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#ラグビー
<ラグビー及びエッセイ>『スワーブをきりながら(私とラグビーとの長い旅)』
2024年4月4日、『スワーブをきりながら(私とラグビーとの長い旅)』というエッセイを、Amazonの電子書籍及びペーパーバックで出版しました。
これは、私が大学時代にラグビーに出会ってから、その後社会人(国家公務員)となり、いろいろな海外で勤務をしながら、現地でラグビー、タッチフットなどをしてきたこと、そして息子の(全国大会出場経験のある)高校ラグビーの父兄としての経験など、40年にわたる
<書評>『LEGACY 15 Lessons in leadership(伝統 15通りのリーダーシップ)』
James Kerr著 2013年 Constable & Robinson Ltd. London
もう一つの副題に、「What the all blacks can teach us about the business of life(オールブラックスに学ぶ日々のビジネス)」とあるように、オールブラックス監督にサー・グラハム・ヘンリーが就任した2003年以降、2011年のオールブラックス
<書評>『Classic Rugby Clangers(古典的なラグビーの騒音=ラグビーの面白いエピソード)』
『Classic Rugby Clangers』 David Mortimer著 2003年 Robson Books
1871年から2002年までのラグビーの歴史を振り返って、もっとも残念だったエピソードを集めたもの。いかにもイギリスのコアなラグビーファンが喜ぶような内容の本。
最初のラグビーとサッカーが分化したときの説明が面白い。ラグビーはラグビー校のルールが基になったが、サッカーはイ
<書評・ラグビー>『John Kirwan’s Rugby World(ジョン・カーワンによるラグビーの世界)』
『John Kirwan’s Rugby World』John Kirwan, Phil Gifford, Paul Lewis, Loosehead Len, Bob Howitt, Ian Borthwick, Bill McLaren, Barry Ross, Greg Campbell, Steve Jones, Peter Bush, Keith Quinn, Heather Kidd,
もっとみる<閑話休題>2022年のまとめと2023年の抱負
明けましておめでとうございます。旧年中のご愛顧を感謝申し上げますとともに、引き続き本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
2022年4月以降は、定年退職して時間ができたこともあり、読書及び創作活動に勤しむことができた。そこで、2022年のまとめと2023年の抱負を書きたい。
1.読書
(1)2022年のまとめ
なんといっても、ダンテ『神曲』を邦訳ながら読了できたこと。翻訳しているせいも
<ラグビー>日本XV対オーストラリアA、明治対立教、帝京対筑波の結果等々
(どうでもよい「話の枕」です。関心ない方は飛ばしてお読みください。)
1920年代というと、アメリカでは、ジャズと禁酒法(下で隠れて飲むこと)と第一次大戦後の空前の繁栄を謳歌した時代だが、この頃に活躍した作家リング・ラードナーを最近読んでいる。本当は原書を入手したかったのだが、古すぎてあまり手に入らない一方、英語が昔の表現なので理解できないところが沢山ある。一方、昔神保町の北沢書店などで購入した
<書評>“Behind the SLVER FERN, Playing rugby for New Zealand”「シルバーファーンの裏側で、NZラグビーの歴史」その10(最終回)
2014年は、ハミルトンのイングランド戦まで17連勝を記録したが、オーストラリアに12-12で引き分けて、またもや連勝記録が止まった。エリスパークの南アフリカ戦では、イングランド人レフェリーのウェイン・バーンズが、オールブラックスFLリアム・メッサムにPKを取り、南アフリカSOパット・ランビーにPGを決められて、オールブラックスは負けてしまい、不敗記録も22戦で止まった。南アフリカは、2011年
もっとみる<書評>“Behind the SLVER FERN, Playing rugby for New Zealand”「シルバーファーンの裏側で、NZラグビーの歴史」その9
2012年、オールブラックスは、監督グラハム・ヘンリーとアシスタントコーチのウェイン・スミスが勇退した。後任は、アシスタントコーチだったスティーヴ・ハンセンが監督に就任し、アシスタントコーチには、イアン・フォスター(チーフス)、オージー・マクリーン(クルセイダーズ)が指名され、セレクターは引き続きグラント・フォックスとなった。
ハンセンは、FLでキャプテンのリッチー・マコウとSOダニエル・カータ
<書評>“Behind the SLVER FERN, Playing rugby for New Zealand”「シルバーファーンの裏側で、NZラグビーの歴史」その8
2009年は、ダニエル・カーターがサブバティカルを取ってフランスに行ったが、足首を怪我して戻ってきた。またリッチー・マコウも休養を取っていた。そのため、2人が不在となったダニーデンのフランス戦で負けてしまう。
さらに、ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズにシリーズで勝ち越して自信を持った南アフリカに、ブルームフォンティーン、ダーバン、ハミルトンと3連敗してしまう。それは、監督ピーター・デ
<書評>“Behind the SLVER FERN, Playing rugby for New Zealand”「シルバーファーンの裏側で、NZラグビーの歴史」その7
2003年トライネーションズの最終戦となる、ヨハネスバーグの南アフリカ戦で、26-40とオールブラックスは大敗し、カップを取り損ねた。この後のチームミーティングは、その後のチームを変えるものとなった。アシスタントコーチのウェイン・スミスは、「これから、我々はどうすべきなのか。世界最高のチームを目指すのか、それともただオールブラックスというだけで良いのか」と選手に問いかけた。
それからチームは、歴史
<書評>“Behind the SLVER FERN, Playing rugby for New Zealand”「シルバーファーンの裏側で、NZラグビーの歴史」その6
1996年には、トライネーションズの最終試合に加えて3試合のテストマッチ、さらにミッドウィークのゲームも行う、オールブラックスの南アフリカ遠征が行われた。この遠征で、オールブラックスは南アフリカとのテストマッチ4試合に3勝1敗と初めてアウェイで勝ち越す快挙を成し遂げた。
特に、最後の1995年RWC決勝の舞台となったエリスパークでの第4テストマッチでは、SOアンドリュウ・マーテンズが怪我で欠
<書評>“Behind the SLVER FERN, Playing rugby for New Zealand”「シルバーファーンの裏側で、NZラグビーの歴史」その5
1995年RWCを迎えて、オールブラックスには新たな若手が加わった。それは、WTBジョナ・ロムー、SOアンドリュウ・マーテンズ、FLジョシュ・クロンフェルド、WTB/FBグレン・オズボーンだった。彼らの力は、イーデンパークのカナダ戦で確かなものと認められた。
ロムーは、前年のフランス戦で活躍できなかったため、NZ国内でもその価値が理解されていなかった。一時期はオーストラリアリーグのカンタベリーブ
<書評>“Behind the SLVER FERN, Playing rugby for New Zealand”「シルバーファーンの裏側で、NZラグビーの歴史」その4
1987年以前は、南アフリカが世界NO.1と見られていた。また、1987年RWCの優勝候補には、前年のブレディスローカップを制していたオーストラリアが挙げられていた(南アフリカは、アパルトヘイトで不参加)。そして、優勝候補NO.2には、前年のオールブラックスのフランス遠征で1勝1敗の記録を残したフランスが有力視され、オールブラックスは3番目とされていた。
オールブラックスは、イタリア、フィジー、