見出し画像

いとくず(一)

20231218

毎日ずっと休むことなく短歌を詠んで詠んで詠みつづけて六〇〇日が経ちました。六〇〇から三六五をひくと二三五ですので、一年と二三五日である。「やっと」でも「もう」でもなく、ただ目の前に六〇〇という数字があるなあという感じだけしかしないというのが正直なところだ。ただし、ただ何もすることがない代わり映えのない毎日のなかで毎日毎日(たぶん)違う短歌をいくつもいくつも詠むということは、これが思いのほかに難しいということだけは最近になってとてもよくわかるようになってきた。六〇〇日やってみて、そのことだけは骨身に沁みるほどに痛感し理解することができている。それだけでも大きな収穫というべきであろうか。これまでに詠んできた短歌の数も結構多くて、もはや自分でも何が何だかわからない状態にある。本当にこれ全部自分で詠んだのかしらと思うことも屡々だ。そして、そのカオスの度合いは日に日に深まってゆく、のである。毎日ずっと休むことなく短歌を詠みつづけているのだから、そうなることも当然といえば当然なのだ。ストップ・ミー・イフ・ユー・シンク・ユーヴ・ハード・ディス・ワン・ビフォー。いつか前に詠んだことをすっかり忘れてしまったうたをそれとまったく同じ(一言一句違わぬ)文言で無意識のうちに二回詠むという奇跡が起こるのではないかと思っているのだが、もしそういうことがあったら教えてください。こちらは前に詠んだうたのことなどすっかり忘れてしまっているはずですので、自分でその奇跡に気がつくことはたぶんきっとありませんから。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

20231223

毎日いっぱい短歌を詠んで、それをひたすらあっちこっちに投稿して発表をしている。だがしかし、それを見ている人はほとんどいない(のではなかろうか)(だが、全然いないというわけではない)。エックスの表示の数字を見ると、たいていが一〇とか二〇とかそれくらいのものである(近ごろはもっとひどくてひと桁台である)。ノートの一ヶ月間のヴューの数字もまあそれと同じようなものである。短歌なんてそんなもんなのかなとも思うが、エックスでは数百とか数千いや万単位の人々が読んでいる短歌もある。この数字の違いは、なんなのだろうか。

単純にいい短歌は自然とたくさんの人の目に触れてイイネされたり評価され、だめな短歌があまり人の目に留まらず見向きもされないという、明らかな良し悪しの差からきている数字の差でしかないものなのだろうか。毎日ぼこぼこと短歌を発表しすぎていて、くそもみそもいっしょくたみたいな印象になっていてもう見る気をも起きなくなっているということであるのならば、もっと一日に一首ぐらいのペースで発表していった方がよいのかも、なんて思ったりもする。その方が読まれる確率が上がるのならばそうしてもいい。吝かではない。

だがしかし、そのようなゆったりとしたペースで短歌の発表を続けてゆくとなると、目標の一〇〇〇〇首を達成するまでにあと何年かかるかわからない。たぶん、あまり計算は得意ではないので間違っているかもしれないが、一三年以上はかかると思う。そうなるとゴールは二〇三七年ごろか。はたして、それまで生きていられるだろうか。そちらの方が心配になる。今のばかみたいにぼこぼこと短歌を作っているペースで行くと、たぶん再来年の二〇二五年には目標を達成できるはずなのである。なんの問題もなければ。

しかし、再来年までほとんど誰にも読まれない短歌をぼこぼこ作って毎日欠かさず発表し続けるというのも、なんだかちょっと侘しいし辛いものがある。おそらくはきわめてつまらない悪い出来栄えの短歌ばかりですので、それも仕方がないことだとは思うのだけれど、なんかもうちょっとなんとかならないものだろうかという思いは、驚くなかれこんなわたしにも少なからずある、のである。

まあ、あまり無理にとはいわないですけれど、たくさんの短歌のうちのほんの一割ぐらいでもよいので作品をおもしろがってくれる人がもっとふえてくれるといいなあとはすごく思います。いやいや、一割だなんて贅沢なことはいいません。一〇〇首のうちの一首、一〇〇〇首のうちの一首でもよいので、すきになってもらえたらよいなあと思います。ただ、それだけです。そんなことを、いま思っています。まことに僭越ながら。

20231226

余談ですが。ノートに「「自選10短歌集2023」に参加しませんか?」という記事があって、なんかおもしろいかもと思って、よく内容を把握せずに、どうもテーマが〈アイドル短歌〉らしいので、それらしきものを一応ことしの短歌をすべてばあっと眺めてみてなんとかかんとか幾つか選び出してみるということをしてみた。その後で、参加方法や応募要項などを調べるために、再度その記事をちゃんと読んでみた。だがしかし、それを読んでみればみるほど、わたしの短歌みたいなものとはあまりにも毛色が違うもののような気がしてきまったのである。

最初にしっかりと細かいところまで把握していなかった自分が悪いといえば悪いのだけれど、どうもそこがわたしのようなものにはちょっと入りこめなさそうな世界のように感じられてしまったのだ。たぶん、これにもし参加をしたとしても、ひとりだけぽつんと浮いてしまうのではないかという気がしてきたのである。そういう事態になることが、もうすでに何もする前からありありと想像することができてしまったのだ。そして、なんかとても恥ずかしいなと思うようになった。自分のことが。

こういう企画ものみたいなものには、もしかしたら恥をしのんででも参加してみた方がいいのだろうか。どうなのだろう。だがしかし、あまりにも毛色の違う人がいきなりずかずかと入りこんできてはいけない世界というものもあるような気がするのである。なんかちょっとこういうのは難しいところがあるように思えるのだ。それとともに、あまり難しいことをわざわざ無理をおしてでもすることはないような気もする。だから、参加はしないことにした。たぶん、しないと思う。なんだかとても自分が恥ずかしい。

そのかわり、ざっと二〇二三年のうたの中から選んでみた〈アイドル短歌〉らしきもの一〇首をここに投稿しておこうかと思う。せっかく選んだので。めんどくさいめんどくさいと言いながら。それに、まだここをフォローしてくれている人もほとんどいないので、それをしたとしてもたぶん誰の迷惑にもならないはずである。

本当に自分でも何をしているのだろうかと思ってしまう。一旦は、もしかするとこれで少しは自分のうたを読んでくれる人が増えるのではないかと思い、すごくのりのりで参加するつもりでいたというのに、しかしながらちょっと冷静になってみると、いろいろ不安になってしまって、最後には自分が自分で恥ずかしくなりやめてしまい、結局なんにもしないままになるのである。何かをする前から、まだ何も始まっていないのに、もうすでに怖気付いてしまうのだ。

ちょっと参考までにと過去の企画の記録を開いて見てみたところ、どうやらその企画の参加者はジャニーズのアイドル(現在は、旧ジャニーズ系のアイドルというのだろうか)を好きな人々がほとんどで、たぶんうたもそういうものについて詠んだうたがほとんどであったと思う。あまりよくわからない世界なのだが、たぶんそうだったはずだ。

そういう中に、あちらの世界の人々から見れば、あまりよくわからない世界のものをアイドル視している人がいきなり紛れ込んできても、笑われてしまうだけかもしれない、いや笑われはしなくとも何さこれぐらいのことはきっと思われるであろう。そう思うと、このような自分のようなものが参加すべき世界というのはたぶんここではなくて、どこかまた別のところにあるのではないかと思うようにもなってくる。かといって、その別のところというものに何か心当たりがあるわけでもないのだが。

ただまあ少しぐらいはジャニーズ的なものに対する嫌悪感のようなものがないわけではない。だが、それだけが問題だというわけでもない。アイドル短歌の世界だけにポップなペンネームで詠んでいる人がほとんどであり、その短歌の内容やその世界そのものにふれるという以前に、こちらは漢字三文字の名前らしい名前であるというだけでもう気圧されるというか、すでに何となく違和感のようなものが感じられてしまったというか。

そこには、なんというかもうすでに確乎たる世界ができあがっており、そこにお邪魔するとなるとかなりなにかしらの気構えのようなものが必要なようにも思われてきたのである。それで、やっぱりなんかなんだかめんどくさくなってきてしまったのだ。何か不安に感じることがあったら最初からしないほうがいいと思うようになってきてしまっているのである。

要するに、まだわたしは自分のうたに自信がちっともないのだ。それにちゃんと短歌をやっている人に対して、なんだかよくわからない引け目を感じてしまっている自分もいる。短歌の学習をしたり勉強をして、それなりにわかったうえで短歌をしているわけでは全然ないので。とりあえずなんというか、これは短歌についての話だけでなく、結局のところ究極的には自分で自分に自信がちっともないのである。とにもかくにも、そのことに尽きる。と思う。

二〇二三年の〈アイドル短歌〉らしきもの十選

水無月やオチャTシャツの水あさぎピンクドーナツかじるビヨちゃん
焼け残るピエタの像と薔薇窓とプラウドマリー川は流れる
はりつめていた空気がひしゃげるジーアイエスエムバーミーアーミー
ひこにゃんを見つけてテンションマックスな門脇さんの街道をゆく
ジョンケールモーリンタッカースターリングモリソンルーリードとニコ
浅草の灯をひとつ消す赤貝の握りに咽ぶ万太郎かな
寒月やほっそりと照るつつましく変哲もない味気なき世に
ふるしきに人間のふかいおかしみつつんでみせる志ん生の芸
魚屋が浜で煙草を喫むところ煙管を握る談志の手つき
不器用でおつなまくらをふれぬ無芸を芸とするおつな文菊

20240111

余談ですが。先日、ノートさんが一年間の創作活動の記録を大雑把にではあるもののぎゅっと要点のみをかいつまんでひとまとめにした「2023年の記録」というものを作成してくださいました。それを見てみると、わたしが投稿したものに対してスキというリアクションがついた回数の総数は、この一年で六六〇回であったということでした。これは、単純計算で一日に一回以上は誰かにスキを押してもらえたということになると思う(計算に間違いがなければ)。特に誰かに何かを言うことも何かを言われることもない毎日を送っているわたしにしては、これはかなり上出来なほうではないかと思われる。自分でいうのだから間違いない。実際に誰かからスキなんていう反応があるなんてことは、基本的にさっぱりないことであるのだから。

総投稿数は、二八〇六本。但し、これは一月一日から十二月十六日までの投稿数の集計であるようなので、最終的には二九二〇本以上になる予定である(何の問題もなければ)(集計の結果、短歌の投稿数は二九四五首でした)。なので、単純計算では二八〇六本を投稿してスキが六六〇回だったということは、全体の二三パーセントの投稿にスキしてもらえたことになる。但し、複数のスキがついている投稿もあるので、実際のスキ割合はぐんと下がって二割を大きく下回るのではなかろうか。そう考えると、全体の九割近い数の投稿はただただ何の反応もないまま、どこかのサイバー空間のはるか彼方へと投げっぱなしになったままだったということだ。誠にかわいそうなことである。自分の投稿のつまらなさやくだらなさを棚に上げていえば、であるけれど。

また、どうしても他人と自分とを比べてしまうようになるのであまり見てはいけないと思うのだけど、ちらっとだけノートの短歌のハッシュタグのページを見てみたら、ひとつの短歌の投稿に一〇〇や二〇〇のスキがついているものもざらにあり、投稿から約一ヶ月で七〇〇以上のスキがついているものなんてのもあったりして、一気にがっくりきた。まったく勝負にならない。完敗である。まったくすごいことですよね、あのスキをちょっとだけでいいのでこっちにわけてもらいたい。

一年間にわたしの投稿が読まれた数は、ざっと三万回であるらしい。これが多いのか少ないのかは、あまりよくわからない。ちょっとぴんとこない数字なので。しかし、この一年に三千近い投稿をしていることを考えれば、これはきっとたったの三万という認識にならざるをえぬところなのではないかとも思われる。つまるところ、単純計算しても(計算が間違っていなければ)それぞれの投稿は平均して僅か一〇人程度にしか読まれていないということになるわけであるのだから。それに、この三万という数字には今年よりも以前に投稿した記事を読んだ数もきっと含まれているのであろう。そうなると、実際のところは単純計算による平均よりも数字はもっともっと少くなるはずである。

しかしながら、たとえほんの数人だけであっても投稿を読んでくれている人がいるというのは非常にありがたいことである。読んでみて、スキをしてもしなくても全く構わないので、ちょっとでも気に入ってもらえたならば、とっても嬉しいです。でも、知らないうちにそんな三万回も読まれていたのだなあ、ちっとも実感がない。但し、実際には、それぞれの投稿を(たぶんよくスキをしてくれる)ほんの数人が読んだだけのことなのだから、不思議でも何でもないこと、不思議に思うほうが不思議な数字なのかもだけれど、何だかとても不思議だ。

最後に、一年間に増えたフォロワーさんの数が載っていました。なな、なんと、なんと八人でした。毎日いっぱい短歌を詠んで発表してきた成果が、この数字です。新しいフォロワーさんを八人も増やすことができました。フォローしてくださったみなさん、まことにありがとうございます。月ごとの数字に換算すると、計算が間違ってなければ、ひと月に〇・六人ぐらいずつフォロワーが増えたことになります。すす、す、すごい。わたしにしては上出来だといえるかもしれません。でも、ちょっとがっかりです。あとひと月に〇・四人ぐらいずつフォロワーさんが増えていれば、ひと月に一人ずつ増えるというもう少しばかりきりのいい数字になっていたのです。どうも、八というのは割り切れない数字でした。二〇二三年はそういうなんとも割り切れない一年であったということなのでしょう。二〇二四年は、一年でフォロワーを二九二〇人ぐらい増やすことができたらいいなと思います。なわけないとは思いますけど。がんばります。

20240115

七二才問題

二〇二四年一月一〇日(現地時間)、アラバマ大学のフットボール・ティームのヘッドコーチ、ニック・セイバンがコーチ業からの引退を表明し、NFLのシアトル・シーホークスのヘッドコーチ、ピート・キャロルはコーチ職からの辞任を発表した。そして、その翌日の一月一一日(現地時間)には、NFLのニュー・イングランド・ペイトリオッツのヘッドコーチ、ビル・ベリチックのティームからの退団が発表された。まさに大きな時代の節目だと感じさせるような動きが、立て続けに三つも起きた。明らかに時代は大きく動いている、昨年からさまざまなことが立て続けに起きているが、これはもう間違いない。われわれは大きな変革期に生きている。

二一世紀初頭のアメリカン・フットボールの世界に巨大な足跡を残した、歴史にその名を永遠に残すであろう三人の偉大なヘッドコーチが、相次いでそのコーチの座から身を退いた。これは事件だ。セイバンは本人が表明している通りもうこれで引退をするようである。キャロルはシーホークスのティーム・アドヴァイザーに就任することが決定しているようなので、もうほかのティームに移ってコーチをすることはないというこのなのであろう。よって、これで事実上の引退だろう。ベリチックは、どこかさまざまな面で折り合いをつけられるティームがあれば、来季もまたヘッドコーチを続けるのかもしれない。だが、今のところそれもまだどうなるかまったくわからない。もしかすると、このまま引退という可能性もないわけではない。

この三人の偉大なヘッドコーチたちには、二一世紀初頭に何度も率いるティームを大学全米王者やスーパーボウル優勝に導いた(キャロルは大学でもプロでも率いるティームを優勝させている)という輝かしい業績だけでなく、ほかにもちょっと因縁めいた共通点がある。それが、皆そろって七二才だということである。セイバンとキャロルは一九五一年生まれの現在七二才、ベリチックは一九五二年生まれで今年の春には七二才になる。この三人の年齢の面から見てもみても、今回の雪崩をうったような名ヘッドコーチたちの軌を一にする動きが、大きな時代の節目だと思わずにはいられないものが確実にあるような気がする、のである。

これまでNFLの現役最高齢ヘッドコーチであったキャロルとそれに次ぐ第二位であったベリチックが、相次いでコーチの座から退いたことで、現時点での最高齢コーチは今年六六才になるカンザスシティ・チーフスのアンディ・リードとなっている。その次がボルティモア・レイヴンズのジョン・ハーボウの六一才で、そこに還暦のダラス・カウボーイズのマイク・マッカーシーとタンパベイ・バッカニアーズのトッド・ボウルズが続く。すでに七〇才を過ぎていたキャロルとベリチックが相次いで職を辞したことで、少しばかりNFLのヘッドコーチ陣の顔ぶれの平均年齢は若返ったはずである。

こうした動きの裏側には、もはやアメリカン・フットボールの世界では年齢の高いヘッドコーチでは、その役割を十分に全うしきれなくなっているというような大きな時代の変化によって巻き起こされている事情が存在しているのではなかろうか。フットボールというゲームとしての形式は同じであっても、それを構成する要素は日々増大しているし目まぐるしく変化しつづけている。戦術を組み立てるために使用するデータは膨大なものとなり、それをコンピュータで分析・解析をしなくてはならない。そして、これに近年ではAI(人工知能)を導入するケースも増えてきているという。

試合の準備にAIを使用することで、ティームが長年にわたり蓄積してきた過去のゲームのデータをすべて読み込ませて(対戦相手のティームの過去の試合のデータも読み込ませることが可能である)、あらゆる場面・試合中の局面やケースでの効果的な作戦やプレイの組み立て・構築のシミュレーションが可能になってくる。そして、その計算の精度はシーズン毎にさらに高まってゆくであろう。もちろん、最終的にフィールド上でのプレイをコールするのはコーチの役割である。だからこそ、膨大な選択肢の中から瞬時に次に攻撃や守備がどう動くかを決断してゆかなくてはならない絶え間なき思考のスピード感がどうしてもコーチには必要となってくるのである。

この莫大な情報量の多さと情報処理速度のスピードというものに、もはや高齢のヘッドコーチではついてゆけなくなっているのではあるまいか。そんなようにも思えてくるのである。今回の七二才のコーチたちの第一線を去る動きを見ていると。かつて、二〇世紀の頃のアメリカン・フットボールのヘッドコーチとは、サイドラインで常にどっしりと構えている、まるでひとつの軍団の総大将のような存在であった。だが、それが、ここにきて急激に変わってきているのかもしれない。

NFLの試合のサマリーをヤフーのページで見ると、その試合の流れのなかでの勝利確率の推移が線グラフで提示されているのを見ることができる。各プレイの効果度とそのプレイ選択の良し悪しなどから、その時点でどれくらいにそのティームが勝利するかの確率を計算して割り出したパーセンテージなのであろう。過去の膨大な試合のデータなどを読み込んだAIが、試合の流れのなかの各プレイ毎に瞬時に算出している数字なのだと思われる。

それを見ていると、両ティームの間で膠着していたグラフの動きが、急激に垂直に勢いよく振れている地点があるのを見ることができる。なにかの大きなミスが発生したり、プレイの選択を大きく間違った瞬間なのだろう。それがグラフの動きに如実に表れてしまうのだ。一度大きく動き出してしまったグラフの角度は、なかなか勝利確率五割のライン(試合開始時の五分五分)を下回ることはなく、そのまま試合終了の勝利確率一〇割の上限ラインまでぐんぐんと駆けあがっていってしまう。まさに試合におけるティームのモメンタムがグラフで可視化されているのである。

ひとつのミスは次のミスを呼びミスが連鎖してゆく。だからこそ、ひとつめの大きなミスの発生を可能な限り防止しなくてはならない。そこではサイドラインのコーチ陣の一瞬一瞬の判断がとても重要になってくる。往々にしてミスはまずいプレイ選択から起きたりする。味方が膨大な戦術のデータをもっているように、サイドラインの向こう側の敵もこちらと同じように膨大な量のデータをもっていて、なんとかしてこちら側を出し抜こうと狙っている(人間が見落としがちなプレイにもAIは容易に気がつくだろう。だが、逆にまだ誰もやったことのないプレイにはAIは弱いはず)。互いの作戦の(選択の速度の)せめぎあいなのである。コーチの一瞬の判断の遅れがあっという間に試合の流れを決してしまって勝利確率〇パーセントに繋がってしまうことだってあるのだから。

高齢のヘッドコーチが長年の勘で、あのときああだったからまた今回もこうすべきだろうと判断しても、対戦相手のコーチもそのプレイのデータをちゃんともっているだろうし、すでに試合前からこの場面ではきっとこうくるからこうすべきという相手コーチの長年の勘よりも効果的な作戦の選択肢を(AIの導入によって)いくつもいくつも用意できているかもしれないのである。これをフットボールの世界でのシンギュラリティというのかはしらないが、フットーボールの試合がもはやコーチの長年の勘でどうにかなるものではなくなっていることは確かであろう。勝利のための黄金の鉄則のようなものをもっていたベリチックが、近年苦戦つづきなのは(トム・ブレイディがティームからいなくなったという理由だけでなく)そのためでもあるのではないか。

将棋の世界では、現役最年長棋士の青野照市九段が引退するというニュースが先日あった。青野九段の年齢は七〇才で、ほぼセイバンやキャロルそしてベリチックと同年代である。将棋の世界でも、最近は高速で膨大なデータを処理するAIによる分析や解析が広く浸透しつつある。AI将棋世代の藤井聡太八冠の天下無双ぶりを見れば、それはもう一目瞭然であろう。その質と量と速度の将棋のヴォリュームに、もはや高齢の棋士ではついてゆけなくなってしまっているというのが本当のところなのではあるまいか。

まだ一〇代だったころの将棋ソフトの申し子、藤井聡太九段に対して、すでに五〇過ぎの羽生善治九段の将棋がなかなか歯がたたなくなっているという場面を、これまでに何度も見てきた。ヴェテラン棋士が長年に渡り築きあげてきた勝負勘のようなものを発揮した棋譜なども、もうすでにすべてAIが学習済みであるとしたら、そうした長年の勘を最終的に頼りにする将棋では、今の若い世代の棋士に対して勝ち目がなくなってくるというのはそれもまた致し方ないところなのであろう。かつてはかなり高いレヴェルでなくては経験できなかったような将棋を、将棋ソフトの申し子たちは幼い頃からそれを日常的に経験しているのだし、そうした難局であってもあっさりとクリアしてみせるようなさらに高度な次世代の将棋を(将棋ソフト相手の遊びのなかで)もう身につけてしまっているのだから。

アメリカン・フットボールの試合はよくチェスの対戦になぞらえられる。そして、そうしたチェス・マッチ的なフットボールの近年の権化的な存在であったのがベリチックだった。常に勝負に徹した手だけを打ち、血も涙もなくただ勝つためだけのプレイをコールする。そして、最後には必ずチェックメイトで相手の息の根を止めるのだ。よって、アメリカン・フットボールはどこか将棋にも通じる部分がある。流れの読みが浅く下手に悪手を打ってしまったら、もうそれだけで命取りとなり、一気に王手をかけられる。ベリチックのような策士は、どんなに小さな相手のミスも見逃さない。相手のミスを誘い込むような罠をかける。相手の弱いところは必ず最も効果的な手で容赦なく突いてゆく。

なれど、もうすでに七〇才を過ぎしまっているベリチックは、現在の急速に変化してゆくNFLではもうヘッドコーチとして通用しないのであろうか。それについては、最近の羽生九段の将棋を見ていて少し気づいたことがある。明らかにAIによるゲームの革命に乗り遅れてしまった年長の世代でも、その積み重ねてきた経験を踏まえて、極限まで決断の精度を高めてゆくことで、まだ二一世紀という時代においても少しぐらいは若い世代と伍することができるのではないかと。そのためには徹底的にミスをゼロに近づけることが必須となってくる。新興勢力のAIと張り合うのではなく、自らが老成したAIそのものに近づいてゆくという感覚もそこには必要であろうか。もしも、ベリチックがまだヘッドコーチをつづけるのならば、そういった道をゆくしかないだろう。今まで以上に人間味を徹底的にかなぐり捨てて。それは、とても険しい道になるだろう。だが、それを承知でベリチックならばやりかねないような気もする、のである。

20240120

余談ですが。一昨日あたりから、ちょっとした異変が起きている。ノートに投稿したある記事が、なにがあったのかぜんぜんよくわからないのだけれどすごく読まれているのである。まあ、この、すごく、とはいっても世間一般の感覚の基準からいえば、そんなのさっぱりすごくもなんともない程度のことであるのかもしれないが、わたしにとってはそれはそれはとてつもなくすごいことなのである。ここ数日でその記事に六〇回を越える回数のアクセスがあり、たぶんどうやらそれが誰かに(気に入られているのか入られていないのかはわからないが、とにかく)読まれているらしいのだから。これぐらいの数字なんて、世間一般の感覚の基準からいえば、おそろしく低レヴェルなことなのだということは重々承知しているが、わたしのノートの記事のなかではこの数字はびっくりするほどにだんとつなのである。ちなみに、第二位の記事となるとここ一ヶ月間でわずか二三回のアクセスしかない。

しかし、なぜに、このひとつの記事だけが飛び抜けて読まれているのだろうか。ちょっと不思議な感じはする。これは今から三年以上も前に公表した記事なのである。それが、なぜに今ごろになって読まれているのだろう。あのころはまだ書いてもなかなか発表しなかったことも多かったので、あの記事だって実際に書いたのはもっともっと前だったはずだ。たぶん、一〇年代の半ばごろから後半にかけて、ちまちまと書いたり直したりを繰り返していたのではなかったかと思う。そんな、もう自分でもどんな風にどんな内容のことを書いたのかをあまりはっきりと思い出せないような記事が、今ごろになってどこかでひっそりと注目を集めているようなのである。なんだかちょっと不思議な感じがする。

そして、その記事が、どちらかというと好意的に注目されているのか非好意的に注目されているのかは皆目わからないのである。けれども、わたしにとってはこういう動きがあること自体が、もうそれだけでなにかちょっとした異変のように感じられたりもするのである。それに、どこかの誰かひとりの人がこの記事に六〇回以上も繰り返しアクセスしているのか、それともちょっと想像もつかないことであるが同時多発的に六〇人を越える奇特な人々がこの記事にどっとアクセスしているのかさえもわからない。だがしかし、もしもこの記事を好意的にお読みいただけたのであれば、ほかの記事にも(なにか気になるものがあったらでちっとも構わないので)チャレンジしてもらえるととてもうれしいです。

そしてまた、当該記事以外の有料の記事も一応はただで(ほとんど)すべて読めるようにはなっていますが、一応形だけではあるもののとりあえずは有料ということにはしてはありますので、もしも本当にもしもの話ですけど懐具合にちらりとでも余裕があるようでしたらもうどしどしどしどし課金などをしてもらえるとすごくうれしいです。わたくしすべて金目的で書いておりますので。また、もしも非好意的にあの記事を読まれているのであるならば、あんまり目くじらをたてずにいておいてもらえると誠にありがたいです。おねがいします。以上、最近の異変についての余談でした。あしからず。

20240125

「光る君へ」第一回のこと

余談ですが。今年の一番最初の日曜日の夜ですか、大河ドラマの「光る君へ」の第一回目を見ていたんですよね。普通に、今年の大河はどんなのかなと思って。大河ドラマは「黄金の日日」や「草燃える」のころからずっとほとんど見てきているので(なぜか市川新之助の「武蔵」だけは初回だけ見て、その後はぜんぜん見なくなっちゃったんだけど)、とりあえずあまり事前の情報を入れずにニュートラルな状態で第一回を見始めたんですね。平安京が舞台の普通のホームドラマなのかなという印象で、往来で歌って踊っている奇妙な散楽一座が出てきたりして、つい先日「フロンティア」の「日本人とは何者なのか」で見た古代の日本は現代人が想像する以上に多文化・多言語の社会であったという話を思い出し、ひとりでわくわくしていたりなんかもした。なんとなくドラマの雰囲気はつかめたので、大河を見終わったら風呂に入ろう(冬でもシャワーだけですが)と思い、八時半過ぎあたりから少しずつ靴下を脱いだり風呂に入る準備をしはじめてしまった。しかしながら、この第一回目がなかなか終わる気配がない。そこで、はたと気がついた。これ、あれだ。九時までやるんだと。あまり事前の情報を入れずに見始めたがために、初回が一五分拡大版だとは知っていなかったのである。もうすでにお風呂に入る気満々で、上はシャツだけという格好になっている。もはやこのまま終わりまで見続けると寒くて風邪をひいてしまいそうだと思い、ドラマも幼い日のまひろと三郎の因縁めいた関係性もしっかりと描いており、このまま第二回へと続いてゆくのだろうと踏んで、途中で切り上げてさみいさみいと風呂へと向かった。そして、その翌週の第二回である。いきなり血腥いシーンを見せられて、はっとした。あの後、こんなことが起きていたなんて。あのとき軽率に判断して風呂に入ってしまったせいで、ようやく一週間遅れで「光る君へ」に追いつくことになったのである。そして、ひとりで勝手に「光る君へ」侮りがたしなどと思っていたが、三遊亭小遊三師匠の絵師が出てきたり、落語の代書屋みたいなシーンがあったりして、さらにまたこれはちと侮れんなと思うようになった。散楽一座もまた出てきたし、まひろが持ち歩いている筆記用具などもとても興味深い。そして、通常のサイズの放送になったので、これで問題なく大河を見終わったらお風呂に入れる。日曜日は、その後に「クラシック音楽館」とか「古典芸能への招待」があるからほんと忙しいんだよね。

20240129

ここ最近ずっとのびていたとあるノートの記事の閲覧回数が、どうやら七五回でとまってしまったようだ。もしかすると一ヶ月で一〇〇回ぐらいまでゆくのではないかと思っていたのだけど、やっぱりそこまではいかなかった。でも、なんだかちょっと一発屋の人が後にも先にも一回きりの一発を終えてしまった後の感じにも似たような感じになってしまっていたりする。だけれども、これまでに一発なんてあてたことはないから、それがどういう感じなのかは実際にはちっともしらないし、そもそも七五回の閲覧数ぐらいでは一発でもなんでもないのだろうとは思うけれど。それでも、なんだかちょっとさみしい。またあの記事がリヴァイヴァルでヒットしないかなと早くも思っていたりなんかする。次回は一ヶ月でかるく一〇〇回を越えてしまうぐらいのヒットを記録して、その後にもっと一発屋の人が一発の後に味わう感じに近い感じを味わえるようになることを期待している。とても楽しみで仕方がない。

20240130

余談ですが。最近ちょっと不安に思っていることがまああるといえばある。毎週、大河ドラマの「光る君へ」を見ているのだけど、実はこれまでにちゃんと「源氏物語」を読んだことがいっぺんもないのである。そこがなんかちょっとだんだん変なわだかまりになってきてしまっている。

ただまあ、それが紫式部によって書かれたもので、主人公が光源氏であることぐらいは、もちろんしってはいる。そして、その光源氏さんという光り輝くくらいにきらきらしている人が超がつくくらいにものすごくもてもてで、宮中とかのたくさんの女性たちと浮き名を流すというお話であるということも、ちらほらとだが伝え聞いたことがある。これは、もしかすると伝聞であるので間違っているのかもしれないけれど。しかし、そのお話のお噂が真であるかを実際に確かめてみたことは、これまでに一度もない。それに、基本的にそういう色恋沙汰というか愛だの恋だのといったことにまつわるような物語が、ちょっと苦手なのである。いや、物語というか、色恋沙汰とか愛だの恋だのといったことそのものをかなり苦手としている意識がある。そういう部分が、自分の中になにやらとても大きくあるのだ。要するに、あまりにも苦手すぎて、そこに得手のかけらすらも見出せないせいで、まあ自分にはそれはかなり縁遠い世界であると思えていて、なんだかあまりよくわからないというのが、きわめて正直なところではある、のである。

そういうものは短歌というものについていう際にも、同様に非常に大きくある。短歌や和歌の基本だか起源だかは、よく相聞歌であるといわれる。だが、そういった基本のキのところが自分にとっては一番の苦手分野であったりするのだ。それなのにそんな人が短歌を詠んでいたりするのだから、これはちょっと困ったものであるというしかない。だから、よく近ごろの巷で人気の短歌の中に「きみ」とか「君」とかと誰かその歌を歌いかけられている誰かがうたのなかに出てくるのを見かけると、途端にああもうだめだこれはちょっと手に負えないやと三一文字を読みおわらぬうちにほっぽりだしたい気分になってきてしまう。但し、わたしには、それがそういううたであるということや、それを詠む人のそういう対象への思いのようなものを、まったく想像も理解もできないというわけではない、のである。

だが、そういった(自分とはとても縁遠い)ものに想像力をはたらかせるということが、なんだかちょっと精神的な疲労になったりストレスを感じてしまうものになったりするのである。それは、わたしにとっては、あまりにも縁遠い世界のことで、その縁遠さゆえに、そのうたを詠んだ人が誰かに歌いかけている気分やそのうたを詠む人の心の中になんらかのこころもちが発生しているらしき地点に、こちらから近づいてゆくということが、あまりにも遠い遠い道のりのもののように感じられてきて、なんかもう本当にものすごく面倒臭くなってきてしまうのである。

さらにいうと、普通ならそこら中に普通にあるらしい色恋沙汰だとか愛や恋だのといったものが縁遠いのだから、その先にあるというお噂のある結婚やら家庭やら子供をもつということはわたしにはもっともっと縁遠いものなのである。よって、親御さんがいとしい我が子について歌っているようなうたも、本当にただただわたしには縁遠いというだけの理由から、本当に実に一方的で身勝手な理由からではあるのだがちょっとばかし苦手であったりする。それは、まるで遠い遠いどこが別の世界のことのようにも思えてくるし、それを読んで何かを感じたり何かを想像したりしようとすることそれ自体が、かなり疲れそうなことに思えて面倒臭くなってきてしまうのである。たぶん、やろうと思えばできないことはないのだろうが、それでもやっぱり面倒臭いのほうがそれに対して易々と勝ちをおさめてしまうのである。

世間一般でいう愛だの恋だのというもの、つまり恋愛などといったものとは一切無縁のままわたしはここまで生きてきてしまった。そんなわたしであるから、たぶんこれからもそういうものとはずっと無縁のままなのではないかと(かなりの高確率の確信らしきものをもって)思う。それはそれで仕方がないことなのだろう。基本的に誰かと関わり合うことがどちらかというとかなり苦手であるという部分は確実にある。自分でも自分のことがすべてよくわかってはいないのに、誰かほかの人にわたしのことがすべてよくわかってしまうはずなんてないと思う。自分でも自分のことがすべてよくわかってはいないというのに、わたしが誰かほかの人のことをすべてよくわかってしまえるはずがないとそもそも思う。こんな人間にとっては愛だの恋だのというものはきっと到底難しいことなのではないだろうか。いや、実際にそれはたぶんかなり難しいのである。これまでにわたしが生きてきた年月のあれこれのことを思うならば、それをそう思わずにはいられないものは確実にある。

世間一般でいう愛だの恋だのというものが、実はかなり(わたしなどが考えるよりも)薄っぺらなものなのではないかと思うことはある。なんというか、すべてがすべてなんとなくな気分のようなものでしかないのではないかと思えたり見えたりすることがあるということである。だからといって、それでわたしが、なにかをどうこうするということがあるというわけでは決してない。それが、そうだとしてもそうでなくても、とてもそれがわたしにとって縁遠い世界のことであることにはまったく変わりはない。つまり、薄っぺらであろうがなかろうが、それに気づこうが気づかぬままでいようが、もはやわたしにとってそうしたことはたいした問題ではないということなのである。残念ながら。どこか遠い遠い世界のどこかの部屋の机の上にある文庫本の一頁の紙がどれくらいの厚さかどれくらいの薄さかなどということは、そことは遠く遠くはなれた世界にいるわたしにとってはそうさしたる問題ではないというのと同じことだ。それを想像してみようとするだけで面倒臭くなるし疲れるようなことでしかないのである。

だがしかし、そういう世間一般でいう愛だの恋だのというものとか、そういう感情といったものが、わたしにはさっぱりわからないというわけではない。たぶんだが、そういう感情というものを実際に自分の中で感じたことはあるし、きっとそれがそういう世間一般でいう愛だの恋だのという感情だったのだろうと、自分では少しばかりだが確信できていたりはする。但し、それは自分の中で思っているだけのものであるので、それが本当に正しい世間一般でいう愛だの恋だのという感情であったのかまではわたしにはわからない。これまでに、それが誰かほかの人によって直接的に正しいものであると確認された試しはただの一度としてないままにここまできてしまっているからである。

わたしのような苦手な意識をもつものとしては、今思えばそういったようなことをめったやたらに勝手な思い込みだけで抱いてしまったことは、非常に軽率な行いであったのかもしれない。だが、それでも世間一般でいう愛だの恋だのというものだと思われる感情のようなものを(ほぼ)人知れずに抱いてしまったことは(おそらくたぶん)確かにあったのである。それもうかなり以前のことにはなるけれど。その当時は、まだわたしがものの道理というものをよくわかっていなかった(たぶん今もまだよくわかっていない)せいもあり、ごく普通にというかもしかすると少し普通以上にそういう感情をもってしまうことがあったのではないかとも思う。そして、そのちっともままらなないものを相手にひとりで勝手に悪戦苦闘し、ぐるぐると空回りをしていた。きっと、うすうすはそれが自分にとってちょっと苦手なことだということは、当時もどこかで気づいてはいたのかもしれない。だからこそ、まだわたしも若かったせいか、もういといきそれをがんばればもしかしたら(ちょっと苦手なことも克服できて)なんとかなるのではないかと思って普通以上にがんばろうとしてしまったのかもしれない。

自分にはちっとも向いていないようなことを、ひとりでばかみたいにただがんばりつづけたが、なにひとつとして自分の思うようにはならなかった。ごくごく当たり前のことではあるが、それは自分ひとりががんばれば克服できてなんとかなるというものでもなかったから。今ちょっと思い返してみても、当時の自分のばかさ加減がなんともあわれでちょっと泣けてくる。最初からわたしのようなものにはまったく無理なことであったのに、そのことに気がつくまでにかなり長い時間がかかってしまった。だがしかし、いつのころからか本当に心底もうそんなことどうでもいいやと思えるようになった。もう、そんなもの本当にどうでもよくなってしまったのである。そして、元から縁遠かったものが、さらに縁遠い世界になっていってしまった。

閑話休題。とうわけで、今からでも「源氏物語」を読んでおいたほうがいいのであろうか、ということなのである。でも、ちょっとばかし苦手意識があるので、それについてもなかなか踏ん切りがつきそうにない。それに、ちょっと疲れそうだし。想像はできるが、想像をすることに疲れそうでもある。「光る君へ」を見るくらいのことで積年の苦手意識を拭い去ることができるようになるということもあまりなさそうなことは想像がつくし、なるべくならばもうあまり疲れることなく生きてゆきたくもある。終わっているといえば、もう完全に終わってしまっているのかもしれない。かなしくて、とてもさみしいことだけれど。まあ、紫式部ならば、きっとこういってくれるのではなかろうか。いとあわれなり、と。

お読みいただきありがとうございます。いただいたサポートはひとまず生きるため(資料用の本代及び古本代を含む)に使わせていただきます。なにとぞよろしくお願いいたします。