“ただのわたし”に戻るとき
夜、自室に響くパソコンのキーボードの音は、わたしがわたしでいるためのものだった。
数年ぶりに、夜をひとりで過ごしている。子どもたちは、はじめて母親抜きで義実家に泊まった。従姉妹を大好きな長男が乗り気で、義母と義姉が「リフレッシュしていいよ」と預かってくれたのだ。
子どもたちがいないさみしさは微塵も感じずに、お風呂に浸かり、ひと息ついてnoteを書いている。
家具で仕切り、妹と分け合って使っていた九畳の子供部屋は、今ではひと部屋になり、当時の姿ではない。
けれど、わたしが使っていたシングルベッドはそのまま残され、忘れ去られそうな感情のカケラの保管場所として、窓の横に今も佇んでいる。
家具越しに妹と駄弁っていた時間や、不眠に陥り寝付けずゴロゴロしていた夜や、腰掛けて窓の外を眺めていた夜明け。そのときどきに感じていた心の揺れ具合が、生々しく思い出せる場所だ。
あの頃、パソコンでやっていたことといえば、創作サイトの更新やブログで、それらにより、わたしは生かされていた。夜を越えていけたのは、没頭できることがあったからだと思う。自室はひどく狭かったけれど、その狭さはシェルターのようだった。どんどん自分の内面に潜れたのは、あの狭い自室の雰囲気もあったのだろう。
あの頃のわたしは、どこかに消えたわけではない。年をいくら重ねても、わたしの中に存在している。
あの頃のわたしと今のわたしが、ベッドの上で重なり合う。どこか忙しない気持ちを抱え、地上から少し浮いてしまっているようだった足が、ふわりと地面に着くように感じた。
“ここ”は、わたしの原点だ。
どこまで進んでも、どこまで変わっても、“ここ”を心の中に残しておくことは、わたしがわたしであるために必要なのだろう。
引っ越しを重ねてきたため、“地元”感がなく、ふわふわした気持ちで過ごしてきた。そんなわたしにとって、“実家の元自室のベッドの上”は、原点回帰ができる場所のひとつだ。わたしはわたしを確かめて、そうしてまた歩んでいく。
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