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2024年のうた (七月)
2024年のうた七月
すべて忘れてしまいたくはないけれどすべて覚えていたくもない
またなにもかも無意味だとおもうところからはじまる雨の文月
七月一日、雨が降ったり止んだり、蒸し暑い、とても疲れた。
中に中身はちっとも入ってなくてすぐそこに底が見えている
曇天で雨も時折降ってきて気温は夏日で湿度地獄
つりあわぬ重さのせいで宙ぶらりんになった言葉のいきちがい
ひとつずつ消去法で消された言
坂本龍一の音楽、その近さと遠さ
坂本龍一の音楽、その近さと遠さ
〜まだ聴いたことのない音をもとめて〜(一)20230328
2023年3月28日、音楽家・坂本龍一が他界した。長く患っていた癌との闘病の果てに。そして、いきなりすごく個人的な話になってしまって非常に申し訳ないが、わたしの母は、その前年の2022年3月27日に死亡した。ちょうど坂本の最後のアルバム「12」でいうと、十曲目と十一曲目の間のことである。ステージ四の末期の
2024年のうた (六月)
2024年のうた六月
薬でものむかのように毎朝ひらきよむ万太郎俳句集
豆の木の蔓がのびゆくその先のシカゴの街のアフロ民藝
日が暮れてゆき細道がまたくらくなるさびしくなってゆく世界
ここには何にも入っていないので乾いた間抜けな音がします
憎しみと呼ばれる街の通りにある首吊り刑に使われる木
ヤキが叩くリズムの上でシューカイカローリシュミットが戯れる
九十歳で変態といわれるそういうものにわ
2024年のうた (五月)
2024年のうた五月
エマホイがひっそりひとりでうたった歌をひとりでひっそりと聴く
雨脚が強まり音も騒がしく蛙も鳴いて胸騒ぎする
どんよりとして肌寒い雨降りの日も沈む気分は沈みゆく
本を読むすべて忘れてしまうため何の役にも立たぬ抵抗
ちからなく腕をのばして指先で感じる紙の本の手ざわり
目の前に何もなかった頃のこと思いださせるまぶしい西日
エマリンどうか夢を諦めないできっと輝く星になれ
「最恐のカリスマ」を見る
「回路」と「カリスマ」と役所広司
過日、黒沢清監督の映画「回路」(二〇〇一年)がBS松竹東急で放送されていたので、録画して視聴した。最近は、テレビ番組をそれが放送されている時間帯にそのまま見るということはとても少なくなった。今春で、いつも土曜日の夜に見ていた「ブラタモリ」が終わってしまうらしい。これによって、さらにまたリアルタイムの視聴の回数は減ることになるだろう。基本的に見たくなるような番組が
2024年のうた (四月)
2024年のうた四月
かたむけないで声をきく明恵の右耳フィンセントの左耳
自然化をされる以前の環境の自然のままの自然をおもう
生きてればきっといいことあるよっていっておくれよ左官長兵衛
あちこちにぶつかりまくりよろけたりへこへこしたりへらへらしてる
近づけば近づくほどに血の気が引いてゆくようで春にとまどう
音楽をきいても耳に入らない食べても味がしないみたいに
ゆらゆらと揺らいでひとり
2024年のうた 第一期 冬・春
2024年のうた第一期 冬・春
新年やまたふるさとが遠くなる二〇世紀は記憶のかなた
元日のポストはまるでオルゴールどこであけてもあけおめことよろ
かためを買った歯ブラシがあんまりかたくなかったのこれも時代か
力尽き年を越せずに一一時一一分で止まった時計
ごま煎餅をもらったひととあげたひと因縁のあるあの二人
つぎつぎと地震津波の情報が画面のうえで白くまたたく
百万の顔なき顔の虚ろな笑顔
読まずに死ねるか(令和五年秋の陣)
まつりに参加した。もうかなり久しぶりのことになるのではないか、秋のまつりに参加するのは。前に行ったのはコロナの前だったと思うから、おそらく四年か五年ぶりぐらいだろうか。今回のまつりの開催期間は、二〇二三年一一月一三日から二一日までの九日間。春のまつりにくらべると、ちょっとだけ期間は短かったような気もする。事前の予定では期間中に二回ほどまつりに参加しようと考えていたのだが、いろいろあって実際に足を運
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