最近の記事
- 固定された記事
『オッペンハイマー/OPPENHEIMER』は〈映画〉ではない。///、、あるいは、〈饗宴〉、狩猟者/捕食者としての映画に捧げる供儀/2024の4月の春の記憶として
2024/05/17/19:03 //2024の春の記憶//..否定と肯定の『オッペンハイマー/OPPENHEIMER』//その中心に位置する〈怖ろしさ〉の摘出、についてのメモ書き(草稿)// 『オッペンハイマー/OPPENHEIMER』を観た。 メモ、何か、弾け、光、欠片が、花弁か、風か、メモを、鉛筆が、ことば、ような、言葉でない、疾走/逡巡/痕跡、それ、メモ、書く。『オッペンハイマー/OPPENHEIMER』の閃光と轟音が鳴り止む前に。否定と肯定が際限なく振幅し連鎖反
21世紀の言葉のルネサンス/Renaissance生の形式としての、色彩としての言葉 /.失われた〈単語/ひとつのことば=単色/ひとつのいろ〉を求めて/、人間の最後の抵抗にして戦いが、今、開始される。//.
/2024/02/11/18:17//生の断片を保存する魔術として、そこに、それが//招喚される、〈そこにあるもの/こと、ここにあること/もの〉のために そこにあるもの/こと、ここにあること/ものをつかまえようとして、宙を切るようにして手を伸ばし、俊敏にそれを掴み取る。握った手の中を、中のこと/ものを逃さないようにして、そっと覗くと、それが手のひらの中で、立ちすくんでいる姿が見える。一瞬の間。途方に暮れたような困ったような顔をした何かがそこに。次の瞬間、それは手のひらの上で
〈受肉する光/ひかり/抽象の向こう側の具象〉デイヴィッド・ホックニー/David Hockneyの絵画、そして〈カメラ・ルミネセンス/camera luminescence〉
/2023/10/30/19:27//ありえないことがありえること// デイヴィッド・ホックニー/David Hockneyの絵画の光/ひかりの中で/ デイヴィッド・ホックニー/David Hockneyの絵画が、 わたしたちに教えてくれること。 それは、わたし/わたしたちはわたし/わたしたちのそのまま、そのままのありようで、そのままの姿で、あらゆることをそのままにしたそのままで、わたしたちは向こう側へ辿り着くことができ、向こう側の存在となることができるということ。わたし
- 固定された記事
マガジン
記事
深呼吸のための余白に。//遠い向こう側の場所に辿り着く準備として。///8つの名前の人々/ジャン=リュック・ゴダールⅩ蓮實重彦Ⅹアンリ・マティスⅩ安西水丸ⅩカシワイⅩ村上春樹「街とその不確かな壁Ⅹ岸辺露伴Ⅹ荒木飛呂彦
/2023/6/21/19:02/ /8つの名前/ジャン=リュック・ゴダール、蓮實重彦、アンリ・マティス、安西水丸、カシワイ、村上春樹「街と不確かな壁」、岸辺露伴、荒木飛呂彦/ 記録でもなければ記憶でもない。感想/印象/思考でもない。走り書いたメモですらない。強いてこれらを呼ぶならば、生の論理の記述の断章、あるいは物語以前の語りとなる。わたしの内部への旅の準備として招喚された8人。相反と離合と捩じれの渦の中を浮遊する言葉たちが風に逆らい立ち上がる。 8人を呼ぶために、つけ
恥辱、それ以外の何ものでもない。川上未映子「黄色い家/SISTERS IN YELLOW」音楽の失われた迷路的なる場所。////花よ、黄金色の滴る〈がらんどうの童子〉を抱いて跳べ、そして、音楽を奪い返せ!
/巨大な洪水のような言葉たちに飲み込まれる前、今の時刻を外すことなく、今の時刻の瞬間の時間の中で、ことばを書く。極小の堡塁として砦として/ 今の時刻:2023/04/08/20:01/ 今の時刻を外すことなく、今の時刻の瞬間の時間の中で、ことばを書く。 迅速に正確に照準を合わせ的を外すことなく、撃つ。洪水が襲来する前に。 断片的なメモ書きを。搔き集めたことばの塊を。よせあつめた論理と意味で作られたありあわせのことばの料理を。現在という時間の中で渦巻く急速の流れの中で、極
千葉雅也「エレクトリック/〈電子感覚〉の氾濫する電気仕掛けの宇宙/ 非存在と存在が重ね合わされ波が誕生する。//、あるいは悪魔祓い、そして、レクイエム
/革命前夜、その光景について/ /あるいは、現在の時間の中で哲学を行うこと、哲学者であることの意味/ 哲学者が観念と格闘/闘争し科学者が物質を解剖/解体し芸術家がイメージ/像と遊戯/舞踏する。宇宙のマテリアルとしての物質と観念とイメージ/像。 言葉がその格闘/闘争と解剖/解体と遊戯/舞踏を貫通して行く。物質と観念とイメージ/像の祝祭のプロモーターにしてディレクターである言葉。言語こそが物質と観念とイメージ/像の手配師だ。世界は言語によって物質と観念とイメージ/像に腑分けされ
目をあけてごらん、離陸するから/Open Your Eyes, We're About to Take Off//大崎清夏Sayaka Osaki/2022の終わり/残酷に、そして、優しく、時間は流れる/12番目の月の光の中で書かれる風景
2022が終わろうとしている。最後の月、12番目の月が始まり、それもまた終わろうとしている。誰が何を行おうとも時間は過ぎ去って行く。誰もそれを押し止めることはできない。時は流れる。残酷に、そして、優しく。光のようなきらめく歓びの時間も背後の風景の中に溶けて行き小さな瞬きとなってしまう。肉と骨を断ち切られるかのような激しい痛みからはいまもなお血が滴り落ちている。だがそれもまた12の月の終わりには風景のひとつとして取り込まれてしまうのかもしれない。流れ出る血をそのままにして。飲み
「われら闇より天を見る(We Begin at the End)」/13歳/聖なる無法者にして守護者の戦いの記録//、涙よ、流れろ、涙よ、止まれ、終わりより始めるために
涙よ、邪魔をするな、涙よ、止まれ、涙よ、わたしが小説を前に進めることをさまたげないでおくれ。涙よ、視界を奪うことをやめてくれ。それが戦慄き震えるわたしの体の叫びをあらわすものであったとしても、少しの間ほんの少しの間、わたしが終わりに辿り着くまでの時間を与えてくれ。終わりからはじめるために終わりに到着するために。溢れ出る、涙、止まれ、涙よ、 小説という小さなフィクションの中で誕生し非情の世界に投げ出された13歳の少女が世界と戦う。弱き存在であり守られるべき存在であるはずの少女
ゲルハルト・リヒター//絵画の終決者Ⅹ絵画の黙示録//〈積層流体色彩論序説〉のための短いメモ書き/〈泥の光の色彩Ⅹ色彩の光の泥〉のランドスケープ
ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter)の絵画 ゲルハルト・リヒターのそれは絵画ではない。何度でも繰り返さなければならない。ゲルハルト・リヒターのそれは絵画のようなものですらない。ゲルハルト・リヒターの絵画は絵画ではない。それは絵画の終焉の向こう側に存在する燃え上がり燃焼した後の絵画の灰の塊りであり、絵画がわたしたちと離別するその最後の瞬間にわたしたちに見せることになるその後ろ姿だ。わたしたち人間はゲルハルト・リヒターの絵画を前にして絵画と決別することになる。
怪物に食べられてしまわないようにわたしは音楽/MUSICを抱いて眠る。/あいみょん 4th full Album「瞳へ落ちるよレコード」/Falling into your eyes Record/(2022.8.17.RELEASE)
「瞳へ落ちるよレコード」Falling into your eyes Recordのための物語/わたしと怪物と音楽/MUSIC 本当の事を言おうか。誰にも言ったことのない本当のこと。わたしには誰にも言えない誰とも分かち合えることのない/できない秘密があるんだ。わたし人じゃないんだ。人のふりはしているけれど。わたし、人になりそこねた、ひとでなしなんだ。悪い人、善い人、その前それ以前の、ひとでなしなんだ だからここに書かれていることは、いかなる意味に於いても、言葉ではない
「NO SIGNAL(ノーシグナル)」自由と孤独と自然と都市と人につ いて/〈来るべき都市〉のために/「街を出て、大自然の中で暮らすことを選 んだ10人の生き方」
日々のあれこれに押し流され、渦巻く流れの中に溺れそうになる時がある。 必死になって流れに逆らい泳いで泳いで目的地へ辿り着こうとして、泳ぎ切ったとしてもそれが終わることなく延々と続くことが分かっているとしても必死に足掻いて藻掻いてジタバタして向こう岸に泳ぎ切ろうとする。わたしがわたしであることを証明するために。溺れながら泳ぎ、泳いでも溺れて。 でも、でも、何もかもがいやになって、何もかも放り出して、ここではないどこかへ行きたくなる時がある。ここではない場所、あそこでもなく、こ
内的な光の写真/森山大道「写真とは記憶である」/世界は内的な光を浴び、レンズによってその風景と光景が結像され物質化することになる。/写真についての短いメモ書き(ver.02/07/2022)
写真についての短いメモ書き(ver.02/07/2022)/森山大道の写真について 目を閉じる。記憶の中で光が散乱する。目を閉じた内部の世界に記憶の光が満ち溢れる。その内的な光を浴びて輝くその風景/光景を記録し物質化して、目を開いてその風景/光景を眺めることを欲望する。記憶の中の外部の世界。内的な光を受けながら内部のものとして記憶として、内部に封じ込められた外部の世界。その風景/光景を内部から取り出し、再び、外部に持ち出すこと 森山大道の写真がそこに存在している。