土壌を耕すために
子どもの頃に見て触れたものは、記憶に残らなくても、心の引き出しにきちんと収まっていく。
世界を見せたい、と思う。
4歳と6歳の息子たちは、今、どんどん引き出しをいっぱいにしていく時期を過ごしている。
世界といったって、別に何も海外に連れていかねばならないわけではない。(海外経験は大きなインパクトを得られるものだとは思うけれど)特別に何か手のかかることをしなければならないわけでもないと思っている。
わたしにとって、世界は、たとえば幼い日に訪れた近所のレンゲ畑の美しさだとか、そのときに刺された蜂の針の痛さだとか。セミの鳴き声が夏の始まりと終わりで変わることだとか、夕立の前にさっと変わる空気の感触だとか、そういったものだ。
何てことはない日常の中に、世界はたくさん紛れ込んでいる。親のわたしは、ほんの少しだけ外に連れ出すだけ。それだけで、たくさんのものを子どもに見せてあげられるのだと思っている。
収められた世界は、直接何かの役には立たない。けれども、心の土壌を豊かにさせる材料になっていく。肥沃な土壌だからこそ、芽ぶける心はきっとある。そう、わたしは思っている。
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