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フリクション「ライヴ・イン・ローマ」

聴いた瞬間に受けた衝撃の大きさという点でいうならば、もしかすると人生のうちで十指のうちに入るかもしれないくらいのものがあった。それくらいに最初の一音めを耳にした時点で、いきなりずどんときた(ザ・ジャムのファースト・アルバムはがつんだったが、これはずどんであった)。一〇代のあのころに時間を限定するならば、このライヴ・アルバムは間違いなくとてもとても重大な意味をもつ一枚であった。貸レコード店のG7から借りてきて、すぐさまカセットテープに録音して、まさにテープがすり切れるほどによく聴いた。「ライヴ・イン・ローマ」といえば、やはり冒頭からブオオブオオとばかでかい音で鳴り響き続けるレックのベースである。その太く重いサウンドは、いまも耳に焼き付いてはなれなくなってしまっているくらいに、実にセンセーショナルな音である。そして、その頭抜け大一番的なベースを軸に、とんでもなくヘヴィで剥き出しの極めて純度の高いファンクネスの塊のようなサウンドが縦横無尽に(遠い異国のローマの地で)ごろんごろんとのたうちまわる。もはやライヴ・アルバムというよりも、フリクションという奇怪な巨大生物が蠢いている様子をずっと聴き続けているような気分にさえなってくる。
このライヴ録音盤では、そこで実際に鳴っている音の数というのは、それほど多くはない。音の隙間があるはずなのに、そこにちっとも隙間があるように聴こえないのは不思議だ。ミニマムだけどマキシマム。ギターやトランペットも聴こえてはくるが、そのバンドのサウンドのほとんどの部分は、レックのベースとヴォーカル、チコ・ヒゲのドラムスのみで構成されている、といっても過言ではない。それくらいに、このふたりが生み出しているサウンドは非常に存在感にあふれていて、そしてやっぱり実際に音がとてつもなく太くて重くて大きい。それは、この時期のフリクションならではのサウンドであったと思うし、後にも先にもあんなサウンドをライヴの演奏で鳴らしていたのは、きっとフリクションだけであっただろう(サウンドの独特さでいうならば、パブリック・イメージ・リミテッドのファースト・アルバム「ファースト・イシュー」にも匹敵するほどのものが、ここには確実にある。但し、フリクションのほうが格段にファンキーである)。
あのころのわたしにとって、フリクションとは東京ロッカーズのフリクションという感じでのものでは、もうあまりなかった。すでに東京ロッカーズとは、それほどに実感をもって受け止められているムーヴメントではなかったのである。「ライヴ・イン・ローマ」が出たころ(一九八五年)は、ちょうど高校生になったぐらいのころであった。よって、東京ロッカーズのころのフリクションには、世代的にいってまったく間に合っていなかったのである。八五年の夏、わたしはNHKで「インディーズの襲来」を見て、その一〇日後にはアルタ前にいた。中学生ぐらいのころから貸レコード店(G7は同じ商店街(サンロード)に二店舗もあったので、借りて聴くレコードは本当に山ほどあった)に足繁く通うようになって、パンクやニューウェイヴを中心に様々な音楽を聴くようになった。そして、そのころに八〇年代の同時代の音楽として聴いたフリクションが、この「スキン・ディープ」や「ライヴ・イン・ローマ」のころのフリクションであったのだ。
八〇年代のなかば、もはやただのパンクであることぐらいではちっともパンクなどではなくなっていて、徹底的にオルタナティヴななにかであることこそが最もパンクであると、わたしはつよく思うようになってきていた。わたしのまわりでは、あのころに「ピーからエフに」という言葉がさかんに交わされるようになっていたことを記憶している。頭文字がピーのパンクではだんだんと物足りなくなってきていた、まだ一〇代のキッズたちが頭文字がエフのファンクにパンクを上回るほどのサウンドの熱量を発見して、次々と「ピーからエフに」転向しはじめていたのである。当時はプリンスを筆頭とするミネアポリス・サウンドの全盛期であったし、そこからパーラメント/ファンカデリックに遡ったり、そのPファンクを率いるジョージ・クリントンによるプロデュースでレッド・ホット・チリ・ペッパーズがある意味あの時代の決定打的な存在として登場してきたりした。そして、そこのろ日本にはじゃがたらがいた。音楽に肉体的な刺激と躍動感を求める若者であるならば「ピーからエフに」転身するのも無理はない時代であったのだ。
ただし、わたしの場合にはすんなりすぱっと「ピーからエフに」というよりも、よりオルタナティヴな方向へと振り切れてノイズ/オルタナティヴの深い沼に足を取られてしまっていたせいもあり、カンの「フロウモーション」やマテリアルの「メモリー・サーヴス」などあたりから、ほどよくオルタナティヴ寄りの「ピーからエフに」の道をたどってゆくことになった。そして、そこにぴったりとフィットしたのが、あのころのフリクションだったのである。そしてまた、なによりも大きかった部分というのは、フリクションはあの当時のカンやマテリアルよりも一歩も二歩も時代の先をいっているような感じがしたところである。とてもクールでどこかひんやりとしている音の感触でありながら、重く太く巨大な擂り粉木でぐりぐりと摩擦しすりつぶしてゆくような猛烈な音の圧をとても強烈に感じる。あの当時の感覚でいえば、まさにヘヴィ・メタルなオルタナティヴ・ファンクであったのである。
そして、やはりなんといってもレックのヴォーカルがとても様子がいいのである。ヴォーカルといっても、何がどうしてどうなってわたしはいまこんな気持ちでいますなどといったことをくどくどと歌うわけではない。レックは凶暴なまでにヘヴィで地響きのように轟く低音のベースを奏でながら、ややつっかかり気味にシンコペートするリズムの上にリズミックに断片的な言辞や短いフレーズをのせてゆく。それはどこか言葉遊びのような調子をもつ歌であり、たとえば「ずいずいずっころばし」のような詞の意味そのものよりも撥ねて転がる語感を優先する日本のトラディショナル・ソングや伝統的な童歌などにも通ずる雰囲気を色濃くもっていたりする。ぽんぽんと連なってゆく語とその連なりが生み出してゆく韻律のリズム。その歌の軽やかさと重く太く律動するバンドのサウンドとの対比もあざやかで、ライヴ音源ならではの空間的な広がりのある音のダイナミズムが醸成されてゆく。また、リズムに言葉をのせてゆく歌は決して安易/安直に(現在ではほぼ当たり前のものとして横行している喋るように歌うスタイルに堕した)ラップのようにはならず、どこをとってもきれのある和風の吟詠に近い質感をもつものとなっている点は、やはり興味深い。そこには一切のグルーヴ感を拒絶するようなまた別の/オルタナティヴなグルーヴがある。


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