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映画の空想ではなく、リアルなものへと目を向けよ

もっと違うやり方をしなくてはならない。観ることも、書くことも、感じることも。映画とは結局、夢に描いた物を見せてくれるものなのだろうか。「エンジェル」という映画の主要な舞台となる、「パラダイス」という名前の立派な豪邸。女流作家として一躍有名になった主人公はこの家を買い、恋人を住まわせ、彼女が幼い頃から憧れていた、優雅な暮らしを手に入れる。彼女にとってのパラダイスは、私たちにとっての映画のようなものだ。夢や憧れを、具現化したもの。

しかし、映画とは結局は、ウソ物語であり、空想である。ドキュメンタリーであったとしても、その切り取り方に人の主観が入り込む。パラダイスという豪邸を主人公は手に入れる訳だが、その資金源は、彼女が自分の空想を文章にした「小説」の販売である。そして小説も、もちろん芸術ではあるが、空想であり、夢物語であり、ウソの世界だ。彼女は空想を売ることで、空想を具現化したものを手に入れたのだ。監督のフランソワ・オゾンも、映画監督という立場でありながら、多分このような冷ややかな視点で、映画を作っていたと思う。

というのも、出てくる映像映像、古き良き映画の感じを漂わせていて、懐古趣味とも言えるものなのだ。これは、チープな映像を含め意図的にそうしていると思われる。「風と共に去りぬ」のオマージュという意見もある。そういう昔の映画っぽさを楽しむ。そういう見方、楽しみ方は確かに存在する。しかし、私たちは今という現実を生きなくてはいけない。この映画が、ただの懐古映画に堕せずに済んだのは、過去の名作映画に対し、距離を取った上で、そのオマージュをしたからだ。

エンジェル」は、夢を見せる映画でもなければ、ただの悲劇映画でもない。映画に描かれない物を描くという、斬新な試みだ。そしてそれは、最後のシーンによって、成功した、と思っている。最後のシーン、それは映画のフレームに、それまで入ってこなかったものだ。夢のような映像でも、ドキドキハラハラするシーンでもない。しかし、それこそがリアル、ウソではないものなのだ。映画が提供している心地よさやエンターテイメントから抜け出て、世界を深く捉えなおそうとする時、「エンジェル」はそのきっかけとなる一歩を与えてくれる。そしてこのレビューサイトも、そうでありたい。楽しさ、満足度という観点は捨て、映画から一瞬覗く、リアルなものへと目を向ける。

(「エンジェル」、フランソワ・オゾン監督、2007)

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