#ASD
かかわりたくないわけじゃなくて距離の近さが怖い
さいきんの気持ち、文字にしてみようと思う。
あっちゃこっちゃ思うことがあって、頭の中がとても忙しくて、入っては消え入っては消えるような思考をつかまえることもできず、わちゃわちゃ状態すぎて、書き留めることがとても難しいのだけど、それでもテーマを絞って、ひとつ、それでも、そのなかでもいちばん自分を悩ませることをいうとしたら、それは、いくつになっても、ずっと、人との距離感が難しいな、ということだと思う
「障害者なんだから皿洗いでもやって引っ込んでろ」と言われたことがきっかけで考え続けてきた、わたしの「働く」ということ
きのう、久しぶりに、かちんとくることがあった。
もちろん、わたしはしょっちゅう「そのものの言い方はないだろ」などといったささいなものの言い方をめぐって、かちんとくることはあるのだけど、それはそのときだけかちんとなっているだけでたいしたことなかったりする。
でも、きのうのケースは、「自分」のなかに、土足ずけずけと踏み込まれた、境界を脅かされたことによる、ぜったいに許してはいけない、かちん、だった
ほんとうは「つながり」たくもないし「共有」もしたくない
きょうは、いろいろ無理をして、心や体が疲れてきたのだろう、ものごとをネガティブなほうにしか考えられなくて、なんでも悪くとって、猜疑心もマックス、みたいな状況になった。
そういうときの自分の悪い癖だけれど、白黒はっきりつけたがるし、早く結論を出したがるし、決めつけてなんでも悪にしたがるし、考え方も極端だし、仕事もやっていることも、すべてまた辞めてリセットしてしまいたいと思ったり、無責任なことを言う
メジャーど真ん中のコンテンツの話ばかりでつらい気持ちを綴ってみた
さいきん、よく入るようになったイタリアンのバイトで出会ったいろんな世代の人たちと、仕事の合間だったり、仕事終わりやプライベートでごはんとかしておしゃべりする機会がすごく増えた。
飲食関係の仕事をするようになってからのこれまでの自分は、仕事は仕事と割り切って、「じゃ、帰ります」といってプライベートとは完全に切り離していた。
それは、ぎすぎすしていたりいじめやパワハラが当たり前にある職場だったこと
性の目覚めという原体験を抱えながら大人になってみて…
幼稚園の年中のときだった。
いつもわたしは祖母のお迎えで、幼稚園から家に帰って、「おじいちゃま(おじいちゃんじゃなくて、そういうふうふ呼ぶように家で言われていた)ただいま」と言いながら、祖父の部屋に向かうのが日課だった。
それから、おやつを食べながら、祖母と藤田まことが出ている刑事ドラマの再放送だったりキテレツなどを見たりしながら、そのうち水戸黄門が始まって、夕食を食べ始める、みたいな流れだっ
吐け口にされやすい自分のことをつらつらと
さいきん本格的に気づいたことがある。
それは、自分は、「人に当たられやすい」んだなあ、「吐け口にされやすいんだなあ」ということだ。
ずっと、そういうことには悩んできていたのだけれど。
◇
さいきんは、飲食関係の仕事をずっと続けているのだけれど、それ以前から、同僚に、「mieさんって、なぜか○○さん(その職場にいちばん長くいる人だったり、上司だったり)から当たりが強いよねえ」などと何気なく言
「お嫁さん」になりたかったという話&近況
わたしの幼い頃からの夢は、「お嫁さん」になることだった。
小学校のときも、中学校のときも、高校のときも、クラスメイトが、ケーキ屋やスチュワーディス、小学校の先生、パイロット、医者、弁護士とかとか、「将来の夢」を卒業文集だったり、休み時間だったり、授業でだったり語るとき、なぜかみんな「職業」を語ることが不思議だった。
そんなとき、「将来の夢って、なんでみんな仕事なの?」と思ったけれど、わたしが思
近況つれづれ:生まない生めない人間には価値がないと言っているような「社会」に興味が持てなくて
さいきん、「社会」というものに、ますます、いよいよ、興味が持てなくなってきている。
冷める、というか、しらけるというか。寒いなー、と。
きょう、スープストックで、離乳食を無償提供するというニュースに、ネットでいろんな意見が寄せられているのを見た。
スープストックは、自分のとても好きな居場所だ。20代のときから、もう何杯スープをここで食べたか、何回利用したのか数えられないくらいだし、どれだけの
【近況】一から十まで説明しなくていいことに気づく/わたしの「表現」について
おひさしぶりです。
さいきんは更新が滞っておりまして、いろいろたくさんなことがありました。
たぶんぜんぶはとうてい書ききれなくて、でもさいきん、わたしはなにからなにまで一から十まで詳細に説明できないと気が済まない人なんだなということに気づいたんですよね。
それで、なんの義務感かわからないのだけれど、けっこういろんな場所で一から十までめちゃくちゃ丁寧に詳細にわたっていろんな人に説明してきたのだ
踊り続けながら、じーんと沁みてきた感覚に、大丈夫と思えた
さいきんは、あたまのなかが、とてもとっちらかってしまった状態で、過ごしていました。
とっちらかったまま、なにか1つのことに集中して、とどめていることが、なにひとつできない状態だったから、ここになにかを書く、ということも、なかなかできなかった。
◇
なかなかできないというのに、矛盾するけれどなにをやるにも、ひとつのことをやろうとすると、そこから枝葉のように、あれもこれも、それはまるでねずみ講の