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ヴォルフガング・ティルマンス あらゆる時間とあらゆる空間の透明な色彩

ヴォルフガング・ティルマンスの光の中に、全ての時間と全ての空間の光が飲み込まれる。あらゆる時間とあらゆる空間があらゆる色彩となって溶け合う。ヴォルフガング・ティルマンス(Wolfgang Tillmans)の光の中で。

全ての季節と全ての場所の色彩が溶け込み閉じ込められた硬質な透明性で象られた世界。幾重にも重なった多重の時間と空間の色彩が形成され、それが、透明性として出現する。あらゆる夜とあらゆる昼の全ての色彩が封印された透明性。絶え間なく静かに揺れ動く大気のように、あらゆる色彩に変化しながら、限りなく研ぎ澄まされた荒々しく優雅で粗雑な透明性。重なり合うことによって生み出される透明性、しかし、重なり合いながらも決して失われることのないその透明性。

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Wolfgang Tillmans

ヴォルフガング・ティルマンスの光の中で、全ての時間と全ての空間の色彩が溶け合い透明となる。

あらゆる時刻のあらゆる天候のあらゆる季節のあらゆる大気の色彩が、あらゆる形と不定形の極微と極大の細片となって、あらゆる色相と明度と彩度と濃淡と透明度と不透明度を持ちながら、無限に交互に織り込まれる極微の中の極大と極大の中の極微の入れ子細工の破片が、数え切れない水滴のひとつと数え切れない砂粒のひとつになって、そのひとつの中に宇宙の全部を内包しつつ、その宇宙の中で無数の水滴のひとつひとつと無数の砂粒のひとつひとつが舞い上がり踊り出す。あらゆる時刻のあらゆる天候のあらゆる季節のあらゆる色彩を持つ透明の光の中で。

夜明けなのか、それとも夜の始まりなのか、嵐の前の光景なのか、それとも嵐の後の光景なのか。光と闇、有限と無限、極微と極大、始原と終焉、生成と消滅、変化と不変、定形と不定形、流れと静止、飛翔と墜落、拡散と凝縮、平行と垂直、轟音と静寂、平穏と騒乱、到来するものと出発するもの、留まるものと去り行くもの、遠ざかるものと近寄るもの、相反するものと一致するもの。同時に、全てが、ひとつの有限の中の無限の中に、溶け込み取り込まれ封じ込められ広がっている。

あらゆる色彩を持つヴォルフガング・ティルマンスの透明の中で。

それが、一瞬、切断される。

その切断面が世界に零れ落ちるように現れる。閃光として。その驚くほどの奥行きの深遠さと広大さ。切り取られた無限が見せる一瞬の透明性の色彩。

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Photograph by Wolfgang Tillmans
“Lux”2009
Courtesy Wako Works of Art
Design by Shinchosha Book Design Division

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Photograph by Wolfgang Tillmans
“I don't want to get over you”2000
Courtesy Wako Works of Art
Design by Shinchosha Book Design Division

ヴォルフガング・ティルマンスの光について

哲学者であり、小説家である千葉雅也さんの二冊の小説の表紙に存在しているのは、ヴォルフガング・ティルマンスの作品だ。この透明で美しく、そして、痛切な小説の装丁にはヴォルフガング・ティルマンスの作品以外にはありえない。(と思ってしまうほどだ。)先日(2021年7月9日)、刊行されたばかりの「オーバーヒート」(OVERHEAT)の書影を初めて目にした時の、心地よい衝撃とその後の軽い溜め息、最近の日本で出版された全ての小説の中で最も美しいものの一つだと言っていいと思う。

「ヴォルフガング・ティルマンスの光について」

今回は、千葉雅也さんの「オーバーヒート」の表紙の“Lux”2009("Neue Welt(新しい世界)"の中の一枚)についての短いメモ書き。その光の透明性の内奥について、機会があればきちんとした文章を書きたいと思う。(下記に作品集のいくつかと、作品(Abstract Pictures)を少し紹介したいと思います。残念ながら、現在、ヴォルフガング・ティルマンスの作品集として私が手に入れているのは「Wolfgang Tillmans Neue Welt – 2012」のみです。)

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Wolfgang Tillmans

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