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欠けている部分が自分を作る

NHKの朝ドラ、「半分、青い」が好きだ。主人公(と実家家族)のキャラクターがなかなかに濃いこともあって、シリアスな展開中もさほど湿っぽくならないところが、朝に見るドラマとしてもいいなと思っている。

主人公の鈴女(すずめ)は、幼い頃の病気がきっかけで、左耳が聞こえない。高校生の頃の就活で、彼女はそのことを常にオープンにしていた。

そのせいかどうかは定かではないけれど、事実、鈴女は13社受けた会社のすべてで選考に漏れた。

母は彼女に言った。「なんで落ちたかわかる?あんたが素直に全部書くからや。左耳が聞こえないって、素直に書くからや」

そんな母に鈴女が返したのは、「嘘をつくのは嫌やった。耳のことを言っても受かってやるって思っとった」。

ちなみに、就活に落ちた理由のひとつが自分の左耳だなんて、実際のところは露ほども思っていなかった、というのが後ほど明らかになるオチだったのだけれど。

ただ、母との口論で口から出た「嘘をつくのは嫌やった」「嘘をついて受かりたくなんかなかった」という言葉は、彼女の本心だったのだと思う。そして、昔のわたしと同じだと思った。


言わずにいれば知られずに済むことは、往々にしてある。むしろ、言うことでマイナスになる可能性があることは、たくさんあるのだろうと思っている。

言うか言わないかの判断をするのは、常に自分だ。別に訊かれたことに嘘をつくわけではないのだから、言わないことが悪いわけでもないだろう。

何度か書いているし話していることだけれど、わたしは鬱で大学を中退している。まあ、別に珍しくも何ともない話ではあるのだけれど、これだって場合によっては自分の損にしかならない話であることも事実だ。

それでも、中退後の就活で、わたしはいつでもバカ正直に受け答えてきた。何も恥ずべきことではなかったし、それを告げることは、ある種のフィルターの役割を果たしてくれるとも思っていたからだ。

まあ、ただ、鈴女と同じく、わたしは見事に落ちまくった。その当時は、リーマンショック後の「新卒ですら厳しいです」な時期だったから、そもそも特別な資格も経験もない中退者が受かる余地はあまりなかったのかもしれない。

さらに、受けていたのが別にやりたいわけではない・経験があるわけでもない事務職(高倍率)だったことも影響しているのだろうとも思うけれど。(土日休みの仕事がよかったのだ。経験は接客業しかなかったくせに)


「ああ言えばこう言う」と親に言われ続けた子ども時代を過ごしてきた人間なので、「上手いこと言う・伝える」すべは持っていた、と思う。でも、そこだけは「上手く」言いたくなかった。今でもそれは変わらない。理解されなくてもいいけれど、拒否反応を示す人や、そんな人がいる職場とは、たとえ距離を詰められたとしても、たぶん上手くいかなくなるだろうと思っているから。


別に自己開示をしなくてはいけないルールなんてないし、わたしもすべてをさらけ出しているわけではないけれど、「ここだけは」と思える部分は、自分を形作る大切なピースだから、真正直に言ってしまいたいのかもしれない。きっと、鈴女は左耳が聞こえないからこその今の鈴女である部分があるのだろうし、わたしもまたそうだから。

何も、それらがひとりの人間に大きな影響を及ぼすわけではない。だから、大げさに捉えてほしいわけではなくて、ただその人を作り上げてきたひとつの背景程度に思ってくれたらいいだけだ。

でも、だからこそ、そのまま伝えたいし、うやむやにしたり隠したりしたくないのだろう。それは、自分で自分を否定するみたいだから。欠けていると思われる部分にこそ、その人が宿るのではないかと思うのだ。短所や、未熟さや、コンプレックスなんかに。

これは、自己肯定感にもつながっていく話なのだろうな。とはいえ、わたしには自己肯定感が健全にあるとは言い切れなくて、かなりこじらせているという自覚もあるのだけれど。その点、鈴女は自己肯定感が育まれている女の子な気がするなあ。


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