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宛先のない手紙 vol.2

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ほぼわたしの考えを垂れ流すエッセイのようなもの。その2。
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ラベルを貼る楽さと不確かさ

ラベルを貼る楽さと不確かさ

わたしたちはたくさんのラベルを貼られている。たとえばそれはカテゴリーだ。男であったり、ゆとり世代であったり、既婚未婚であったり、サラリーマンであったり、親であったり、国籍であったり、在住地であったり。

またたとえば、それは傾向や属性を指す。セクシャリティであったり、何かの病気であったり。

同じラベルを貼られた者同士が、ざっくりと同じ器に入れられている。同じ商品のように。

当たり前のことなのだ

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欠けている部分が自分を作る

欠けている部分が自分を作る

NHKの朝ドラ、「半分、青い」が好きだ。主人公(と実家家族)のキャラクターがなかなかに濃いこともあって、シリアスな展開中もさほど湿っぽくならないところが、朝に見るドラマとしてもいいなと思っている。

主人公の鈴女(すずめ)は、幼い頃の病気がきっかけで、左耳が聞こえない。高校生の頃の就活で、彼女はそのことを常にオープンにしていた。

そのせいかどうかは定かではないけれど、事実、鈴女は13社受けた会社

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ギスギスがキラキラに変わった

ギスギスがキラキラに変わった

変わったのは、場所ではない。わたしがそれだけ変われたのだろう。

1年と数ヶ月前、わたしは三足のわらじを履いていた。

その頃、ライターの世界に飛び込んでみたばかりだったわたしは、元々やっていた仕出し弁当と夕刊配達とをまだ掛け持ちしていたのだ。

当時は次男がまだ入園前。今考えてみても、一体どうやって過ごしていたのか自分でもわからない。若かったのかな。ギリギリ二十代だったし。

今日の取材先は、そ

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疳の虫をつまみ封じる

疳の虫をつまみ封じる

子どもの頃から、目と目の間のあたりに、少しだけ青く血管が透き通って見える。

「疳の虫が強い子によくあるんだわ」

祖母は言った。“疳の虫が強い”とは、気性が荒いといったらいいのだろうか。夜泣きやかんしゃくがひどい子どものことを指すようだ。

“疳の虫”と血管との因果関係はわからないけれど、確かにわたしは疳の虫が強い子どもだったらしい。虫封じをしてもらいに神社に行ったという話も聞いている。

長男

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“書き頃”まで熟成させる

“書き頃”まで熟成させる

中学生頃から、何かを思いつくたびにメモをする習慣がある。学生時代は、そのほとんどが創作に関するネタだったけれど、今はnoteやブログに書きたいと思ったものの断片をメモすることも多い。

昔は手書きのノートだったけれど、今はほとんどがスマホに詰め込まれている。中にはnoteの下書きに直接入れられているものも。キーワードだけであったり、一文であったり、タイトルだけであったり、メモの形はさまざまだ。

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わたしだけの100点を目指し、貫け

わたしだけの100点を目指し、貫け

緑の中にいる。

木々の中を吹き抜けていく風が気持ちいい。空気は澄んでいて、ほんの少しだけ冷たい。カサカサカサ、と葉が風に擦れる音が聞こえる。見上げると、ときどき葉の間から差す光が目に入り、目を細めた。

周囲にはそれなりに多くの人がいるけれど、人の放つエネルギーよりも、木々が放つエネルギーの方が多くて、どこか落ち着く。息子たちは相変わらずややこしいけれど、ふだんよりもゆとりをもって見守れるのは、

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“似ている”と“わかる”は別のもの

“似ている”と“わかる”は別のもの

「つまり、こういうことでしょ?」
「わたしもそうだったからわかる。〜なんだよね」
「〜って思っちゃうんだよね。わかるわかる」

誰でも、一度くらいは誰かに言われたことがあるのではないかと思う発言だ。そして、誰かにしたことがある人も少なくはないと思う。かくいうわたしだって、こうした発言を何度かしてきていると思う。特に妹に言いがちだったことを自覚している。

言われる側は言う側よりも年齢が下であったり

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思考の濾過装置

思考の濾過装置

旅先の夜が好きだ。ひとりでも、他の誰かとでも、いつもと違う場所で過ごす夜が好きだ。

「どうしようもなくなったときには環境を変えればいい」というのは、半分正解だ。環境さえ変えれば自分自身が丸っきり素敵に変われるわけではないけれど、環境の変化で変わる思考回路というものは、存在していると思う。

ぼうっとひとり思索に耽る。ぽつぽつと、ふだんとは違うトーンで会話する。特別ハイテンションでもないけれど、特

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土壌を耕すために

土壌を耕すために

子どもの頃に見て触れたものは、記憶に残らなくても、心の引き出しにきちんと収まっていく。

世界を見せたい、と思う。

4歳と6歳の息子たちは、今、どんどん引き出しをいっぱいにしていく時期を過ごしている。

世界といったって、別に何も海外に連れていかねばならないわけではない。(海外経験は大きなインパクトを得られるものだとは思うけれど)特別に何か手のかかることをしなければならないわけでもないと思ってい

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「個人的な文章」の感じ方

「個人的な文章」の感じ方

「自分語りはいらない」という意見を見聞きしたことがある。「無名の人間が個人的なことを書いた文章は読む気にならない」という言葉も見たことがある。個人的には、そうした意見はわからなくはない。「え、うん。そうなんだ」としか感想が浮かばない文章は、確かにたくさん存在している。

けれども、わたしは「個人的な文章」が割と好きだ。別に読み手のウケを狙ったものではなくても、「いいな」と感じるものはある。作家個人

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消費と生産による疲労度

消費と生産による疲労度

放っておけば四六時中テレビを見続ける長男を見ながら、よくそんなに見続けられるな、と感心していた。

わたしは消費し続けることが苦手だ。膨大な情報を浴びていると、疲労が蓄積していき、だんだんと調子が悪くなる。

受け取る情報に対して、たぶんわたしは脳を働かせすぎるのかもしれない。……というか、脳をできるだけ働かせずに、ただ受け取る(消費する)ことが苦手なのだろう。

わたしはただ飲み込めばいいものま

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「またね」の残量

「またね」の残量

祖母が一気に老け込んだように見えた。

正月に会っているため、別に久しぶりに会ったわけではない。ここのところ体調不良や気力の低下があったらしいから、その影響なのかもしれない。意識しないとどんどん外に出なくなってしまうから、デイサービスに申し込んで無理やり出かけるようにしているのだと、祖母は話した。

あと、どれくらいの時間が残されているんだろう。

実家の親や祖母、母方の祖父母に会うたびに、いつも

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“ただのわたし”に戻るとき

“ただのわたし”に戻るとき

夜、自室に響くパソコンのキーボードの音は、わたしがわたしでいるためのものだった。

数年ぶりに、夜をひとりで過ごしている。子どもたちは、はじめて母親抜きで義実家に泊まった。従姉妹を大好きな長男が乗り気で、義母と義姉が「リフレッシュしていいよ」と預かってくれたのだ。

子どもたちがいないさみしさは微塵も感じずに、お風呂に浸かり、ひと息ついてnoteを書いている。

家具で仕切り、妹と分け合って使って

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子ども時代がなかったように思われる場所

子ども時代がなかったように思われる場所

実家に帰省している。

息子たちには、“おじいちゃん、おばあちゃん”(実家)は“ママの親”で、“じぃじ、ばぁば”(義実家)は“パパの親”だという認識は、どうやらまだないらしい。

何度か説明しているのだけれど、今回もきょとんとしていた。

子どもにとっては、今いる大人は大人でしかない。誰だってはじめはみんな赤ちゃんだったなんてことは、想像の範疇外だ。

わたしが大好きなマンガ「ハチミツとクローバー

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