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「メアリーの総て」と、男性からの逃走線

男性の撮った映画に、時として女性がモヤモヤするように、ハイファ・アル=マンスールさんという女性の監督が撮ったこの映画を観て、モヤモヤする男性諸君もいることだろう。

「メアリーの総て」の舞台は19世紀初頭のイギリス。当時は男尊女卑の風潮が強くあり、作中に出てくる男どもはやりたい放題だ。彼らは自由を愛していると言うが、彼らの言う自由とは結局のところ、身勝手や無責任を正当化する言葉にすぎない。男性は、「自由」が与えられる時代にいると、彼らのようになってしまうのだろうか?

すごく個人的な話をするが、自分は男子校に通っていた時、剥き出しの男性性を見るのがあまり好きではなかった。特に、性的なポスターがたくさん貼ってあったロッカールームは、居心地悪い場所だった。だから、「メアリーの総て」の中の男達の振る舞いを見ると、モヤモヤする。

しかし、その男性の描き方を「現実と違う」と批判したいわけではない。私はモヤモヤすることで、「男性」とは違う、別のものになるキッカケを与えられたのだ。哲学者のドゥルーズ&ガタリの言う「逃走線」だ。

怪物が有名なホラー小説「フランケシュタイン」ではなく、その作者の人生を映画化するのは、観る前は意外な気がしていたけれど、結局フランケシュタインに描かれた恐ろしさは、作者が人生で直面した、人間の恐ろしさから生まれたものだったのだ。その恐ろしさを目の当たりにした私たち観客はどうすべきか?もしモヤモヤを感じたならば、その気持ちを大切にするのがいいのだろう。

ここまで書くと、主人公メアリー・シェリーの人生が波乱万丈なのは何となくお分かりだろうと思うけれど、彼女が様々な苦労の果てにフランケシュタインを書いた時、何と彼女はまだ18歳だった!演じたエル・ファニングも当時同じくらいの歳のはずなのに、ただのハイティーンではなく、苦労を味わった人の顔をしている。その見事な表現力を、最後に強調しておこうと思う。