
ここで長く苦しい私の就活はやっと終わりを告げた。

全てが終わっての感想は、"私は一般職にしか受からないんだな"だった。
世の中に期待されていないし一人で生きていくこともできない身分なんだ、と思った。
決して決まってハッピーというわけではなくて、その後もひたすら自分はそういう星の廻りなのだと思い続けた。

新卒で入ったその会社はたまたまとてもいい会社で、大好きな同期に恵まれ、強いお姉さまに泣かされながら同期とたくさん笑う日々を過ごした。
当時私より長く就活していた友達も、なんやかや無事決まって、今はみんな5年目社会人の終わりだ。

あの頃、多分100社落ちしたのは私くらいで、あとはおそらくそんなに受けていなかったんじゃないかな。
氷河期でもなかったしなんなら売り手市場だと言われていたくらい。
周囲で私だけが暇であることへの恐怖心から、とにかくなんでも詰め込んでいた。
そしてエクセルシートに受けている企業と選考状況一覧をまとめ、こんなに落ちた自分はいかにダメな人間かを自分に見せびらかせていた。

就活は怖い。
マズローでいう「所属と愛情の欲求」が強く脅かされる。
次の春からどこにも所属できないのではないかというプレッシャーと、周りと自分との差からくる焦り。
いまだに、あの頃どうしていたら良かったのかはよくわからない。
わからないけれど、それでも私は初めて入社する会社があの会社であってくれて良かったと心から思っている。

やっぱり自分はダメだと思い続ける新入社員をやっていたのは、そこから先のまた別のお話。

**********

たまに普通のエッセイも書きますが、普段はコーチングなどをしています。

公式LINEはじめました!
こちらでは月に数回、noteとは違った形でメッセージ配信予定です。
友だち追加いただくと、セルフコーチングシートをお送りします!

LINE友達追加

画像2

セッション予約をご希望の場合は、こちらのLINEを友達追加後、①お名前②ご希望日時をメッセージにてお送りください。

お仕事依頼はこちら↓


お読みいただきありがとうございます! サポートいただきました分はnoteを続けるエネルギーに変換していきます。