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「ロミオ+ジュリエット」と映画の中の水

ロミオ+ジュリエット」で描かれる恋には、常に水のイメージがつきまとっている。現代を舞台に翻案しているという新しさはもちろんあるけれど、もともとのロミオとジュリエットには無かった水のイメージもまた、作品に新鮮さをもたらした。ちなみに、劇中ではビーチが出てくるが、舞台であるイタリアのヴェローナには海は存在しない。

何故だか、水には自由を感じさせる力がある。「シェイプ・オブ・ウォーター」も、その名前が示す通り、形のない水の有り様、水の中にいると重力が無くなるという水の性質を描き、そこに制約から解き放たれた、自由のイメージを重ねる。自由を表現する上で、水は格好の素材なのだ。

ロミオとジュリエットも、愛する自由を求めて生きた人なわけだから、水との組み合わせがうまくいかないはずがない。映画が始まって、レオナルド・ディカプリオ演じる美しいロミオが先に登場し、ジュリエットは果たしてどんな感じなんだろうと思っていたら、洗面所の水の中でゆらゆらと髪を揺らす姿が最初に出てくる(カメラは排水溝視点で、ジュリエットを見上げている!)。第一印象の残し方として、実に素晴らしいではないか。

水は人を重力から解き放ってくれる一方で、ある種のはかなさも持っている。「ロミオ+ジュリエット」で一番最初に2人が見つめ合うシーン、すごく印象的なシーンなのだけど、ここで2人は水槽越しに向かい合っている。互いの目に映るのは、ガラス越し、水越しの相手の姿。僕たちは話の顛末を知っているから、そこにはかなさを見出すけれど、彼らももしかしたら自分たちの運命を、ぼんやりと感じたのかもしれない。

この映画に限らず、水槽が意味ありげに出てくる映画は、叶わぬ自由と、死の予感をイメージとして持っている気がする。「リップヴァンウィンクルの花嫁」の水槽も、そうしたメッセージを醸し出していた。何も喋らぬ存在でありながら、水槽は、水は、確実に映画の中の世界を支配している。

ちなみにエンディングソングはイギリスのバンド、レディオヘッド。このバンドは救いようもない、絶望的な状況を歌わせたら右に出るものはいないバンドだけれども、初めの乾き切った、ちょっとヤンチャなマフィア的ドンパチ映画から、ラストでその精神性まで持っていった監督の手腕には感嘆するしかない。