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「燃ゆる女の肖像」、恋愛ではない何か//映研movie archive
たまには、公開中の映画の話を。
とはいえ、レビューは、アーカイブとしてレビューサイト(東大映研公式サイト内)に記録しておくために書いているので、どこかの未来で、レビューサイトのアーカイブからこの文章に偶然出会った人に向けたものにしよう。
刺激と情報から成る現代の恋愛この先どうなるかは知らないが、これまではずっと、映画は恋愛を語ってきた。そして近年は多様性への関心の高まりとともに、男女に限定されな
「今夜、ロマンス劇場で」と、人間の未来の選択
友人のWに、「今夜、ロマンス劇場で」を観たことを話したら、彼はこの映画を「ちゃんと作られたライトノベルみたいな映画だ」と評した。非現実と現実とが出会い、恋をする。自分はライトノベルに疎いからよく分からないけれど、確かにライトノベルで書かれていそうな内容だ。だけど、この映画は、「ライトノベル」という言葉ではとりこぼしてしまうような、重要な意味もまた持っている気がする。そうでなければ、ライトノベルと親
もっとみる「名も無き生涯」と、自然に従い生きること
テレンス・マリック監督が自然露光で撮った映像は、誰が見ても文句なしに美しい。監督は自身と同じカトリック教徒である主人公の生涯を、その自然のように文句無く美しいものとして描こうとしたのだろうか。実際のところ、主人公に対する感想は観る人によって様々だろう。だからこそ、「善」について深く考えさせられる。
キリストが登場する前、古代ギリシャのストア派と呼ばれる哲学者たちは、「善」とは、自然に従って生きる
グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち、そしてツイストする物語
役者の人が、自分を売り込むために自分で脚本を書いて、自分が主演の映画を撮る、という話は割とある。自分が演じる役を自分で作るわけだから、自分が一番生きるようなキャラクターになって、その姿が映画を見た後に強烈に残る。例えば「ロッキー」では、シルヴェスター・スタローンの、役者としては欠点とみなされる部分が、むしろ主人公のロッキー・バルボアを魅力的なキャラクターにしている。
マット・デイモンが自分が演じ
「ジョーカー」と、孤独の危険性
紹介がミスリーディングだと思う。「ジョーカーが悪になるまでを描いた物語」。これを聴いた人は、もう映画の話の筋を知った気になるだろう。しかし、実際の物語は、次どうなるのか分からない緊迫感に満ちている。
その緊迫感は、入り組んだ現実と嘘(虚構)から来ている。現実が嘘になった時、嘘が現実になった時、目の前の世界は反転する。反転の瞬間は、いつ来るか分からない。だから怖い。「マルホランド・ドライブ」とか、
アニメ映画「GODZILLA」は歴史の繰り返しから脱出したのか?
「スターウォーズ」シリーズとかもそうだけれど、根強いファンがいる映画の新作を作ることは非常にハードルが高い。当たり前だが、ファンは過去の作品が好きだ。だからこそファンなのである。かと言って、過去の作品と似たようなものを作れば満足するかといえば、そうではないのである。それは過去の作品を上書きすることになるから、なのかもしれない。
世の中的には「シン・ゴジラ」は大成功ということになっている。確かに興
映画の空想ではなく、リアルなものへと目を向けよ
もっと違うやり方をしなくてはならない。観ることも、書くことも、感じることも。映画とは結局、夢に描いた物を見せてくれるものなのだろうか。「エンジェル」という映画の主要な舞台となる、「パラダイス」という名前の立派な豪邸。女流作家として一躍有名になった主人公はこの家を買い、恋人を住まわせ、彼女が幼い頃から憧れていた、優雅な暮らしを手に入れる。彼女にとってのパラダイスは、私たちにとっての映画のようなものだ
もっとみる「ロミオ+ジュリエット」と映画の中の水
「ロミオ+ジュリエット」で描かれる恋には、常に水のイメージがつきまとっている。現代を舞台に翻案しているという新しさはもちろんあるけれど、もともとのロミオとジュリエットには無かった水のイメージもまた、作品に新鮮さをもたらした。ちなみに、劇中ではビーチが出てくるが、舞台であるイタリアのヴェローナには海は存在しない。
何故だか、水には自由を感じさせる力がある。「シェイプ・オブ・ウォーター」も、その名前