18歳の時間、誰もその永遠であり一瞬である特別な時間を奪うことはできな い/あいみょんと1000人の「双葉」のために
18歳の時間、その特別な時間。その時に気づくことはない。18歳のわたし、あなた、彼、彼女、あるいは、彼でも彼女でもないわたし/あなた。その時間が一瞬のものであることしかわからない。それがドアを開いたその時に舞い降りる閃光のようなものであることしかわからない。それが遠くで微かに聴こえる囁きのようなものであり、それを確かめるために振り向いた途端に、消え去ってしまう声であることしかわからない。一瞬のその瞬間の時間。
でも、それは永遠の時間なんだ。その18歳の時間は永遠なんだ。一瞬という永遠。永遠という一瞬。たとえなんかじゃない。メタファーなんかじゃないそれはそうとしか呼ぶことができない何かなんだ。それは終わってしまった後でそのことに気が付くことになる。それがわたし/あなたから過ぎ去ってしまった後でしかそれが何であったのか知ることができない何かなんだ。だから、それは痛みと伴に存在することになる。すでにわたし/あなたの手から零れ落ちてしまった時間。わたし/あなたから失われてしまった時間。永遠であり一瞬である18歳の時間、その時間がもたらすその痛み。痛みと伴にしか存在することができない時間。その剃刀のような時間から血が滴り落ちる。
雨が降っている。何日も。ずっと。空色が青だっていうことを忘れるくらい擦り切れた身体を引きずるようにして雨に濡れたアスファルトの上をわたしは歩く。無色の服にその身体を包んで。灰色の空の下の黒い地面をはうようにして移動する無色の人間たちの群れの中のひとり、わたし、そして、あなた。「心の傷も酷い言葉も」全部すり潰してまとめて飲み込んだ。そうしなければ生きてゆくことなどできなかったから。でも、大丈夫、心配しないでわたしは大人だから。もう子供じゃないから。恋だってしているんだから。大人の恋をしているんだから、傷だらけになって、傷つけ合いながら。
時折り、なぜかわたしの胸の奥が痛むことがある。心臓のもっと奥の方が。でも、その痛みが何処から来るのか問うことはない。その痛みの向こう側からわたしを呼ぶ声がした気がしても、その声に耳を澄ませることはない。わたしは大人だから。もう子供じゃないから。わたしから一瞬も永遠も消滅し、その替わりにぎっしりと細かい文字が詰め込まれたタイムスケジュールが手渡される。わたしの埋葬の方法と墓地の場所まで記されたご丁寧な人生という時間の時間割。幸福と不幸が適切に配分された大人の時間割。昨日も今日も明日もわたしの時間は、予定と予定外と必然と偶然の時間で埋め尽くされる。色彩の欠けた平たい時間の中を、わたしは溺れるように泳いでいる
18歳の時間、特別な時間。それは何処へ行ってしまったのだろう。わたし/あなたが18歳だったのは何時のことだったのだろう。わたしは本当にかつて18歳だったのだろうか。永遠と一瞬は何処に行ってしまったのだろうか?
18歳の時間、その特別な時間。永遠と一瞬がそこにある。ミュージックの中に。永遠という一瞬。一瞬という永遠。それが思い描いた期待したものではなかったとしても、その時間の色彩が全て塗り潰されてしまったわけではない。光はそこにある。音はそこにある。そして、色はそこにある。「損なわれてはいない」/「壊れてはいない」。失われた後でしかそれに気が付くことができないそれは、わたし/あなたの深く遠い場所の秘密の場所に保存されている。損なわれることなく壊されることなく、形を変えて、静謐の中に。
それは誰にも何ものにも奪うことはできない。仮にそれが何者かによって、あるいは、何かしらの出来事によって奪われようとするのならば、奪い返せその特別な時間を。影が揺れ動く暗闇の中に飛び込んで、それを奪い返せ。そして、その秘密の場所へ辿り着く深い草で覆い隠されたけもの道を探し出すんだ。何としても。待っている。18歳の時間が、永遠と一瞬が。わたしを
君の夢の中へ 遊びに行くからね
心の傷も酷い言葉も 受け止めてあげるぞ 君も大人になったら 恋をするんだよ
運命の人に出会うまでは 傷が絶えないかもだけど
悲しみなんかは 気づけば雨になる
心耕し 花が咲くまで
可愛く揺れなよ 双葉
(あいみょん、「双葉」より引用)