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大人たちにとっての「若おかみは小学生!」

児童向け作品を、わざわざ見ようという大人はそんなに多くないだろう。それは一体何故だろう?とふと思う。児童向け作品にも面白いものは多いのに。思うに、一つは先が読めてしまうことにある。子供に、夢を潰すような話は見せられない。例えば「モモ」では、時間泥棒が人から時間を盗むが、さすがに盗んだままで話が終わることはない、ということは読む前から分かる(モモは、独創的な描写にあふれているので、それでも魅力は損われないけれど)。しかし、その決まった型に囚われない児童向け映画も存在する。

若おかみは小学生!」も、まさにそういった挑戦的な映画の一つだった。主人公のおっこは、ある理由で温泉街に一人やってきて、祖母の旅館で働くことになる。人と仲良くなること、仕事を覚えること…そうした目の前の課題を一つ一つ解決していくおっこは、子供たちのお手本になるような立派な子なのである。出来ることは増え、人とも仲良くなる。ラストまでの道筋が、はっきりと見えているように思われた。しかし残り15分といったところで、とある予想もしなかったことが起こる。

やはり実際の人間の心は、物語のようにうまく思った通りにいくというものではないのである。そのことを心のどこかで知っているからこそ、大人は児童向け作品を避けてしまうのかもしれない。そしてこの「若おかみは小学生!」は、人間のリアルな心に丁寧に寄り添っている。加えて、人物の動きなども非常にリアルに描写されているから、見る側に主人公の気持ちが強く伝わってくる。

物語のシチュエーションは「千と千尋の神隠し」にかなり近いけれど、物語の方向性は結構違う。「千と千尋の神隠し」は、主人公がどんどん強くなっていく。一方この映画は、だんだんと登場人物の弱さ、心の脆さのようなものが見えてくる。強くなることも必要だけれど、心の弱さに気付くことも大切だ。特に、大人たちにとっては。

他人の不幸は蜜の味、というけれど、私たちが時に映画で他人の悲しみを見たくなるのは、人を見下したいからではなくて、誰もが悲しみを背負っていることを再確認したいからなんじゃないかと思う。出来るだけ悲しみのことを考えずに生きていたいけれど、悲しみが間違いなくあるのに、それを無視するのもなかなかに辛いのだ。「幸福路のチー」を映画館で見た時、隣でおばさんが号泣していて、少し心が軽くなったのを思い出した。ああいう大人向けのアニメがこれからも見られることを願うこの頃である。

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